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小沢氏が倒閣をほのめかすと、自民党が急におとなしくなった。なぜ? [政治・政局]

 小沢元幹事長が倒閣の動きをみせたら、急に自民党が静かになった。

 それまで、菅首相の辞任を繰り返していたのに、内閣不信任案の現実味を帯びた途端にシュンとしてしまったようだ。結局は、自分たちが責任を持って、日本を立てなおそうという気概がないようだ。 おそらく、半年から1年は、政治の操縦が難しい。原発の処理は技術的にも政治的にも極めて困難で、リスクが高すぎる。それを背負ってまで、政権をとるのは利口ではない。そんな計算で動いているようにしか思えない。

 しかし、この状況を現政権に任せていいのか。いまはみんながNOを言っているのだから、野党第一党の自民党は政権をとるチャンスである。また、国民はダメとはいわないだろう。ただし、政権を取るならば、民主党以上の仕事はしてもらわなければならないし、現在、問題になっている情報の錯綜や政府の政治的混乱は、確実に無くすことが最低条件である。

 本当にできるのか。私は、正直なところ五十歩百歩で、あまり期待していない。

 今日はたちあがれ日本、新党日本も打倒菅内閣を打ち上げた。しかし、旗印の首相候補にだれの名前もあげていない。ただ、首相を引きずり落とすことだけを言っている。実に無責任な発言である。

 そんなひどい日本の政治を観かねてか、ソフトバンクの孫社長が私財を投じて、反原発を推進するための機関の設立するそうである。本来ならば、真っ先に政治家が提言すべきものであるが、全然そうした具体論は聞こえてこない。そんな思考停止状態の間にも、電力需要の危機である夏が刻々と近づき、原発作業は相変わらず難航している。また、不明者の確認作業や復興、復旧は大幅に遅れ、農産物や家畜、魚介類などにも放射能汚染が広がるなど、日本の深刻さは益々拡大するばかりだ。さらに、最近では健全な地域の経済活動も滞り始め、日本全体の経済力が大幅に低下しつつある。人間で言えば、心筋梗塞を起こしそうな状況である。

 それでも、まだ民主党、自民党などは、政権ごっこをやりつづけたいのか。

 ここは、与党、野党の若手が反旗を翻し、新たな動きを起こすべきだ。平和な時ばかりに、新党を立ち上げるのではなく、こうした国家危機の時こそ、旗を立てるべきであろう。できれば若くて元気のいい人が立ち上がり、将来の夢とビジョンを語り、国民を勇気づけてもらいたい。過去の歴史ではそういう人物が登場している。いまはそれを期待する。


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政治の世界、批判と引きずり落とし合戦から、協力・助け合い合戦にならないか。 [政治・政局]

 日本の政治がますます混迷の度を増してきた。

 もはや国民は菅首相の率いる民主党に対して、期待も信用もできなくなっている。いまのままの状況を引きずることは日本にとって不幸としか言い様がない。

 自民党からは内閣不信任案を出す声が上がっている。その動きに民主党の小沢一派が同調する気配も見られ、倒閣する一歩手前のところまできた。おそらく、不信任案を出せば菅内閣は崩壊し、解散総選挙で与野党逆転し、再び自民党を中心とした政権が誕生するだろう。

 国民はそれを望んでいるのだろうか。首相の座は当然立役者の谷垣総裁になると思うが、私の推測では初めの支持率は菅内閣どころか、それを下回り、さらにもっと速いスピードで急降下するような気がする。もう誰がやっても、この日本では批判合戦と厳しい減点評価が繰り返され、どんな優秀な人でも及第点すらとることは困難である。

 私個人としては、菅さん、小沢さん、それから谷垣さん、誰が首相になって不満はない。そもそも民主党と自民党の政策の差は五十歩百歩で、その僅差に大騒ぎをしていると思っている。政策には一長一短あり、すべて納得のいくものになるのは不可能だ。ただ、どの層を手厚くするかだけの問題で、不公平は必ず生ずる。

 いま政局混乱の元凶は、首相のリーダーシップ欠如の一点に集約されつつある。そもそも、国民は自民党の官僚主導政治に嫌気をさし、民主党に政治主導を求めた。その民主党政治で特にそれを実行に移したのが菅首相率いる一派で、その成果もあり政権内での官僚の力が低下した。しかし、その結果、政治と官僚との政治的距離の大きさが、今回の危機に対して、不具合を生じたのは事実である。しかし、それを菅首相一人の責任に押し付けていいものだろうか。

 そもそも、政治の混乱は、もっと根っこの部分にあるのではないだろうか。それは殆どの政治家たちが日本人として、この国を支えようという気構えと身を制する精神の欠如があるからだと考える。つまり、志しや使命感よりも、党や自分の政治生命からの損得勘定が優先になり、リスクの高いものを、なるべく遠ざけようとする姿勢に、政治の膠着さがつくられていると思う。

 もし、今回の危機に対して、立法府の与党や野党、行政府の官僚、そして民間の責任者たちが、原子力発電復旧にあたった名もなき消防隊や自衛隊等のように、使命感と奉仕の精神で事に当たっていれば、もっとスムーズに対処できたはずだ。むしろ、2番、3番の責任ある立場の人達のリーダーシップの無さに問題の本質が隠されているように考える。その中には当然野党第一党の谷垣総裁の責任も重大である。

 将棋の世界には、それぞれの駒の役割があり、すべての駒がその力を発揮して、はじめて勝負が決まる。その戦いでは、各駒はひたすら王を守り、敵を打ち負かしていく。いまの内閣では、敵が来るとみんな逃げるか、ジッとしているかで、王は自ら戦わなければならず、そしてそのブザマな戦いぶりに、観衆から嘲笑されボロボロになっていく。将棋ではすぐに負けが決まる戦いだ。

 いまはトップの資質よりも、国として重要な立場にいる2、3番の責任者が、しっかりその職務の中心になり、国を支える気構えと奉仕の精神で難題に立ち向かうことが重要だ。野球も1人のホームランバッターの活躍よりも、チームのみんなが小さな安打でつないでいく方が大きな得点につながりやすい。

 もう、総理大臣の首のすげ替えは飽き飽きした。ウンザリである。批判合戦とトップの引きずり落としはいい加減にしてもらいたい。そろそろ、発想と姿勢を変えて与野党の協力合戦、助け合い合戦に転じられないだろうか。被災地の方々はすでにそれを実践している。政治にできないことはない。是非、そうした政治になることを願う。


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平和な時には騒がしいが、危機になると静かな国会議員 [政治・政局]

 東日本大震災の前に、あれだけ威勢の良かった国会議員たちは、今は何をやっているのだろうか。まったく姿が見えてこない。

 各政党は真っ先に被災地で対策本部をつくり、現場の視点で具体的な復興支援対策を、次々に提案してくると思っていた。けれど、そうした話は聞こえてこない。とりあえず、ドンブリで何兆円もの復興対策の予算を要求してきたが、その中身まで真剣に考えていたか怪しい。

 与党の民主党は、もうくたびれている。これからの長期戦に持ちこたえられるのか。党内の結束力の無さも露呈し、一段と弱体化が進んでいる。だが、どうであれ首相、官房長官、各担当大臣等は不眠不休で頑張っている姿はわかる。それにしても閣外の党員は、しっかり支えている気があるのか。あまり、そう見えない。 崩壊するのも時間の問題かもしれない。

 一方、野党第1党の自民党はどうか。どうやら大連立を組み、与党と一体になり日本を救おうという意思はなさそうだ。あくまでも外野席で、気楽に政府に注文をしつづける方向に転じたようだ。民主党がダメになった時に、こんな腹の据わっていない党に託せるか疑問が残る。

 公明党は仏教と関わりの強い政党であるが、人を助けることに主眼を置くよりも、党としての損得勘定で動いているように見える。こういう危機的状況には与党、野党関係なく、中道のみちを歩んでもらいたいものだ。

 みんなの党は行政改革や日本の機構を変える事だけに興味があるのか、今回のような被災で本当に困った人達に対して、ちょっと淡泊さを感じる。おそらく、エリート達の習性だろうか、情より、合理性、論理性を重んじているような気がする。それも一つなのかもしれないが・・・。

 また、立ち上がらない、たちあがれ日本や新党日本は、前回の選挙で目立ちたかっただけなのか。こういう時こそ、小党は存在感を示すべきと思うが、その意欲は見当たらない。平沼さんも舛添さんも静かすぎる。もっと大局の観点で動きそうな人だと思っていたけど、どうなのか。

 社民党、共産党は何となく労働組合を中心に、現地で活動をしている気がする。でも、自分たちの関係している世界にとどまっており、広い意味での民の立場から行動しているかはわからない。

 どうであれ、政治家の皆さんは、平和な時にサル山のボス争いに精を出しているが、本当に自分たちが潰されるぐらいの危機になると、誰も命をかけて名乗りでる者はいない。

 いまだに東北を中心とした地震はおさまらない。もし、近々に関西で同じ震災が起きたらどうなるのか。そうした可能性もゼロでない。そのぐらいの危機意識を持って立ち上がる政治家はいないのだろうか。

 どの党も若手がおとなし過ぎる。本来ならば、党を割って、この国家危機に対する新党をつくってもいいぐらいだ。明治維新に、あれだけ中の悪かった薩摩と長州が手を組んだ実績が、日本の歴史にある。民主党と自民党の若手も、この復興、あるいは日本の再興で手を握り、新しい国家をつくるぐらいの気勢があっていい。いつまでも菅さんや谷垣さんの時代が続くものでない。

 今の日本の政治に求められているのは、民主党や自民党ではない。優秀で責任ある多くの人材が結集し、1つの方向にまとまることだ。リーダーの資質を批判するのは簡単であるが、現状では、自分の担うべき責任から逃げまくり、人の批判ばかりしている政治家が多すぎることに問題がある。この日本では、誰が首相になっても状況は変わらない。期待されるのは最初だけで、1年もすれば支持率20%以下になる。そういうパターンが社会的につくられているからだ。

 結局は、マスコミや評論家、大学教授等の知識人たちが筆頭に立って、超厳しい、重箱の隅を突っつくような減点法で評価を続ければ、どんな立派な人でも0点に近づいていく。たとえ、ダメでも少しでも長所や良い点が評価されなければ、だれも頑張れない世の中になってしまう。これは今の子どもたちへの教育にも、同じことが言える。

 長々とグチになってしまったが、とにかく国会議員の姿勢には不満である。国会議員はもっと危機感、真剣さをもって、政府の責任ばかりを追求するのではなく、自ら行動し、新しい日本の姿を示してほしい。


