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カムカムエブリバディー、どうなる最終週の展開。 [趣味・娯楽]

久々に予告が気になる朝ドラだ。
 
ネタバレでようやく最後までアウトラインが見えてきた。やはりアニーは安子のようだ。
それにしても、なぜアニーに俳優でなく、歌手の森山良子を採用したのか。
もしかして、ジャズフェスティバルのステージで
オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ストリートを歌うシーンがあるのでは。
トミーと錠一郎の演奏で、るいと共に。
何かすごいハプニング、奇跡が起こるような・・・。 
 
 安子とるいの再会、岡山のジャズ喫茶で登場した、たちばなのおはぎ、実はたちばなは、再建されていたのか。また、あの戦災時のおはぎの少年は再登場するのか。
これから物語は予想を越えた展開で結末をむすびそうだ。
 
あと1週間。濃密な15分毎朝楽しみである。

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いよいよ桜の見頃な時期だ! [旅行・散策]

いよいよ東京でも桜の見頃な時期が来た。
靖国神社で開花宣言が発表(3月20日)されてから1週間。やや冷え込む日が続くもこの2、3日の温かさで、都心ではソメイヨシノの薄いピンクの景色が一斉に広がった。今週ピークを迎え、最高の花見ウイークになりそうだ。ただ、天気が下降気味で心配だが、逆に来週まで花もちするかもしれない。
 
しかし、桜という花は日本人にとって、ただ美しいというだけでなく、特別な意味をもった花のように思う。特に桜の咲く時期は、入園式、入学式、そして入社式など、人生の門出を祝う時期でもあり、また1年のスタートの時でもある。その年々に体験した嬉しいことや悲しいこと、楽しいことなども、桜の花の前に立つとふと蘇ってきたりもする。桜にはそうした不思議な力を持っているような気がする。
桜の花ことばは、「精神美」「優美な女性」「純潔」と言われているが、美しく、清らかさが象徴され、「優美な女性」は桜の品のある美しさが由来しているそうだ。言い換えれば色彩的な美しさを超えて、むしろ精神的、神秘的な美しさを表していると言えよう。
  
話は変わるが、この桜で1つ心配事がある。
いま街中になるソメイヨシノの多くは昭和40年代の高度経済成長期に植えられたものらしい。樹齢50年を超える老木が多く、寿命60~70年と言われているが、若手の樹のバトンタッチが進んでいない。どこの木を観ても、枝が朽ちてきているものが多く、あまり手入れもされていない。植え替えの場所がなく、切り替えが難しいのだろうがそうしないと、一気に果ててしまうような気がする。桜の手入れも役所任せなのだろうが、どうもやりっぱなし感がある。できれば民間など、桜を守る会のようなものを発足させ、そこが責任をもって運営すれば、これからも美しい桜の風景を維持できるように思う。
 
さて、東京赤坂もソメイヨシノが春の華やかさを運んできている。
昼時の散歩で、日枝神社を通りかかると鳥居の前に1本、それから階段を上り、本殿境内に行くと庭先に満開の桜が咲いていた。今日は良い天気で、何か良い運が授かるような気がしてお参りをした。
 
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 日枝神社の鳥居前と境内の桜

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城山かたくりの里を散策 [旅行・散策]

神奈川県相模原市にある城山かたくりの里、いまちょうど花の見頃の時期を迎えている。
カタクリの花といっても、どんな花か、思い浮かぶ人は少ないだろう。
ユリ科に属する多年草で、10~15cmくらいの花茎から直径4,5cmの薄紫から桃色の花びらを下向きに広げながらつつましやかに咲く、気品が漂う山野草である。
 
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カタクリの花
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カタクリの花の自然群生
 
ここは民間の方の所有地で、昭和50年ころからカタクリの花を自然群生保護として整備し、春の開花時には一般開放して、多くの人たちに鑑賞してもらっているという。
今日は妻と2人で、そのかたくりの里へ足を運んだ。この日は朝方曇っていたが、里山に入ると日が照り始め、ちょうど穏やかで暖かい花見日和を楽しむことができた。
 