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いまの自民党は「立ち上がらない日本」に党名を変えた方がいい。 [政治・政局]

 またも、自民党谷垣総裁は、大連立から腰を引いている。

 民主党政権はボロボロである。進まぬ原子力問題、気の遠くなる復興問題、首都圏の電力不足、さらなる放射線汚染、経済面でも地震による企業のダメージ、異常な円高の進行、これまで日本が経験したことのない大問題が、この弱体化した政権に大きくのしかかっている。

 民主党がどうこういう問題は通り越し、日本がどうなるかだ。しかも、一刻の時間も無駄にできない状況である。だが、相変わらず、野党第1党の自民党はのらりくらり、国家の危機に体を張って助けようとしない。

 野党の立場で全力でこの問題に取り組むと言っている。また、政策の違う民主党と一緒に行動はとれないとか、この危機的状況の時に寝ぼけたことを言っている。政権中枢に入らなければ責任なんて生じない。何をやっても、お気楽なパフォーマンスである。つまり、すぐ逃げられるからだ。

 なぜ、国民は野党第1党の自民党を本気で怒らないのか。新聞の論説や評論家も、菅首相や民主党が頼りなさを指摘するばかりで、だらだらしている野党に対して甘い気がする。いくら民主党政権がダメでも、現時点ではどうしようもない。本当にダメならば、逆にしっかりした人材、体制でバックアップしてやればいいではないか。べつに、民主党のために支えるのではない。日本の為なのだから。

 こうしてみると、彼らは日本人である前に、自民党という人種なのかもしれない。日本がダメになる姿を外から眺め、民主党という人種が滅びたら、自分たちが日本の主になることを狙っているようにも見える。

 中曽根元首相が助言したように、期限を決めて大連立するのが一番いい。目的も復興に絞れば、何もためらうものは一つもないはずだ。以前は責任政党として、日本を動かしていたのだから、その自覚があってもいい。我々国民は、日本のすべての力を結集しなければ、この福島原発や東北の復興問題は、とても解決できないと思っている。少なくともいまは与党、野党でゴタゴタする場合ではない。

 ただ、こうした国家の危機に対して、迅速に思い切った対応ができない政党は、やはり民主党と変わらない力量かもしれない。もしかしたら、それ以下なのか、そう思われても弁解のしようがない。このまま、日本のために立ち上がらず、あれこれ現政権の批判とヤジだけ飛ばしているならば、党名を「たちあがらない日本」に変えてもらいたい。

 自民党には期待しているがゆえに、ここにキツイ内容を書く。


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原発対策、東北復興は、大連立のオールジャパンで臨むしかない。 [政治・政局]

 自民党、その他野党は、なぜ大連立に踏み切らないのか。

 民主党政権は、これまで政治とカネの問題、バラマキと財源不足など徹底的に野党から攻撃され、実力閣僚も相次ぎ辞任、支持率も最低ラインの20%を切るところまで下落し、政権維持の限界まで追い詰められた。あと一歩で崩壊するところに、今回の大震災が起きた。

 つまり、最低状態の政権で、この国家危機を乗り越えなければならないと言うことだ。日本にとってこれ以上の最悪があろうか。

 特に原子力発電事故は、日本の誰も経験したことのない未知の難題である。しかも、失敗は一切許されない。一歩間違えれば東日本に人は住めなくなるだけでなく、日本列島全体が常に放射線危機にさらされるという深刻な事態に直面する。まさに終戦以来の最大の国家危機に遭遇しているのだ。

 しかし、そんな危機状況に名乗りを上げる政治家が誰も出てこない。平穏な時にあれだけ偉そうに、また騒がしく行動していた政治家が、いまはひっそりと目立たない。せめて、若手が超党派をつくり、迅速に活動してほしいところだが、そうした動きも見えない。元気のいい自民党の河野太郎や山本一太議員は何をしているのか。現在、テレビに出てくる政治家といえば、菅首相と枝野官房長官、そして岡田幹事長くらいで、各大臣もさっぱり姿が見えない。そのほか、野党党首も菅総理の対応批判に、ちょこっと顔を出す程度で、これといった具体的政策も出してこない。本当にみんな何をしているのだろうか。

 とにかく、いまの民主党の人材不足は否めない。いまこそ、野党は大連立で閣内に入り、日本のために力を尽くすべきだ。自民党の石破さんの危機管理力、外添さんの明晰な頭脳、そして平沼さんの調整力など復興に欠かせない力を持っていそうだ。是非、このような実力のある政治家が行動を起こしてもらいたい。

 菅首相の大連立呼び掛けに対して、政治的な駆け引きとの憶測もあるが、それはそれでいいではないか。今は一刻の時間も無駄にはできない。それが第一優先である。

 今回の原子力発電事故の処理、東北の復興再建は、誰がやってもスムーズに進めることは困難だ。いまは民主党、自民党など言っている場合ではない。日本全体の政治家の中から、政党や民間の枠を超えて選抜し、オールジャパンで当たらなければ、この難関を乗り切ることは難しい。国民全体それを望んでいると思う。

 自民党はいま国民から厳しい視線にさらされている。今回の呼びかけに応じなければ、国家危機に対してまったく役に立たないという汚名を拭うことはできない。しかも、現政権の体力をあそこまで削ぎ落とし、弱体化させたのは自民党や公明党である。今となってその責任はとてつもなく大きい。谷垣総裁は野党の代表して、それを肝に銘じ、行動しなければならないだろう。

 とにかく、いまは時間との勝負。みんなで力を合わせるしかない。もめごとは後回しに、今は一体となる協力こそが最大の力となる。是非、早く決断してもらいたいものだ。


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国家危機に逃げる自民党。責任転嫁されることがそんなに怖いのか。 [政治・政局]

 東北関東大震災は原発事故まで引き起こし、日本は戦後最大の窮地に追い込まれている。この危機は、すべての人たちが力を合わせて打開していくしかない。

 福島原発では高放射能の中、今も命がけで作業が続いている。さらに大勢の民間技術者が現地に向かい、最悪の事態を回避すべく努力している。また、自衛隊、消防をはじめ様々な人達も再災害の危険があるにもかかわらず、人命救助、災害復旧にあたっている。いずれも、自分の命よりも人助けを優先、使命として頑張っている。

 しかし、こうした国家の危機的状況の中でも、自分のことしか考えない種族がいる。

 自民党である。

 現政権をボロクソ政権と批判し続けた自民党。いまは与党も野党もない。すべて日本人としてこの難局を乗り越えていかなければならない時である。

 そもそも現在ある福島原発は、かつて自民党が推し進めてきた原子力政策の賜物だ。すべて自民党が悪いとは言わない。だが、自分たちが行った政治に、もっと責任と反省を持つべきであり、また、首相の対応が遅いと批判する前に、この非常なる原発事故で、率先して政府に適切なアドバイスをしていくべきだ。また、首相からの震災に対する危機管理内閣の要請にはすぐに応じなければならない。

 しかし、これまた、煮え切らない。谷垣総裁は、この要請には応じられないというのだ。

 本当は、自分たちが何もできない無能さを世間にさらすことへの恐れ、そして現政権の失敗の責任を転嫁されることへの恐れ、この2つ懸念からそう判断したのだろう。1分1秒を競い危機打開に向けなければならない時に、自分の政治生命を計算する姿は、呆れたものとしかいいようがない。

 正直、自民党に少し期待していたこともあって、とても許せない気持ちである。最大の危機に自ら体を張って立ち向かわない政党は、まったく役に立たないガラクタである。

 誰も経験したことの無い危機をどう乗り越えられるか、絵に描いたように上手くいくはずがない。可能性を賭けて実施しても、失敗に終わることは十分ありうる。後になればその時の不手際はわかるが、その時点では精一杯である。

 その失敗を後になって批判して政権をひっくり返そうなんて考えているなら、その党はもう解党すべきである。危機に対応できない批評政治集団はまったく必要ないからだ。

 もう民主党政権の目玉政策である子供手当、高速道路無料化などの政策はぶっ飛んだに等しい。民主党も自民党も、政策の差はこの震災で無くなり、逆にやるべき方向性は必然的に明確になった。

 そろそろ、国会もガラガラポンで、民主、自民の枠を超えた新しい政治体制が必要になるだろう。この苦境の時、各々の政治家が何をするのか、我々はそれをしっかり見定めことが大切である。本物かニセモノかを見極められるリトマス試験紙でもある。これからも復興に向けた厳しい日々が続く。次の選挙では議員の資質を評価し、しっかりした人物を国会に送らねばならない。日本の復興再起はそれにかかっている。


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いまの国会は小学校の学級崩壊と同じだ。 [政治・政局]

  日本の政治は最悪である。与党民主党だけでなく、野党自民党も最悪だ。 とても2大政党の時代は望めない。期待したのがバカだったのか。

   政治家たちは日本の国づくりに命を削る様相はない。ひたすら壊すことに普請しているように観える。おそらく、どんなに優れた人でも、この国の首相、大臣は務められないだろう。 「政治とは理想と現実を縮める作業である。」誰かが語っていたが、まさにその言葉に尽きる。その作業の中で、議論して理解を深め、時には反論し、時には妥協、協力し合う。共同作業を噤みながら、理想に一歩づつ近づいていく。これが本来の政治の姿だ。

  いまの政治では、民主党内の反主流派、自民党をはじめとする野党も、自分たちが主導権を握るための権力闘争ばかりに終始し、いまの日本に山積している政治課題を一緒にやる姿勢が極めて乏しい。自分たちの主張が通らなければ審議拒否、ボイコットばかり、政治を一歩も進めないことを仕事にしているようにも観える。何のための国会か。本当に判らなくなる。

   ただ、菅首相の政治姿勢にも問題がある。政権与党は野党に対して基本的に協力を仰ぐ立場にある。しかし、イラ菅と呼ばれている首相は、この野党のグタグタした姿勢を許せず、発言を聞いてると、彼らを見下した言動や態度が目立つ。彼らの怒りをさらに煽っているとしか言いようがない。これでは人間社会における関係で、最悪の方向に進むのは必至だ。恐らく民主党内でも同様のことがあるのだろう。

  国会議員は日本を代表する大人の集まりである。だが、ワイワイ、ガヤガヤ、纏まりが無いのは小学校低学年の教室と同じである。子供達は先生の話を全く聞かず、PTAの親たちもその先生を見放している。すでに学級崩壊が始まっているのに、誰も何とかしようと考えない。学校側が取り合えず担任の先生を変えれば、しばらくは静かになると考え、担任をクルクル変える。国会では、まさに、そんな状況が繰り返されている。