ここではカタクリの花以外にもたくさんの春の花を観賞できる。里山の通路にそって植えられたサクラ、モモ、ミツマタ、マンサクの樹木など、ピンクや黄色や赤、白の色が溢れ、また下を観て歩いてみても、スミレや雪割草などの小さな花も楽しめる。春の花のオンパレードである。また耳を澄ませば鳥のさえずりも聴こえ、春うららな自然の中で心を癒してくれる。
 
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散策路にはミツマタや桃など花で彩られている
 
そうした中で、やはり主役はカタクリの花。里山のやや斜面のところにポツリポツリと群生している。
周囲の鮮やかな花々に対して、そのひっそり感と厳かな薄紫の色彩は、ちょっと神秘的な世界をくり広げている。この里には、小道の散策路があちこち歩けるように周回しており、1時間程度は十分楽しめる。地面は落ち葉が堆積しフカフカで、足に優しい。
 
年配の方には少し坂道が多く大変かもしれないが、ベンチも数多く設置されており、休みながらも鑑賞でき、自然をたっぷり満喫できる。だんだん数少なくなってきている里山のいなかの風景。車なら都心から2時間程度、ちょっとした自然観光スポットである。

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これで良いか、いまの食卓 [趣味・娯楽]

近所のスーパーマーケットに妻と買い物に行った時のことだ。
ひととおり買いものを済ませ、妻がレジで会計している間、その近くでぼーと周囲を見渡しながら待っていた。
昼どきで人は結構いる。年齢層はまちまち。全体を観るとやはり年配のおばさんが多いが若い女性や白髪頭のシニアの男性も目に付く。
  
暇なので、みんなどんなものを買っているのだろうとカゴの中を眺めていると面白いことに気づいた。
それは何かというと、家で料理しそうな人としなさそうな人がはっきりわかるのだ。
料理をしそうな人のかごの中は、新鮮な野菜や果物、調理用の肉や魚などで溢れている。いわゆる料理の素材を買い求めているのが良く表れている。一方、料理をしなさそうな人は、まず冷凍食品の袋がやたらに多い。それからスナック菓子、ペットボトルなど、すべてがビニール袋かパッケージに包まれている。野菜や調理用の肉や魚らしきものは見当たらない。もし野菜があるとすれば、パックに入ったサラダだろう。
 
極端だが、大きくこの2つの系統に分かれている。
おおかた年配のおばさん達は前者、若い人やシニア男性は後者。中には若い女性でも前者側にいる人もいる。
たまたま、私の前にいる30代の主婦らしき女性。まさに後者のパターン。偏見かもしれないが手作り料理にこだわる雰囲気は全く感じられない。その人の行動をしばらく観ていると、たくさんのレトルト食品をレジ袋に詰め込んだ後、そのまま近くの売り場に向かい、弁当4人分を買っていた。いやいやこれでは、ほとんど電子レンジでチンの食卓だ。どんな家庭なのだろう。
 
いつも、家族はこんな食事ですまされているのか。他人の家のことと言え、旦那はそれに満足しているのだろうか気になってしまう。子供たちにとってはそれが当たり前の食事かもしれないが、ちょっと寂しいのでは。
わが家は幸いにして妻が料理好きなので救われている。そうした家庭から比べれば、自分は幸せなのかもしれないと改めて妻への感謝を感じる。
 
さて、心配なのは、こんな加工食品や外で作られたものばかり食べていると、体に悪影響してこないのか。
少なくとも冷凍食品をはじめスナック菓子やジュースなども、添加物をはじめ甘味料など発がん性を危惧する化合物が満載である。そうした食品ばかりが毎日の食事であると体には絶対に良くない。
ただ、このような食卓は若い人ほど多いように思える。
 