  優秀な人材を国会に送り出している筈なのに、なぜ、まともな政治ができないのか。実に嘆かわしい。これは能力の問題でなく、哲学、倫理あるいは精神性といったところで躓(つまず)いている感じだ。日本には古くから武士道をはじめ、世界に誇れる精神文化がある。敵味方、隔てなく尊重し合い、フェアーに勝負する。柔道、剣道、相撲(八百長問題を除いて)など、その精神を受け継いでいる。でも政治の世界ではそれが通用しないのか、全く皆無に等しいようだ。

  国会では主義主張の違いがあるのは当然である。今のように土俵際でガタガタする政治に早く終止符を打ち、土俵の中で、その主義主張で真剣に勝負してほしい。

  問題は、政治家たちの自覚の無さだけない。政治を監視するはずのマスコミの怠慢さ。そして、無関心な国民の意識にもあると言える。実は、日本人全体の意識のズレが大問題なのかもしれない。


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前原外相の外国人献金問題。実際は善良な外国人ではないのか。 [政治・政局]

 菅政権がまた揺らいでいる。今度は屋台骨である前原外務大臣の狙い撃ちである。政治資金規正法で禁止されている外国人からの献金で、過去4年間で20万円を受領したらしい。

 自民党の石原伸晃幹事長は、「有罪が確定すれば公民権停止となる重い罪。「間違えていた」では済まない」と述べて、前原外務大臣の辞任を強く求めている。

 ところで、その外国人とは誰なのか。日本の国家を揺がすような陰謀めいた人物なのか。中国、あるいはロシアからのスパイか。その報道を聞いた時に、そんな連想が頭を駆け巡った。ところが実際は全然違う。

 前原大臣が中学生の時、京都山科に引っ越してきた時、近くにあった焼き肉店の女性経営者らしい。大臣も古い知人でだいぶ可愛がってもらったという話だ。

 その女性経営者が毎日新聞の取材で、「もし、違法と分っていたら、やってない。心苦しいし、悲しい」と話していたという。一般市民である自分がいつの間にか、違法な外国人に仕立てられていることに対する驚き、怒りがあったに違いない。

 しかし、自民党、みんなの党、共産党の代表達は公然と、そして冷徹に大臣の責任を追及し、まるで犯罪でも犯したかのように非難している。つまり、前原外相が犯罪を犯したならば、この善良な一般市民である焼き肉店の女性も同罪である。

 何か、この国はおかしくないか。日本は、こんな国であっただろうか。

 法律では確かに外国人からの献金は違法である。だが、今回の場合、法の精神から鑑みれば違うと思う。たとえ、在日韓国人の国籍が日本人でないのかもしれない。でも、この女性は日本人の心を持ち、日本に税金を納め、そして、日本の国を愛していたと思う。理性、知性のある日本人ならば、この方の心を大切にしなければならない。

 もし、自分がこの女性の立場ならば、どうしただろうか。この人にとって1年間5万円の献金をすることは決して容易ではないはずだ。でも、自分がよく知っている前原外相に少しでも役に立ちたいという気持ちから、貴重なお金を献金したような気がする。もし、そうであるならば、この献金は、政治献金の中でも最も良質なものではないだろうか。

 これが犯罪の献金になるようでは、民主主義の終わりである。

 NHKの7時のニュースでも事実関係と野党の批判、政権与党の運営の厳しさだけを淡々と報道していたが、国民は判断を間違えてしまいそうだ。

 政権を野党自民党やみんなの党に委ねてもこの国はよくならないのは、国民はよく分っているはずだ。いずれにしても五十歩百歩の違いでしかない。結局、与党と野党が足の引っ張り合いをして、一番喜んでいるのは官僚たちである。まさに官僚の手のひらで政治家が遊ばされている。

 しかし、ここまで政治家がガタガタしていると官僚国家でも良いのかもしれない。そう思ってしまうのも非常に悲しいことだ。とにかく、野党自民党がもっと大人にならなければダメだ。むしろ、こんな事で国を揺さぶる自民党幹部は即辞任してもらい。そのくらいの非難を国民はしてもいい。

 ところで本当の国会議論はどうなっているのか。国民に何も伝わってこない。足の引っ張り合いに明け暮れ、あっという間に国会は閉会される。毎度のことだが、一体いつになったら、まともな政治が根付くのだろう。それには、まだまだ時間がかかりそうである。


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菅首相退陣論、今の日本の政治はフランス革命時のギロチンのようだ。 [政治・政局]

 また、総理の首すげ替え論が始まっている。一体、何人替えれば気が済むのだろうか。着任時には支持率60%超えていたが、いまでは20%以下。事実上、国民の支持がないも同然である。ただ、毎日、政治のゴタゴタを聞かされていれば、そうなるのは当然だ。

 今、この日本の風潮は、フランス革命時のギロチン政治を思わせる。最初、ギロチンは痛みや苦しみが少なく、簡単に死刑執行できる装置として発明されたらしい。だが、その機械は後にさまざまな人を呑み込んでいく。特にフランス革命時、政治的な会派のリーダーたちを次々と処刑し、政治権力の道具として活用された。でも、最後は彼らを処刑執行させた張本人まで、そのギロチンの刃にかかったという。民衆もはじめの頃は、その血祭りの処刑が執行する度に歓喜していたらしいが、犯罪者だけでなく、処刑されるべきでない人達まで次々対象が広がっていくと、やがて人々の心は恐怖へと変わっていく。フランスの暗黒時代の始まりで、結局、その終焉まで長い年月と多くの尊い命が犠牲になった。

 菅首相も、いまこの装置にかけられようとしている。本予算を成立させるためには、総理の首でさえ、駆け引きの道具に使おうと、民主党内部から声が上がっている。彼らの本心、目的は予算を成立させることよりも、自分たちの権力奪取にあるのは明らかだ。

 メディア、国民はそれに対してどう観ているか。フランス革命で、ギロチン処刑を喜ぶ民衆に重なるところが多い。私は必ずしも民主党支持ではないが、この政治バッシングに嫌気をさしている。だが、世間を見廻すと、バッシングに物足りない人達がまだまだ多い。そういう人達は、日本の最高責任者である首相に、自分たちの不幸、不満の責任をすべて被せて、ウサ晴らしをしているようにさえ思える。恐らく、その人達は、徹底的に引きずり落とすことを主張し、また交代する次の首相にも同じバッシングを続けるだろう。

 では、結局、どうなるか。日本には神のように、すべてできた人物がいるはずもない。誰が首相になっても、すぐに変わらないのは間違いない。日本の国をダメにしたのは政治家という声が多いが、その政治家を選び、そういう方向に仕向けたのは国民そのものだ。つまり、最後はすべて自分に返り、自分自身が打撃を受ける。

 お金を浪費し続ければ、そのツケが最後自分に廻ってくるのは当たり前である。浪費をやめて、そのツケを自分たちで払い、子供に廻さないようにしようと言っただけで、ボコボコに殴られている。消費税導入を主張しただけでも、この有様だ。しかし、我々は遠くから、その姿を観て他人ごとのように冷笑し、さらに殴られる姿を観て楽しんでいるようにも思える。

 いま、日本に大事なことは何が正義で、自分たちも正義の心を持っているかだ。はっきり言って、自民党がまた政権を取ろうが、公明党やみんなの党が躍進したからといって、日本の政治は大きく変わるものではなく、その状況は同じと考えるべきだ。首相交代や解散総選挙など、意味のないことに時間を浪費するのではなく、具体的に諸問題をしっかり議論して、1歩でも2歩でも良くすることを考えるべきだ。それには国民も、現状をよく自覚すること、そして覚悟を決めて見守ることも大事であろう。


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野党は正面からの議論ができないのか。 [政治・政局]

 国会での与野党の政治攻防には、もうウンザリしてきた。

 民主党は、はっきり言って発展途上の政党である。この1年半、国民や世界から叩かれ、厳しい批判にさらされながら、選挙公約、マニュフェストを現実的な政策に軌道修正を重ねながら苦労している。そんな姿勢に対して、節操無き政権政党、民主党の自民党化など言いたい放題、民主党のイメージは低下し、内閣支持率19%と急降下である。しかし、私は、これが民主主義の政治として、当然の進み方であると考えている。

 しかし、自民党、公明党、みんなの党はどうだろう。さっぱり政策のキレ、政策の骨が見えてこない。野党の討論対決は、相手の足元をゆさぶる戦法ばかりが目立ち、最低、最悪を印象づける言葉で相手にダメージ、キズを与えることしか考えていないようだ。

 この討論を柔道やボクシングで例えれば、相手が怪我をしているところがあれば、そこを集中的に狙い撃ちする戦法である。国民は本質的な政策論争を望んでいるのに、自分の力量不足をカバーするため、相手の弱点ばかり痛め付けているようだ。これは、政治家としての精神、いや大人としてのマナーを逸脱しているように観える。

 こうした討論は谷垣総裁の本心ではないと信じているが、自分たちが政権、権力を奪取するために、仕方がないのだろうか。でも、それは国民が犠牲になっているのは事実である。

 自民党には、まだ優秀で志しのある人物が大ぜいいるはずだ。まず、政権与党の足元を揺さぶる前に、自分たちの体質改善をしっかり済ませ、正面から議論でぶつかって政権を奪ってもらいたい。公明党も創価学会という仏教の支援団体が支えている政党である。心が乱れた現在の社会に仏教の精神は重要な意味がある。なぜ、それを前面に押し出して、政策を立てないのか。みんなの党も行政改革では存在感を出せる力を持っている。もっと熱い議論があってもよいと思うが、拒否ばかりしている。それでは進歩がない。

 日本の政治の活性化で一番重要なのは、健全な野党の存在である。どの政党もみんな良い資質を持っているのだから、野党であることに腹を括って、議論で勝負してほしい。

 税と社会保障の議論は、入口で攻防が続いている。いま生きている人にとって、議論が1年遅れれば、生活の安心も1年遅れる。その責任を十分踏まえたうえで、とにかく議論の場に立ってほしい。


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税と社会保障、自民党は腹を括って熟議すべきだ。 [政治・政局]

 菅首相は野党に向け、税と社会保障の議論を提起し、呼び掛けた。

  消費税を上げる前提での議論である。 鳩山政権時、まず行政の無駄を徹底的に省き、それでも財源が足りなければ、国民の理解を得て消費税を議論する。こんな姿勢を聞いていた。しかし、今回はそれとは違う。根本的に税と社会保障のあり方を議論し、増税のシナリオをつくるイメージだ。国民にとって嬉しくない話である。

  だが、現実の日本の国家予算は悲惨な状況である。殆どが借金で賄われ、その返済はすべて未来の子供たち。さらに少子高齢化で税収も先細りし、医療、介護、年金は増大一直線。どう考えても、あと何年後かに国家財政は破綻する。ここで税について議論することは決して間違いではない。