確かにレトルト食品は手軽で、おいしく、コストも安い。とにかく便利だ。
それに対して、手作り料理は、手間がかかり、おいしさを出すのに一苦労、そして材料をそろえるのにお金もかかる。家事から解放されたい主婦にとってレトルト食品やパック入りの弁当、総菜は大きな味方に違いない。
 
でも、必ずその代償はある。健康という最も大事な代償で。
生きるということは、やはり食べること。
その本質をもう一度、見直すことが、いまの時代に求められているのではないだろうか。

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手作りパンで朝食を楽しむ [社会・生活]

最近、パン作りに凝っている。
きっかけは電子レンジを購入したときについていた取扱説明書。
パラパラめくると、レンジで作るレシピ集があり、そこに簡単パンの作り方というのがあった。
最初は妻から作り始めたが、思いのほか上手くいき、味も買ってくるパンと遜色ない。
ただパンの形は不揃いで、素人ぽっさは仕方がない。
でも上々な出来栄えだ。
次に私が挑戦してみたら、パン生地のこねりが良かったせいか、さらに上出来に焼き上げられた。
今回はパン作り5回目で、ウインナーを入れたロールパンに挑戦してみた。
ロールパンはやはり難しい。
見た目はあまり良くないが、味見をするとこれまた上出来である。
とくに焼きたてパンで食べるウインナーはとてもジューシー。
皮の硬さがちょうどいい。
あとは形をいかに整えるかだ。
次にまたひと工夫。まだまだ修行が必要。
しかし、電子レンジは便利な道具だ。
 
 
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素人のパン作りであるが、なかなか楽しいものだ。
明日の朝食は、このパンとサラダにひき立てのコーヒー。
我が家にとって贅沢なブレックファーストになりそうだ。

タグ:パン作り
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青山通り、高橋是清翁記念公園の散策 [旅行・散策]

東京赤坂の青山通り沿いに高橋是清翁記念公園というものがある。
カナダ大使館の隣で、一言でいえば地味な公園である。
ここはかつて明治から昭和の近代日本を代表する財政家、高橋是清の邸宅跡である。第4代内閣総理大臣としてよりも、大蔵大臣としての評価が高く、またアメリカでの奴隷体験、芸者の付き人、教師、相場師、銀山の経営、そして日本国家の財政と国を導く指導者として、波乱万丈生涯を送った人物である。今日でも不況が訪れるたびに、高橋是清の名が登場し、彼の経済再生の手腕が取りたざされる。
 
さて、この公園であるが、東京オリンピック2020に合わせて整備が進められ、少しくつろぎやすくなった。以前はなんとなく薄暗く、ここで起きた昭和の2.26事件(昭和11年に起きた日本のクーデター未遂事件、高橋是清はこの時に子の自邸で死亡)と重なり、どんよりとしたイメージが漂う感じがあった。今回の整備は何をどう変えたかわからないが、前よりすっきり感がでて居心地がいい。自宅の庭を公園にしてあるので、あまり敷地は広くない。公園の中央は池や石灯籠、石橋があり、趣のある日本庭園がつくられている。
それから、この公園の奥の小高い位置には、椅子に座った是清翁像がひっそりと据えられている。その表情は激動の時代から平和な今日の移り変わりを感慨深く見届けており、また現代日本の姿に何かを語ろうとしているようにも観える。またダルマ総裁とよばれ庶民からも親しまれてたそうだが、その表情には優しさと厳しさがあり、ほんのりと人間味豊かな人柄が窺える。
 
公園をぐるりと回ると、不思議な石像がいくつかある。これは古く朝鮮半島の王族の墓の守り神として祀られていた文官石とよばれたものらしい。戦前、庭園の置石として需要があり、朝鮮から大量に輸入されたと言われている。是清もこの学者、高官風の石像を好んで置いたのだろう。これを観て是清は何を感じ、何を考えていたのか、そんなことに思いを馳せてしまう。
 