 そもそも税金について、国民はあまり良く知らされていない。色々なカタチで税金は徴収されるが、それがどのように集められ、どう使われていくか不明なところが多い。昨年、行政刷新会議で驚くべき無駄遣いが次々に明るみなり、日本がいかに歪んでいるか思いしるされた。しかし、それも氷山の一角で、まだまだ無駄の山はある。したがって、税の使われ方については、必要と無駄の厳しい精査が今後も続けなければならない。

  もう一方の税金の集め方であるが、これも解りにくい。まず政府の財布に一般会計と特別会計の2つがある。一般的に国会予算審議される国家予算は一般会計で、いつも財源が不足し、赤字国債を発行している。ちなみに昨年は税収30兆、歳出110兆,赤字国債70兆であった。どう考えても破綻した財政である。一方、官庁が予算決めできる特別会計は260兆円、だが、この予算は官庁の抵抗でなかなか切り込みができない。国民は歯がゆい思いである。

  今回、与謝野経済財政大臣がこの問題の舵取り役を任された。管首相の一本釣りで、与野党の反発は強い。私としては、政権与党の中で、この問題を最も深く取組んだ人物として評価しており、この人事は正解であると思う。税と社会保障は、政党を超えた協力が必要であり、本来すべての政党から優秀な人材を投入し、将来日本が元気になれる新しい税制と財政を構築することが重要だ。そのためには、政党間の駆け引きはするべきでない。

  税については、様々な立場の人に意見や考えがあり、すべてを満足させることは極めて困難である。特に経済学者や評論家などの正論は益々混乱に拍車をかけそうだ。基本的に正しい方向が見出せれば、後は調整しかない。まさに政治の力しか打開の道はない。 いま、野党は管政権の足元を見て、審議拒否を行なっている。自分達の手でこの問題を取組みたいのだろうか。いつも国民は政党の身勝手に振り回され、結局何も決まらないという、最低の結果に慣らされている。

 今回、特に自民党には大人になってもらい、与党の提案を熟議し、日本の未来のために貢献してもらいたいものだ。良い議論をすれば国民は必ず評価する。次の総選挙で政権を任せる判断もできる。とにかく自民党には野党として腹を括ってもらいたい。


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アジア杯日韓戦での真剣勝負。政治家もその精神を見習え。 [政治・政局]

 サッカーアジア杯の日韓対決、日本がPK戦を制し、決勝進出を決めた。

  試合は両チームほぼ互角の力で、最後までどちらが勝つか判らない展開であった。試合後、日本代表チームのザッケローニ監督は次のように語った。「韓国チームは素晴らしいチーム。日本にとって非情に厳しい試合であった。だからこそ、その勝利に価値があるのだ。」

  昨日の試合のすべてを総括した言葉である。

  スポーツの世界では、全力で正面から戦い、終わった後、勝者は敗者の健闘をたたえ、さらに次の勝利を誓う。時には巧妙な作戦で勝利を導く事もあるが、基本的には全力勝負である。こうした姿勢は、応援する側にも清々しさや充実感を与てくれ、そのチームあるいは選手をさらに力強く応援できる。

 そんなスポーツの爽やかさに対して、政治の世界ではどうであろうか。政治でスポーツの「試合」に当たるのは「議論」「討論」である。だが、その議論の仕方に問題がある。スポーツのように正面から全力で戦うのではなく、殆どの場合、相手の弱点ばかり狙い、批判とケチのつけ合いで相手にダメージを与える。そんな戦法ばかりが目立つ。党利党略、自分が勝つことのみに終始し、国民が本当に期待する質の高い議論は、どこかに飛んでしまっている。どうにかならないものか。

  時折、政治討論番組を観るが、たいていの場合、嫌な気分になる。なぜかと言うと、お互いが「上から目線」でものを言い合う、その姿が見苦しいからだ。自分が如何にできる人間かを、視聴者に見せつけるためであろうが、こちらには虚勢にしか映らない。例えば、野党が与党に向かい、まるで先生が生徒に指導するかのような口調でタタミかける場面をよく見かける。その議論の内容の是非や政党の大小は関係ないと言えども、それを観ている者はとても不快な気持ちにさせられる。

 政治の中にも、年齢や立場の上下、相手の意見の尊重など、道徳的な精神をベースにしてもらいたい。それがあって、はじめて中身の議論をスタートするべきだ。 そんな姿勢があれば、国民も政治に関心を持て、また熱い気持ちで政党を応援することができる。政治改革の第一歩は、まずそこからではないだろうか。


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今年こそ、小沢元代表の政治とカネ問題に終止符を。 [政治・政局]

 小沢一郎元代表の政治資金問題がまだ終わらない。

 政権交代実現の最大の功労者であろうが、いまは政権の最大のブレーキになっている。政治不信の元凶のイメージが定着し、彼の周辺にはその渦が大きく取り巻いている。

 小沢一郎とはどのような人物か。

 世間では、剛腕、壊し屋、影の実力者、ぶっきらぼうというイメージが強い。ただ選挙の時はニコニコと腰を低くし、お年寄りにやさしく語りかけるシーンがよく映る。本当の姿はよく診(み)えない。

 そんな政治家小沢一郎について、改めて考えるといくつかの疑問がでてくる。 

 ①国民に対して、どんな政治的な仕事をしてきたか。国民を幸せにすることに尽くしてきたか。

 ②小沢一郎は何を考えているか分らないという。しかし、多くの人が彼に賛同している。その理由は何か。

 ③小沢一郎は、これから先の日本に本当に必要な人物なのか。

 いつまでも、国会や新聞、雑誌(メディア)は、たった一人の人物に振り回されている。別の見方をすると、政争の具にするために政治家たちが彼を振り回しているのか、あるいは新聞社が読み手の気をひくために、こうした裏話的な記事を大げさに面白おかしく書いているのか、実際のところよく分らない。

 しかし、いずれにしても国民はもう、うんざりしている。

 政治とカネの問題は、世界中見渡しても、解決できている国はない。民主主義の先進国である欧州や米国でもいまだにこの問題と戦っている。だが、国会や議会がこの問題だけに終始している我が国の政治は珍しい。

 この国の最も大きな課題は、明治時代から続く官僚主義の膿を出すことにある。官僚がつくる様々な法案には、彼らの悪知恵や一部の人達の利権づくりが含まれている。政治の最大の仕事の1つはは、そこをチェックすることにあるが、政治家資質のチェックに多くの時間が費やされ、本題の議論になかなか入れない状況である。結局、官僚主導のしくみは変わらずにそのままだ。

 そう考えると、官僚が自分たちの利権が崩れないように、政治家やメディアをそそのかし、茶番劇を続けさせているのではと疑ってしまう。でも、結果的には同じことである。

 菅首相をはじめ民主党執行部は、小沢代表の強制処分を踏まえて、少しづつ動き始めている。反対勢力は一向に収まる気配はない。こういう問題は、歴史を見るとやはり力で戦うしかないだろう。

 もしかしたら国家の危機を救えるほどの大人物かもしれないが、国民は彼に対してNG、レッドカードを出している。その意向は尊重されるべきであろう。ただ国民は自分たちの判断に責任を持たなければならない。

 政治はわかりやすく、ガラス張りにして、みんながチェックできるようにすることが大事である。日本人は一億人いる。優秀な人は山ほどいるはずだ。たった一人の人材に固守し、一億人が振り回されるのもどうかと思う。小沢代表も若くない。次にバトンタッチさせてもいいのではないだろうか。

 今年こそ、この問題に終止符を打ち、日本再生のための本題に入ってほしい。


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内閣改造、まだ続く政治の停滞、民主主義の限界か。 [政治・政局]

 政治がまたウロウロしている。大問題が山積している中、厳しい国会運営を乗り切るため、内閣改造に走る模様だ。

 1年半前の政権交代から、そろそろ若葉マークが外れてもいい頃だが、一向に運転がうまくならない。何回交通事故に遭いそうになったことか、助手席には安心して乗ってられない民主党政権である。

 一方、自民党の評価も民主党と同じように落ちてきている。強い野党の目指したのだろうが、まったく迫力も感じられず、また、国民が期待するような政策、意見も出てこない。そんなことから存在感は薄れ、いまでは新聞に谷垣総裁の写真が載ることも滅多にない。

 いつから、こういう政治になったのか。自民党時代は派閥争いで首相のたらい回し、これからは、政権の弱体化、あるいは政権再編が頻繁に起き、みんなの足の引っ張り合いで首相が変わる構図になるのか、いずれにしても不安定な状況が続きそうだ。

 ある意味、日本は「言論の自由」、「権利の尊重」など、隣国の大国では得られない民主主義の基本が根付いていると言える。しかし、どうもそれにブレーキがかかっているように思えてならない。

 言論の自由、主義主張することは大事なことだ。でも、相手を倒すことを目的にして、徹底的な批判を繰り返し、それほど差異のない政策、考え方でも、天国と地獄との違いがあるように表現する。最悪の考えと批判された方も黙ってはいない。目には目をで相手の弱点を見つけ出し、また同じように批判合戦を続ける。そんなことばかりしているのが今の政治の現状だ。

 結局、聞いている方もプラス要因が観えず、どちらに進んでもマイナスしかないと冷めた気分になり、希望すら持てなくなる。ここに国民から政治が離れていくメカニズムがあるのではないか。

 権利の尊重、これも大きなブレーキがかかる。一度得た既得権を手放すのは、損得勘定から判断して絶対許せないという心情は分らないこともない。しかし、それでは全体の枠組みが歪んでしまうのだ。国民もちょっと自分に不利になる様な事が起きるとすぐに権利を主張する傾向がある。政治の世界も同様に権利を守ること、さらに広げることが専らの関心事のように見える。権利の尊重は、あまり公には使われない言葉であるが、日本人、そして日本の政治の中では、暗黙の最上位の概念のように思えてならない。それがこの国の政治を重くしている。

 この「言論の自由」と「権利の尊重」、民主主義の基本であるが、これをちょっとひっくり返して、こうしてみたらどうだろう。

 「言論の尊重」と「権利の自由」である。

 「自由」には責任があるとよくいわれる。言論も同じで話した言葉には責任がある。当然、相手も色々考え、良い事も言っている。すべてを批判して、引きずり下ろすことだけが目的ならば無責任としか言えない。やはり、良い意見ならば讃え、問題があるならば正す。そうした姿勢が大事だ。政治家は国家の舵取りを担う大事な役割を果たさなければならない。そこで喧嘩ばかりしていては、その船は荒波の中で止まるか、沈むかしかない。

 権利については扱いが難しいが、「尊重」と「自由」のバランスをうまくやらねばならない。力のあるものは、それほどの権利に固守する必要ない。しかし、本当の弱者はある程度の権利を尊重し、認めることが必要である。しかし、権利はどうしても利益と結びつき「権益」になる。そして、自分たちの生活を守るために、特別な権利を主張する。いまだに日本の政治が手こずる元凶はそこにあると言っていい。民主党政権時に騒がれた八ツ場ダム問題は象徴的な事例であろう。いまでは地元住民への権利の尊重に政治が動いているようだ。それが正しい方向か甚だ疑問である。

 民主主義はすばらしい仕組みである。しかし、それを扱う人あるいは意思によって、状況が白と黒の違いにもなる。正月にNHK特番でハーバード大学サンデル教授の白熱授業の再放送をやっていたが、やはり、哲学も政治も行きつくところは道徳、人の精神によるところが大きい。おそらく教授もそのように示唆していたように思える。

 1つの考え方であるが、日本の政治を良くする方法は、政治に道徳の精神を入れることかもしれない。政治家にただ能力の高い人を選ぶのではなく、道徳心、本当の意味での教養のある人、論語で言いう君子にあたる人を選ぶことが、民主主義のかじ取りをうまくできるのかもしれない。いまのような官僚的思考ではどうしても息の詰まる方向に進む。

 最近、子どもたちに道徳の授業を取り入れるべきとの論調が高まっている。私は大いに賛成だ。日本の再生には長い道のりが必要と思うが、まずそこから始めることが肝心であろう。


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温室栽培国家でなく、雑草国家を目指さなければならない。 [政治・政局]

今年の猛暑は異常であった。
わが家の菜園では、作物のダメージが大きく、秋きゅうりの苗も暑さでとろけてしまった。
雨が降らずに酷暑続き、これではとても作物は育たない。

ところが、畑を見渡すと雑草はピンピンしている。
作物には水をまいているが、雑草には1滴もやっていない。でも、しっかり成長している。
どこから、水分を吸収しているのか不思議でならない。

それに比べて、作物はちょっと水を与えなければ、フニャーとするし、栄養がなければ成長も悪い。虫に食われやすく、病気にもなりやすい。非常にデリケートだ。

一方、雑草は病気らしきものはなく、次から次へと生えてくる。その生命力のたくましさはどこからでてくるのだろう。

この作物の状況と、いまの日本はよく似ている。
過保護すぎるのか、身体の病気ばかりでなく、精神的に病む人も多い。何かあれば、すぐにへこたれてしまい人のせいにする。そんなことばかりしていると、ますます衰弱してくる。自分は他国よりもずっとすぐれた品種(国家)だと信じこんでいるが、実際は品種の質が劣化しているのに気づいていない。これが現在の日本の姿ではないだろうか。

どうすればいいのか。環境はますます厳しくなるばかりだ。それには強い品種が求められる。
強い品種とは何か。具体的には、少々のストレスには挫けず、たとえ貧乏でも明るく振る舞えるぐらいの精神力、戦後の日本人がみんな持っていたような資質。
いま、もう一度それが求められ、それがなければ復活は難しい気がする。

でも、次の世代を担う子供たちを観ると、相変わらず親たちは過保護にしている。教育には熱心だが、精神的な面での教えは殆ど皆無である。少子化で子どもを大事にする傾向はあるが、まあ、実際は豊かすぎるのだ。
これを見る限り、強い人間づくりを期待するのは無理で、やっぱり、デリケートな品種ばかり育ちそうだ。

農作物で言えば、ビニールハウスで虫が入らないようにして、なお且つ、空調で温度コントロールし、定期的に水をやり、栄養も十分与える。そのようにしなければ、きちっとした作物を収穫できないのが実状であろう。

この状況は日本の国家・政治にも例えられる。これだけ変動が激しく、厳しい国際環境や経済にさらされながら、過度の政治に対する要求が強いのは、まさにビニールハウス的政治を求めているからではないか。また、税金の使い道を肥料や水に例えるなら、過剰な方向に進みそうな気がする。いわゆる過保護なバラマキだ。
まさに国民の理想は温室栽培国家を望んでいるようだ。

 しかし、それは理想であって、現実的には滑稽なのかもしれない。
世界中を観れば圧倒的に雑草国家が多く、厳しい環境でもへこたれず生きている。我々はそんな世界を冷静に直視し、その環境の中で同じように生きていかなければない。

 つまり目指すは温室栽培国家ではなく、国民ひとりひとりが自立する雑草国家である。そのためには我々の考えを大きく変え、環境に強い品種に少しでも近づいていかなければならない。
そうしなければ、退化の道しか残されていないような気がする。
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沖縄基地問題、このまま萎(しぼ)めてはいけない。 [政治・政局]

 沖縄の基地問題が萎みはじめている。

 つい数か月前は、この問題が民主党政権を崩壊させるのではと思うほど強烈であったのに、いまは台風が過ぎ去った後に吹く、わずかな残風に似ている。

 この沖縄基地問を簡単に終わらせてはならない。それは日本の国家の安全に関わる根源的な問題だからである。敗戦からずっと続いている日米同盟、日米安保条約、アメリカの核の傘、これが日本の平和と安全を保障してきた。でも世界は一刻一刻早いスピードで変化し、アメリカがかつて示してきた絶大な影響力もいまは違うものになっている。特に中国の軍事的台頭、イスラム諸国の反米化、北朝鮮の暴発しつつある状況など、これまで対ソ連、ロシアでとってきた方法では抑止力の効かないパターンである。またアメリカ自体の国力にも陰りが見えはじめ、いつまで世界の警察を自負できるのか、そんな疑問さえ漂ってきている。そんな中、日本が取るべき道は何か。いまは真剣に考えなければならない時期にきているのだ。

 日本の安全のあり方、防衛について考えると次の4つのパターンが思い浮かぶ。

①日米同盟、日米安保の継続、現状維持
 これは今までと変わらない政策、これからも世界の状況は変わらず、またアメリカが覇権国家であることが前提である。だが、これでは沖縄基地問題は一向に解決は進まず、相変わらず沖縄住民への犠牲を強いることになろう。

②八方美人的外交
 これは日米同盟を基軸として、憲法9条を順守しつつ、世界の何処の国とも仲良くやろうという政策。これがいまの日本人が描いている理想的な考え方ではないだろうか。しかし、世界が平和である間は良いが、ひとたび争いが起き、ルールや秩序は壊れた段階になるとリスクの高い。

③アジア同盟へのシフト、中国との平和的外交
 今後、中国が間違いなくアジアの覇者になり、アメリカと対峙する時代がくる。現在のアメリカ一辺倒路線から、アジア、中国への安全保障の切り替えに舵を向けるかどうか、また、EUと同じようにアジアで同盟連合をつくるか、大きな選択肢がある。ただし、現在のアジアはタイ、パキスタンなど火種も多く、宗教や民族、そして経済格差も大きく、ヨーロッパ連合のようには簡単にいかない難しさもある。

④防衛の自立(軍事的自立)
 「自分の国は自分で守る。」という1つの原則論がある。しかし、日本は平和憲法により戦闘能力のある軍隊の所有が認められていない。したがって、他国からの攻撃があったとしても、憲法上での制約が多すぎて現状の自衛隊の力では国を守るだけのことはできない。つまり、防衛の自立に踏み切る場合には、憲法改正の大議論をしなければならない。

 以上、方法論はこれだけでなく、まだまだパターンはあり、それぞれをもっと深く考える必要がある。避けてはならないのが、④の「防衛の自立」であろう。先の大戦で、日本は大変な過ちを犯してしまった。防衛力はすなわち軍事力に直結するものであるから、その扱いは非常に難しい。また、軍事力を高めることは経済的にも大きな負担であり、現在のような不況の中でそんなことができる余裕はない。

 また、もうひとつ重要なのは憲法9条の抵触である。どこまでが防衛として抵触しないのか、また、「平和憲法」と「防衛の自立」を両立する道はないのか。このあたりの議論は聞いたことがない。専門家を交えながら大いに議論を深めてもらいたい。

 かつての国の指導者たちは、いまの憲法は進駐軍が作成したもので、いつかは日本人の手で憲法を創り直さなければならないと言っていた。我々は現憲法に慣らされたのか、あるいは良くできたものっだのか、結構満足しているように思える。だが、気がつけば日本人の心や思考はすっかり欧米化し、国の安全もアメリカに依存しきる国に変わってしまった。良くも悪しくもアメリカの忠実な従属の国家になったと言えよう。

 ここらで、一歩立ち止まり、このままアメリカと共に歩むべきなのか、あるいは現状から脱するべきか、沖縄基地問題を一緒に考えて、進むべき道を選択しなければならない。

 まずは民主党代表選挙が終わったら、政府はこの問題に目を背けないで、野党としっかり議論しながら、日本の安全と沖縄基地問題の解決に取り組んでもらいたい。このままでは日本も沖縄も不幸な道を歩むことになりかねない気がする。国民はもう一度声を大にしてこの問題を訴えるべきであろう。

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民主代表選、菅・小沢氏を支援する人達に注目する必要あり。 [政治・政局]

 民主党代表選は菅首相と小沢元幹事長の一騎打ちになり、事実上党内の2大勢力が激突する構図となった。論戦は初日から火花を散らし、お互いの主張の違いは結構はっきり見えてきた。基本的には両氏とも目指す方向はほぼ同一線上にあると思うが、それを実現すべき政治手法は全く対照的と言っていい。特に小沢氏は首相の強いリーダーシップによる政治主導、菅氏は様々な問題を国民の前に提示して、みんなで議論し解決を図るオープンな政治を目指すことに力点を置いている。これは非常に大きな違いだ。

 現在、景気回復、円高、雇用、普天間基地、外交、社会保障、財源、税の問題など難題が山積している。どのように解決を図るのか、2人の巧みな論戦が交されているが、我々はそれだけで判断してはいけない。

 もう一つの見方として、彼らを応援する議員や党員、支援団体など、むしろ小沢氏、菅氏を取り巻く人達に注目する必要がある。彼らが何を考え、望んでいるのか、本当にこの国を良くしようと考えているのか、あるいは利権の匂いは無いか、そこを十分注意しなければならない。当然、その人達は大臣や主要な役職ポストを狙っている。本当に我々は彼らに託していいのか問われているのだ。

 国民はこの代表選挙に直接参加することはできない。しかし、我々は全く無力ではない。今回の選挙は議員だけでなく、国民に近い党員やサポーター票がある。議員も1,2年生も多くしがらみも少ない、自民党のように派閥で縛られにくいと聞く。国民の意思によって、票が大きく左右する可能性があるのだ。