公園内には大きな樹々に囲まれており、ベンチで一息、ちょっとした憩いの場である。
都会の歴史と静寂さを感じとれる心地よいスポットだ。 
 
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 都心の憩いの場、公園は青山通りの迎賓館の反対側、カナダ大使館の隣に位置する。
 
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 高橋是清翁像
 
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 公園内に幾つか配置されている石像、儒教の世界を感じる。

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「バカの壁」養老孟司さんの脳化社会の話を聞いて [哲学 思想 名言]

スマホのユーチューブで養老孟司さんの講演を観ていたら興味深い話をされていた。
養老先生といえば著書「バカの壁」で有名な方であるが、いまも書店の店頭に先生の著書がズラリ並んでいる。
かつての専門は解剖学者だったそうだが、脳の研究をはじめ、いまではその観点から社会問題についていろいろ提言をされている。特に現代人の「脳化社会」あるいは「都市脳」がもたらす弊害をリアルに批評し、「自然」の大切さを説いている。
 
今回の動画もそうした人間社会における問題提起であったが、特に印象深かったことに「空地(あきち)」について語られたことだ。空地とは、使ってない土地のことで、例えば雑木林などは、いまの社会では空地のひとつ。空いている土地は無駄であり、開発して建物や駐車場にした方が有効利用だというのが現代人の考え方。しかし、よく観れば、そこには鳥や虫などが生息しており、自然の豊かさが存在している。この脳化社会では、その自然は意味ないものととらえられ、当然のように自然破壊が進められていくのだという。
たしかに昭和の中頃まで、街の何もないただの空き地は、子供たちの貴重な遊び場であったが、いつぞやか、そうした空地にはすべてフェンスが張られ、子供たちの姿もめっきり観ることがなくなった。考えてみれば、子供たちが触れ合える身近な自然や空地は、みな大人たちの所有物になり、子供たちは塾やスイミングスクールなど人工的な環境に閉じ込められてしまった。まさに都市化、脳化社会の犠牲者である。
 
これは子供だけでなく、大人でも脳化社会にどっぷり浸かった人間が大半を占めている傾向がある。一見、分別のありそうな人に観えても、物事が思い通りにいかないと怒りをぶちまける人がいる。ああすれば、こうなる。これが都市脳の考え方で、いまの現代人の多くはこれに染まっているという。しかし、自然はそうならない。たいていは裏切られる。昔の人はそれを仕方がないと悟ったようだが、今の人はそれが許せない脳になっており、それがイライラや怒り、ノイローゼなどにつながるそうだ。自分も含めてそういう人が多いのは事実だ。
 
現在の資本主義の世界は、すべて価値観で測られており、その尺度で判断される。そうした思考が支配する社会には、人間味溢れる大らかさがない。特に最も上手くいかないのは「人間関係」。それは、「自然」である「人」と「人」の組み合わせ、だから上手くいかないのは当然であるという。
 
なるほど、と思わず頷いてしまったが、脳化社会における養老先生の話を聞き、その奥深さを感じるのであった。

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家庭菜園、スナップエンドウと玉ねぎ順調に成長。 [家庭菜園・農業]

ようやく春の兆しが高まってきたこの頃、我が家の家庭菜園も11月に植えた玉ねぎとスナップエンドウが順調に育ち始めている。
スナップエンドウは一時は寒さで枯れ始めていたが、3月になって脇から新芽が出始め、今は写真のように復活している。豆類は意外とたくましい。少し追肥をやり成長を楽しみにしている。4月ころには収穫できるだろう。
そして、玉ねぎであるが、これも順調。暖かくなり始めたら、ぐんぐん成長し、ご覧のとおり。
収穫は6月頃だから、まだまだ成長がはじまったばかり。
これも追肥を行い、あとは見守るだけ。
この2つは、比較的手のかからない作物であるが、植えるタイミングを外すと収穫がガクッと下がる。 
あとは水まきが大変であるが、雨が降れば2,3日は大丈夫。
次はゴールデンウイークにトマト、ナス、キュウリの作付けである。
いまから、土を耕し、堆肥をいれ、2か月間熟成させれば準備OK。
昨年は豊作であったが、今年もそう願いたい。
 