 昨年、国民は自民党の古い政治体質にNOを突き付け、民主党に政権を与えた。それから1年、ヨチヨチ歩きのこの党を育てられるかどうかは国民の手にかかっている。

 現在、小沢、菅の両陣営は、まだ意思を固めていない議員や党員、サポータの票固めに必死に動き、国民の意思とは別の次元で選挙運度が繰り広げている。それではいけないのだ。国民がどちらを支持するのかが最も重要で、その国民の意思と選挙結果が同じにならなければならない。それには国民は政治に関心を強く持ち、代表選の2人にもっと熱く、そして声を大きく訴えることが大事だ。そうすれば優柔不断な民主党議員たちも国民の意思で動かすことができ、日本の代表の顔を選ぶことができるだろう。

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民主党代表選、民主主義が問われる選挙だ。 [政治・政局]

 ついに小沢元幹事長が代表選に出馬を表明した。
リベラルを中心としたグループと小沢氏を取り囲む集団の一騎打ちになり、民主党の白黒がはっきりする選挙になりそうだ。
ある意味、日本の政治とカネに決着がつけられるかどうか、それが問われる選挙とも言える。

 今回の代表選はいつもとちょっと違う。いままで、党内の勢力が二つに割れて入れば、必ず挙党態勢ということで足して二で割る手法が取られていた。だが、今回、菅総理は鳩山氏の話し合いでそれを突っぱねた。小沢氏の意向を得られなければ物事を決められない仕組みに対してはっきりNOを示し、中途半端な体制になる事を阻止した。つまり、党内が分裂することも視野にいれた決断をしたのだ。

 民主党内ではすでに各陣営による票の獲得合戦が始まっているようだが、従来のように各グループ、各派閥が議員の個人的な意思を縛る形にしてほしくない。実際、議員の4割は新人議員であり、自民党のように当選したその日から族議員として飼いならされている人達は少ないという。そうした人たちの自主的行動をとることに期待したい。これも、日本の民主主義が成熟に向かうかどうか試されていることだと思う。

 とにかく、最大の問題はいつも国民の手の届かないところで、国家の代表が選ばれようとしていることだ。民主主義の仕組みには違いないが、どこかねじれているしか思えない。
「国民の支持」と「党内の支持」に大きなギャップがある。国民は、まず人間的に誠実かつ実行力で国の経済を発展させ、かつ自分たちの生活を良くしてくれそうな人に支持する。しかし、党内の支持は、やはり議員として自分の存在を高め、選挙区の意見を聞いてくれそうな人、すなわち自分に良いポストを与えてくれる人を支持する傾向にある。ここが問題であり、ねじれ、ゆがみの根本的原因であると思う。

 どうすれば、こうした問題が解消できるか。やはり、大統領制しかないのだろうか。
ただ、日本でも地域行政のトップである知事や市長は、大統領制と同じく国民が直接選ぶ。だが、必ずしも良い結果ばかりがでているわけではなく、利権性のにおいがプンプンする人も少なくない。つまり、選ぶ側にも、高い政治に対する意識がなければ、同じ結果になる。

 したがって、国民全体が政治に対する姿勢や考え方を高めていかなければ、本当の民主主義が育ていかない。前回のブログでも書いたが、やはりメディアの役割は大きく、面白おかしく政治を扱ってはいけない。特に政治に関心の少ない人たちは、ますます距離を置き、利権に欲の強い人ばかりが政治を利用してしまう世の中になってしまうのだ。

 今回の代表選挙は、国民が直接選挙をするわけでないが、世論の意向は議員たちの動向を大きく左右する可能性を持っている。国民は一票を投じるのと同じように選挙を見守り、世論の力で民主主義を高めていきたいものだ。

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猛暑は続くが、日本の政治はお寒い風が吹いている。 [政治・政局]

 お盆も過ぎ、まだ連日30度を超える猛暑日が続く。空を見上げると秋の気配を感じさせる雲が浮かんでいるけど、太陽からの日差しはガンガンで、とても外に出る気がしない。ひと昔前は窓を開け、扇風機を回して過ごしたものだが、この暑さはエアコン無しではいられない。せめて28℃の省エネ設定にしているが・・・。

 さて、日本列島は異常な暑さで茹だるようだが、ひとたび政治の世界に目を向けると、ここは相変わらずお寒い風が吹いている。
 最近の話題と言えば、民主党の代表選、その中心が「小沢元幹事長の出馬への動向」である。今日も各会派が、菅首相を支持するか、あるいは小沢氏を支持するか、活発に動いているようだ。国民の生活を討議するよりも、党内権力争いの方が真剣で、以前の醜い争いをしていた自民党の姿を思い出してしまう。

 そもそも、民主党は先の参議院選でなぜ負けたのか忘れたのだろうか。
大きく負けた理由は次の3つだ。
①政治とカネの問題
②消費税の増税
③マニュフェストへの不信、税金のバラマキ
 その中でも、国民が民主党にNOを突き付けたのは①の政治とカネの問題で、その根幹に小沢元幹事長の存在があったはずだ。選挙前、この問題をマスコミにしつこく追及され、民主党のイメージはガタガタに崩された。その時、おそらく殆どの民主党議員は、小沢氏が党の要職から外れてくれることを願い、辞任したときはホッとした違いない。しかし、参議院選挙が終わり、直接国民から審判を仰ぐことがなくなれば、再び復活を望んでいるのだ。いったい、これは何なのだろうか。

 小沢グループのある人が、「今のままでは国も党も持たない。それを救えるのは小沢氏しかいない」とまで言っている。国民の考え方とは明らかに乖離したものと思うが、今の民主党ではそのグループが一番の勢力集団で影響力も大きい。ただ、顔ぶれを見れば今回の政権の中で、役職から外された、いわゆる干され組の不平、不満分子の集まりともいえそうだ。ただ、そうした人達が集まって、自分たちの党の政権基盤を自ら揺さぶってばかりいては、政治はいつまでたっても安定できない。このような状況が続けば、国民は本当に民主党を見放してしまうだろう。

 もうひとつ、この問題で腹ただしく思うのは、メディアの姿勢だ。
選挙前まで、小沢氏を政治の舞台からあれだけ排除しようとしていたメディアが、今は盛んに小沢氏の代表選出馬への動向を取上げている。これを見ていると、まるで政治とカネの問題に禊(みそぎ)が済み、小沢氏が政治の中央に再び戻ってくるようラブコールを送っている感じさえする。非常に違和感を覚える。

 そこまでメディアが小沢氏に執着する理由の1つに、今の菅政権は記事として書きにくいことが起因しているのではないだろうか。ニュースを見ていても、菅首相は物事を無難にこなし話も淡々として面白み味はない。閣僚達も個性的な福島大臣や亀井大臣が抜けて、どちらかといえば優等生で話題性に欠ける人達が多い。やはり政治記事にするには、小泉首相と反対勢力、麻生政権と小泉・竹中路線、小沢代表と自民党の因縁の対決、など明確な対立軸がないと視聴者をひきつけ難いのかも知れない。
 しかし、今回の小沢氏の復活問題を、メディアがこんな事で誘導していたならばもっての外である。もしそうでなければ、起訴されるかもしれない人物が、政権党の代表、すなわち総理大臣に持ち上げられようとしている実態を痛烈に批判し、国民に訴えるべきである。
 メディアが報道する情報は国民の考えを大きく左右する。少なくとも正しく判断するための材料は、国民の前に正確に提供する義務がある。

 最近は、日本も中国や韓国に追い越される記事ばかりが目立つ。さらに後進国であるインドネシアやベトナムも力を付ており、それらの国々からも脅かされるのも時間の問題である。いつまでも内輪もめでガタガタしているうちに、国力は衰え、食べることさえ苦労する国になってしまうかもしれない。
 夏の甲子園が終わったが、高校生の頑張り、勝負に打ち込む姿は感動的であった。日本の政治も、この高校野球のようにひたむきなな精神で、一歩一歩しっかり突き進んでもらいたいものだ。

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参議院選挙。政治家には素養を確かめられる試験が必要だ。 [政治・政局]

 参議院選挙もあと1週間に迫り、新聞の広告欄も選挙モードになってきた。今回の選挙の争点は、ついこの前に騒いでいた政治とカネ、普天間基地の移設問題ではない。消費税にすっかり摩り替っている。

 今日も朝から各党首がテレビに出て消費税に対して激論を交わしていた。菅総理の与野党全体の呼びかけに応じるかどうで、話がぶつかり合い、議論がなかなか入口から進んでいない感じであった。基本的に各党も問題認識は共通しており、いまの税方式は問題があると言っているのに、お互い考え方が硬直して拒否し合っている。とりあえず、ゼロから国会で議論すればいいと思うのだが、なぜ、この国はいつもこうなのだろうか。

 もうひとつ、この選挙で不満なのはタレントや有名人の候補者の名前が目立つことだ。
以前は自民党のお家芸であったが、今回は志を高さをアピールしていた新党でさえも、「えっ、どうしてこの人が?」と思える候補者の名前がある。政治に対する期待が益々冷めていくのを感じてしまう。この人達に政治に対する素養がどの程度あるか、本当のところ計りしれないが、やはり国民の人気取りであることは間違いない。「数」あって、はじめて政党は成立するのだから、各党も必死なのはわからないでもない。でも国民は政治家が考えている以上に厳しく見ていると思う。

 そもそも、国民を代表する国会議員になるため、何の基準もないことがおかしい。
誰でも議員になれるチャンスがあることは民主主義として素晴らしいことだが、その人に1億人の国家の行く末を託すのだ。それなりの高い資質、素養はほしいものだ。

 1つ提案であるが、国会議員になるための国家資格ができないものか。
国会は法律をつくる場である。最低限の知識、考え方がなければまともな判断はできない。そこで、国家の防衛、外交、経済、金融、農業や医療、建設などの各分野の基礎知識がどのくらいあるか、国民が判断できる試験をしてもらい、「優」「良」「可」レベルでいいから公開してもらいたい。そうすれば、この人は経済にはすぐれているが、外交面はあまり明るくないとか、全部の分野に対してすべて知識が高いなどその人の資質を判断することができる。また、どの分野についてもあまり明るくはないが、人間として素晴らしい資質を持った人であると言うならば、それはそれで良い。国民が判断すればいいことだ。
 とにかく、現在は世襲や業界団体の推薦など、人物の資質よりも集票力のある人間が、国会議員の近道を歩いている。これを是正するためには、このくらいの資格制度があってもいい。そうなれば、国民の選挙に対する姿勢も全然変わり、国会議員の質、レベルの向上も期待できる。
 
 しかし、この制度が良いとしても、その法律を定めるのは、現在問題になっている世襲や業界議員たちである。したがって、自分の首を絞めるようなことは絶対しそうにない。
でも、何かをしなければこの国は良くなっていかない。どうすれば、政治家の質を高めることができるのだろうか。
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いつ実現するか、健全な二大政党時代。 [政治・政局]

 政権交代が実現し、やっと健全な2大政党時代を迎える。そんな期待を多くの国民が望んでいたはずだ。

 しかし、どうだろう。戦後ずっと長期政権を維持してきた自民党の存在自体危うい。政権担当能力が乏しいと言われた民主党の方が、いまでは数段頼もしく見える。派閥の領袖は姿を消し、若手、中堅が元気がない。
テレビに出てくるのは谷垣総裁と大島幹事長、石破政調会長、それに小泉進次郎くらいで、かつては熾烈な派閥争いをしていた大政党の面影はない。組織とはこんなに短時間で変わってしまうものなのか。

 今の国民が一番望んでいる事は、民主党、自民党のどちらかが政権をとることではない。まともな国会論議だ。自民党もそろそろ目を覚まさなくてはならない。自分たちが政権を取り戻さなければ日本が良くならないと思うのは、もうおこがましい。既に政権担当能力を失っているのは国民の目から見て明らかな事なのだ。ここまできたらゼロから出直すと宣言し、人心一新と政策能力を高めることが必至であろう。

 国民は、この数カ月のゴタゴタで政治に対して学習し、少し大人になってきた。繰り返し、政治とカネの問題、小沢、非小沢の権力抗争など、何も国民のためにならないことに時間と税金が浪費されてきた。また、マニュフェストは公約ではなく選挙対策用であることがバレてしまい、普天間基地移設では難しい問題は簡単に覆させられないと事も分かり、そして、日本の豊かさがずっと続くと思っていたのに、実はそうでなかったという事実も如実に知らされた。メディアも、そうした国民を見ているせいか、以前のワイド症的な報道が控えられるようになってきた。

 これからは消費税問題、景気対策、経済戦略、そして年金、医療などの社会保障など、まったなしの問題に取り組んでもらわなければならない。つぎの参院選は、大政党のみならず、新党からも人気取りの候補者が数多く出馬している。でも、いままでのような票の集まり方はしないだろう。政治が変わるには国民の考え方が変わらなければならない。まず、日本の現状を自覚しなければならない。そういう意味で一歩づつではあるが、成熟した民主主義に近づいているように思える。少しは希望を持ちたいものだ。

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菅新政権。政治手腕に期待してみたい。 [政治・政局]

新政権の新しい顔ぶれが揃った。
大半は再任にであるが、野球で言えば結構強いチームに感じる。
今の日本の政治家の中では、いい人材が揃っている。
前政権から引き継ぐ難題は、今後もいばらの道であろうが、頑張って突き進んでほしい。

野党が要求している小沢幹事長の証人喚問、政治と金の問題など、大事なテーマかもしれないが、日本経済、財政、年金、介護・医療など待ったなしの問題が山積している。
また、朝鮮半島をはじめ、東シナ海も不穏な状況にあり、与党・野党も協力して、これらの問題に立ち向かわなければならない。

国民も、メディアも、大きな視野で政治を見なければ、日本の政治を育てることはできない。猿山のボス争いばかりしていては、日本はどんどん凋落していく。
今回の菅新政権は、いままでと違い実務的能力の高そうな顔ぶれである。
いくらベストメンバーで臨んでも、課題が難解すぎるのは、よくわかっている。でも、1歩でも2歩でも進めれば、これまでの政治からすれば画期的なことだ。

しばらくは、期待して見届けたいと思う。
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今日は桜が満開、日本の政治も春が待ちどうしい。 [政治・政局]

 今日は桜が満開になり、景色は春一色に染まってきた。
いよいよ本格的な春の始まりだ。この時期は、学生も社会人も新しいスタートに心気一転、希望に胸を膨らませている人達も数多くいるだろう。春はいままで眠っていた植物や動物も一斉に目を覚ましたように活気づく。
そんなワクワクする季節がやってきたというのに、日本の社会はまだまだ長い冬から抜け出せない。いい加減にイライラしてくるものだ。

 最近、新聞を眺めると気になる文字をよく目にする。
その字は「迷」である。
普天間基地の移設問題では「迷走」を続け、子ども手当てや高校授業料の無償化など国会では「混迷」を極め、経済は「低迷」の一途を辿っている。また、朝の通勤時間帯に人身事故(たぶん飛び込み)など「迷惑」な事件が相次いでいる。どれもこれも、「迷い」だらけである。

 ただ、「迷う」ことはすべて悪いことではない。迷わない人間の方が良い人生を送れているかと言えば、必ずしもそうとは言えない。立ち止まって、考えれば何事も選択肢は色々ある。丁寧に考えるほど一層迷いが出てくるのは当たり前だ。しかし、迷うにも限度はあり、いつまでも、あれこれ考えて堂々巡りしていては、決していいことはない。今の鳩山政権がそのような迷いの中にいるように見える。

 参議院選挙を夏に控え、今週あたりから政治の方も動きはじめた。いままで冬眠状態だった平沼さんや自民党の中で燻っている与謝野さんなど春季に目覚めようだ。世の中の迷いを断ち切るキッカケがつくれるか、あるいは、さらに選択肢が広がり、益々混迷していくのか。

 世界の中で低迷し続ける日本。もう迷っている時間はない。ただ、色々冷静に考えると、日本人はベストを求めすぎているのかもしれない。そこそこ、ベターで妥協できない体質になっているようにも感じる。戦後、どん底から這い上がり、世界第二位の経済大国になったが、こんな成長はもうありえなく、今までのように世界中の富を独り占めできる時代は過ぎ去った事を自覚しなければならないのだ。まずそこで、つまづいているのではないか。

 日本人はいつまでも長い冬が続いていると思っているが、世界を眺めれば比較にならないほど、悲惨な国々がたくさんある。そう考えると現在の日本は天国に相当するぐらい平和で豊かな国かもしれない。
しかし、いつまでも日本は天国の特等席にいられるとは限らない。むしろ、維持し続ける方が難しいと思う。

 戦後、やっと実現した政権交代。活かすも殺すも国民しだいである。
ケネディー大統領が演説で、「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなた方自身が、国に何ができるかを考えてください。」という有名な名言がある。まさに今の日本が忘れている事だ。我々は、これを噛み締めていけば、現状の閉塞感から抜け出すことができるのではないだろうか。
鳩山さんも、就任の時はいいスピーチをしたが、もう一度、国民に向かって元気の出る、パンチ力のある演説をしてもらいたいものだ。ただ、政治とカネの問題で信頼をなくした首相が言っても説得性はないが・・・。

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自民党は本当に自壊するのでは。 [政治・政局]

自民党内では新党結成の動きがフツフツとしている。
今、自民党の中で何が起きているのか。
内側の姿は良く見えないが、外側は冴えないの一言だ。

国民の目に映る自民党の姿は、「子ども手当て」反対、「高校授業料無償化」反対。民主党の政策はとにかく反対。
民主党が強行採決をすれば、こんな非常識なやり方が民主主義がと怒りをあらわに国民に訴えている。でも、国民からすれば、強行採決はどちらが御株(おかぶ)かと言いたい。シラケてしまうのだ。また、不幸なことに、野党の公明党や共産党も賛成多数で、自民党だけが孤立している。つまり、自民党の対案が冴えなく、公明党や共産党などの支持が得られないと言うことだ。与党を長年やってきた割には、政策立案能力がパッとしない。そんな自民党に多くの国民はがっかりしているだろう。

しかし、自民党には優秀な中堅議員が数多くいるとはずだが、全然表にでてこないし、政権時代やりたい放題であった派閥の長も静かなものである。そうした点では、谷垣総裁はじめ、執行部はまだ頑張っているように思える。
自民党内では、谷垣さんが地味で迫力がないという意見も多いが、バックアップもせず批判と足の引っ張り合いばかりしている感じだ。これでは可愛そうで同情してしまう。

普天間基地問題については、民主党、社民党、国民新党は、あえて難しい問題にチャレンジしている。結果はうまく運ばないかも知れないが、乗り越えなければならない問題だ。自民党は、政権与党時代のいわば妥協案に固守しているようであるが、本当は県外、国外移転が目標だったのではないだろうか。日米同盟、日米関係を最優先に重点を置いたから、仕方なく沖縄県民に負担を強いて、あのような辺野古への中途半端な案に落ち着いてしまったと推測される。決してベストな案とは言えない。自民党員や国民全体も、その妥協案にモヤモヤが残っているのではないか。それならば、自民党も、もう一度チャレンジするべきであろう。
また、こうした問題は与野党協力し、日本国家としての姿勢を正さなければ、アメリカも真剣に考えを改めてこない。
今回は基地問題解決の最大のチャンスでもあると思う。そうした意味で、与党と野党は、本当に考え方を変えなければならない。たけしの番組のテレビタックルで、与党、野党の中堅、若手議員がよく激しい議論を聞くが、反対意見の言い合いもあるが、問題意識が同じで、互いに協力できそうな感じがするときもある。これを観ていると、この人達が政権の中枢になれば少し政治が変わるのかと期待してしまうのだが、主導権を握れる頃には、また今と同じような政治家になってしまうのだろうか。

若手、中堅の活躍を期待はともかく、今は新党結成がどうなるかだ。いずれにしても、自民党が自壊するのは時間の問題である。かつて、小沢幹事長が新進党で政権を取ったとき、あと1年政権が持てば、自民党は壊滅できたと話していたが、この状態を言っていたのかもしれない。いまはシナリオどうりなのか。

自民党が壊滅した後はどうなるのだろうか。民主党の安定政権になっても不安だし、政界再編でさらに良い方向に進化するのか心配だ。一歩先はまったく視界ゼロの状態である。

与党、野党の政治家は国民の生活を置き去りにして、とにかく国取り物語の世界で、パフォーマンスしているしか見えない。年齢関係なく、志のある政治家も、まだまだいると思う。国民は早くその人を見つけて、大きく育てなければこの国はとても持ちこたえられない。
すべては、我々国民の政治を見る目にかかっていると言えよう。
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今の日本は「自分達が良ければ病」だ。 [政治・政局]

 将来、今のかわいい子供たちは大きなツケを負わなければならない。
我々の世代が使いたい放題、無策に使った税金のツケである。
国の借金はどう考えても限界にきている。でも国民はまだ懲りていない。
高速道路、新幹線、ほしい物はまだまだあるようだ。