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一度枯れたスナップエンドウが復活
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玉ねぎの成長は順調。

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韓国のコロナ感染、異常ではないか。 [医療・厚生・食品]

韓国のコロナが爆発している。感染率は世界第一位。
当初はK防疫などいわれ、世界最高水準の感染予防の高さと感染率の低さを誇っていたが、いまはその逆だ。
毎日の感染者が40万人前後、重傷者は1000人を超え、死亡者も300人程度が続いている。
あまりの極端さに、韓国の人はどうなっているのかと思えば、何やらコロナのオミクロン株はただの風邪。恐れるに足りずという構えがほとんどのようだ。
ここまで開き直れるというのはさすが日本とは感性の違う国民だ。
しかし、この極端なデータも腑に落ちないところがある。
確かに、規制緩和政策を行っているといえども、会食は6人程度の縛りはある。
さらにこの感染状況下で8人まで緩和するそうだが・・・。
また、現在の韓国の街の様子も、みなマスクをしており、日本とはさほど変わらない。
ワクチン接種率も3回目が日本が30%程度に対して、60%と決して感染防止に手を抜いているようでもない。
むしろ、ワクチンをしっかり実施している国で、このような感染の高さはおかしくないだろうか。
朝のワイドショーで専門家の方が話されていたが、この韓国の状況をやはり規制を緩めたことと、
ワクチンがオミクロンでは60%程度の予防効果がないからだと説明していた。
これで納得させようとしているが、少し無理があるのではないだろうか。
この韓国の事例を整理すると
①ワクチン接種率は世界でも高水準(100人当たりの接種回数は世界で1位)
②日常の感染対策(マスクの着用、手洗い)なども高い水準
③感染規制、イギリスやデンマークほど解除はしていない。会食での人数制限を設けている。
その結果、世界最高水準の感染率。
また、対比する事例として、ワクチン接種率の低い、南アフリカや発展途上国では感染が極めて低い。
(発展途上国の多くは検査数も少ないから,あてにならないといえばそうかもしれないが、ただ南アフリカはそこそこのデータを取っている。)
非常に特異な事例であると考える。これについて、専門家は分析を進める必要があるのではないだろうか。
特にワクチンの効果、疑いたくないが悪い方向に作用していることも、ゼロではないように観える。
日本は現在、感染率が抑えられている方向にあるが、油断禁物である。
感染者数が増えれば、当然重症化、死亡者数も増加する結果になるため、いかに防ぐかが重要である。
急いで経済を回すことのみ進めば、取り返しのつかない事態も想定される。
とにかく賢い政策をとってもらいたいものだ。

タグ:コロナ 韓国
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カムカムエブリバディ、錠一郎いい男になってきたぞ。 [趣味・娯楽]