 いつか国家が破綻するかもしれないと言われているが、借金は止められない。借金ほど楽なものはないからだ。たとえ、政治に文句を言っても、本当の意味で国に協力しようと考えていない。実際、普天間の問題も、国民の大半は沖縄の地域問題と考えている。子ども手当てについても、もらえるものはもらいたい。本当に子供のために使おうと考えている家庭はどのくらいあるのだろうか。

 公共事業も、最初、民主党はカッコよかったが、国民の国に対するたかり構造に折れたのだろうか、人からコンクリートに逆戻りしそうだ。野党自民党も民主党を批判しても、本音は土建党だから、猛反対はしないだろう。税金使いたい放題で、政治家は地元に対して大手柄である。この国は、いったいどうなるのだろうか。何が間違っていたのだろうか。

 たぶん、現状さえ良ければよいという人達(特に年寄り)ばかりが政治を動かしているからかもしれない。
幕末や明治維新を動かした20代、30代の世代が中心になれば、きっと思い切った改革をするのではないか。
多少、苦難を伴うかもしれないが、自分たちの将来を真剣に見据えて行動をとるに違いない。

 年の大河ドラマは坂本龍馬であり、その生きざまが注目されている。「日本を洗濯したい」という龍馬の言葉は、まさに今の日本にも当てはまる。

 今の日本は、幕末、明治維新の時代に比べれば、国力もあり条件的には遥かに恵まれている。
民主党も、最初は平成維新くらいの覚悟で突き進むと言っていたが、その言葉は期待倒れであった。

 今の鳩山首相では迫力無さすぎかもしれない。豪腕小沢は国民受けされない。
国民は、清く、正しく、説明に誠実さがあり、国民に負担を強いらない人でなければ、日本の代表者として望まないようだ。でも、そんな人は国会議員の中で見当たらない。それでも、国民は追い求め続け、常に現実とのギャップに憤りを感じているようだ。

 しかし、政治家ばかり当てにしていても始まらない。その前に国民自体が自分たちの事よりも、将来の子供たちのことを本当に真剣に考えなければ、この国は良くならない。つまり、国ばかり攻めるのではなく、自分自身がどうあるべきか、苦しいこと、つらいこと、不合理なこと、耐えなければならないこと、そうした負の面も受け入れる覚悟をしなければならない。

 要するに自分さえ良ければという個人主義に慣れきった現在の日本、そこからの脱却が急務で、かつて我々の先代が培っていた公の精神を取り戻すことが重要ではないか。政治もそういう流れになっていけば、日本の再生も期待できるのではないか。

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八ツ場ダムの談合問題、しっかり追及してほしい。 [政治・政局]

新聞に久々八ツ場ダムの名前が出てきた。
談合の疑い・・・いわゆる政治と金の闇の部分である。

政治家に献金した企業が
95%以上の高値で落札しているとの事だ。
自然科学の実験では限りなく黒の判定になるだろう。
総額が約4600万円、そのほとんどは政権与党である自民党の関連議員に渡っている。

どうして、発注金額が漏れたのか。
それができるのは国土交通省の幹部か、あるいはその数字を承認している大臣しかいないのではないか。
官僚は、みずから数字を流すとは考えられない。
まず、政府筋からだろう。
そして、その情報をもとに族議員とよばれる生き物がうごめいているような気がする。

前原国土交通大臣が、胆沢ダムについても談合調査すると言っているから、
どうのような結果になるか注視したい。
いままで報道されているように小沢幹事長だけに献金が集中しているのか。
あるいは、ここでも政権与党の族議員が主役かもしれない。
八ツ場ダムと同じパターンになれば、自民党も、政治とカネで、審議拒否をしている場合ではない。
自分たちも一緒に反省しなければならない状況になる。
そうなる確率は極めて高いのではないだろうか。

政治とカネの問題は、もうウンザリしてきたが、
もういちど、談合の観点から調査し、
本当の膿を出しきることが大事かもしれない。

そうしなければ、また、同じことが続くし、
国民も、政治とカネの暗部について本当のことがわからないままになる。

メディアも小沢問題だけに固執せず、政界の大掃除のつもりで、
しっかりと追及し、再発できないように世論の目を厳しくしてほしい。
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民主党、自民党の若手・中堅議員、大人しすぎるぞ! [政治・政局]

 民主党、自民党の若手、中堅がおとなしい。

まず民主党、小沢幹事長に対する若手の批判も聞こえてこないぞ。
それから自民党、現在の執行部に不満はないのか。

民主、自民、どちらの若手も、選挙のときはみんな勇ましいことを言っているが、
組織の中にはいると実にこじんまりしてしまう。

 明治維新以来の激動の時代だといわれながら、今の政治家は実に絵にならない。
優秀な、頭の良い人間は沢山いるのだろうが、あの時代のように命がけで戦う人間はみられない。
自分の政治生命を巧みに計算しながら行動しているようである。
なんだか、職業として政治家をやっているようにしか見えてこない。

 いいか悪いかの議論はあるが、
大阪の橋下知事、名古屋の河村知事は大きな権力、壁に立ち向かい、
熱いエネルギーを感じる。個人プレーが強すぎる感じもするが、政治家はそのくらいあっていい。

 民主党も最初は期待していたが、
だんだん、組織の縛りが強すぎて、良い面が色あせてきた。
自民党も、下野したのだから、そんなに年寄り執行部にしばられることはないではないか。

 もっと、建設的な意見をどんどん提案し、若さ、活気のある国にしてほしい。

 民主党、自民党どちらの若手議員とも、もっと頑張ってほしい。

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自民党はあまりにさえない。どうにかならないのか。 [政治・政局]

 しかし、昨日の党首討論は実にさえなかった。

 討論内容について、あまりコメントする気になれない。自民党は何を考えているのだろうか。政治とカネを追求して相手の失態を暴き、また国民の目を自民党に向けようとする戦略なのか。

 そもそも、カネにダーティーな自民党が、きれいごとを言うこと事態、似合わないのだ。まあ、追求するのもいいけれど、本当はお前らの方がもっと悪い事していただろうと、殆どの国民は思っている。もっと自分たちの過去を自覚すべきであろう。

 国民はそんな事よりも、今まで培ってきた政策力に期待している。民主党の甘い考えを、現実的、かつ対比的な保守概念で厳しく批判し、互いに切磋琢磨しながら、日本の政治を良くしていくことを望んでいる。

 しかし、現実はそのかけらも無い。これでは、2大政党の意味が全くない。次の参議院選挙で大敗し、自民党が分裂して、さらなる政界再編を期待するしかないのか。とにかく、今の自民党では国がよくならない。

 民主党の体質を批判するよりも、自分自身をもっと厳しく戒め、本当に日本のことを考え行動してほしい。やっぱり、先の総裁選の人事で新旧入れ替えしなければならなかったのでは・・・。


タグ:自民党
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自民党。野党ボケの症状が進行しているぞ! [政治・政局]

 自民党は完全に野党ボケになったようだ。
 ついこの前まで与党ボケと言われていたが、谷垣総裁、大島幹事長、川崎国対委員長などの発言、コメントを聞いていると批判、揚げ足、最後ははき捨てるようなセリフ。それ聞いている国民は、あんたたち、そんな口をきけるのと言いたくなる。批判するのはいいが、なるほどといえるような代案はない。
非常にお寒い気分になる。

 しかし、自民党にも優秀な若手、中堅議員がいるはずであるが、全然、見えてこない。もっと執行部を痛烈に批判してもいいと思うが、なぜか元気がいい人が見当たらない。このままの状態が進めば、いまは野党ボケであるが、やがて認知症になり死に至る。つまり次の参議院選挙で大敗し、分裂、解党ということになりかねない。政界再編を狙っている人達には喜ばしいことかもしれないが、ますます日本の政治が劣化してくる感じだ。

 いずれ再編劇が起きても、いまの政治体質では、また同じボケ党ができる気がしてならない。民主党はまだまだ弱体であるが、党内の思想の幅は自民党よりはるかに大きいと思うが、まだまとまりを感じる。政権党であることも大きな理由であるかもしれないが、やはり若いエネルギーが党内を活気づけている。

 とにかく自民党に言いたいことは、いい加減に小沢幹事長の批判ばかりチマチマしていないで、いまの日本の抱えている難題に対して、かつての迫力のある政策力、実行力で大なたを振るってほしい。そうすれば、また自民党政権を望む声が増えていくことだろう。

タグ:自民党
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小沢マネーは、いったい何に使われているのか? [政治・政局]

 政治と金の問題。

 その最も代表的なのが田中角栄、金丸信の金権政治のスタイルである。
特に公共事業をはじめ、政治的に仕事を采配できる業界から、献金あるいは裏金を集め、
その巨額の金を使用して、選挙で勝ち抜くというパターン。
選挙は金がかかる。
逆に、金がなければ選挙に勝てないという神話が出来上がっている。

 前回の衆議院選挙で、国民はこの神話が崩れたと思ったのではないだろうか。
政治資金は政権与党の自民党と比較すれば、企業献金が殆ど入らない民主党はひとケタ額が少ない。
しかし、結果は民主党の圧勝である。
自民党への逆風が、民主党への追い風になったのは事実であるが、それだけで選挙に勝てたとは思えない。
民主党は、自民党以上に用意周到な準備があったからのように思える。
それが小沢幹事長の力(資金力)ではないだろうか。

 今回、大量当選した小沢チルドレン、小沢ガールといった面々を見ると、やけに政治家としては素人っぽい人が多い。政治家として資質がないというのではなく、業界や団体からの支援がなくて、よく当選できたというのが感心するぐらいだ。その業界臭さがないのが今の国民に受けたといえばそれまでであるが、おそらく、それだけでは選挙に戦えなかったはずだ。
私が推測するには、業界団体などのしがらみのないクリーンな人間を当選させるにも、何らかの多額な資金が必要である。それが、小沢マネーだったのではないだろうか。

 もし、小沢幹事長が、自分の私腹や権力維持のためでなく、日本の新しい民主主義のために金を使ったのならば、国民の見方も大きく変わるだろう。

 たぶん、次の参議院選挙でも、多くの素人候補者に多額の選挙資金が必要になることが予想される。小沢マネーなくして、今の民主党の資金力だけではどうにもならないのではないだろうか。

 薬害肝炎訴訟に取り組んだ福田えりさんのような、これからの日本を託すことができる新しいタイプの議員は、皮肉にも小沢幹事長の力なしには生まれなかったのかもしれない。

そう考えると小沢幹事長問題は非常に複雑な思いに駆らされる。

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