NHK朝ドラのカムカムエブリバディー、あと2週間、いよいよ佳境に入ってきた。
全体のストリーは割愛するが、主人公の安子、るい、ひなたの3代に続く物語の因果と謎が、ラスト2週間で解き明かされていく。このドラマの視聴者は、これまでのいろいろ気になることがいっぱいあり、それがどうなるか、待ちきれない気持ちで観ているのではないだろうか。私もそのひとりである。
そんな中、個人的に気になるのが、るいの旦那の大月錠一郎(オダキリジョー)。
彼はトランぺターを目指し、関西のコンテストで優勝して、プロへのチャンスをつかんだが、謎の病でトランペットが吹けなくなり、その道を大きく挫折した。
そのあとは、るいと所帯を持ち2人の父親として過ごすが、ドラマの中では特に定職に就くこともなく、家でぶらぶら。家計はるいの回転焼きの商売でなんとかやりくりしているようで、さえない男になっていた。
普通ならばダメ親父として、家族からはあしらわれるのだが、不思議に父親としての尊厳を保っている。
さらに服や風貌はビートルズのジョン、ミュージシャンのにおいは漂わせながらも、子供達には過去を明かしていない。ただ、いつも力は抜けているが姿勢や佇まいがよく、家庭の中で和やかな空気を漂わせて、家族から愛されている存在であった。
そして、ドラマの後半になるにつれ、さらに洋服のセンス、顔つきも洗練されてきており、
男としても魅力ある人間に成長しているのがうかがえる。
また、時折発する彼の何気ないひとこと一言が、物語の展開に大きく舵を切っているような気もする。
私の個人的な思いとして、主人公はるいやひなたであるが、錠一郎も実は隠れた主人公でなのではと想像している。一人の挫折した男が、最後に何かをやってくれるという期待を実現できるか。
最終的にどうなるかわからないが、トランぺッターの夢、あるいは音楽の夢が達成できれば嬉しいものだ。
あと2週間、久々にワクワク楽しめるドラマだ。

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銭湯で湯舟に入る前はケツぐらい洗え! [趣味・娯楽]

先日、スーパー銭湯に行った時のことだ。
風呂の中でボーとしていると、浴場の入口から数人の若者が入ってきた。
そこまではいい。そこからだ。
彼らは洗い場に目もくれず、湯船に一直線。そして、そのままドボーン。
尻も足も洗わず、湯につかってワイワイやっている。
マナーがなっていないぞ!と言いたかった。
 
そのあと、70代ぐらいの初老の人が入ってきた。
いくらなんでも、この年齢の人は体を洗ってから入るだろうと思ったが、
この人も湯船に向かってきて、桶を取って湯をすくい、体に一杯ザーとかけるとそのままゆっくり湯船の中。
この人は体を流したというよりも、熱い湯に急に入ると体に悪いから、慣らすために掛けただけだ。そのあとは5,6分使ってから洗い場に向かった。よく見ているとこのパターンで何人も繰り返している。
なんか、汚ねー!
 
こんな調子では、湯船の中は汚染状態、汚いばい菌だらけだ。
とりあえず、循環ろ過はしているのだろうが、湯温が38~40度くらいだと最も細菌が繁殖しやすい環境である。そのお湯につかって変な病気を移されないと良いが、おそらくそうしたリスクもあり得るように思う。
少なくとも白癬菌やなんかの皮膚病はウヨウヨだろう。
スーパー銭湯は不特定多数の人たちが使う、いわば公共施設である。
みんなが使うものは一定のモラルとマナーが必要であり、タダでなく少なくともそこそこのお金をはらっているのだ。これは客の問題かもしれないが、そうしたマナーを順守できるように温泉側もナビゲートしてもらいたい。
今回のケースでは若者だけではなく、いい大人までマナーを逸脱しており、すべての人がそうではないが日本人のモラルは相当低下しているのではないか。
今回は平日であまり人が多くなかったからある程度の妥協もしたが、休日の混んでいるときの湯船の湯を想像すると、とても心地よく入れそうにない。
もう少し格式のある温泉ならば、マナーも安心できるのだろうか。ふとそんなことを考えてしまう。
これは気にしすぎなのだろうか。

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ウクライナ(実世界)と戦争ゲーム(仮想空間)における危機感 [社会・生活]

毎日、ウクライナの悲惨な惨状が報道されている。
建物は爆破で焼き尽くされ、人々は銃弾や爆撃に怯えている。
大国ロシアが力ずくで侵略している戦闘状況を、ほぼリアルタイムでテレビ画像を通して目視している。
殆どの人は「こんなことは絶対あってはならない」と平和の大切さ、戦争への拒絶感を抱いているに違いない。
 
しかし、一方で危惧することもある。
同じようなテレビ画面、スマホの画面で、戦争もののゲームが流行っていることだ。
そこには最新鋭の機関銃やミサイル、戦車や戦闘機などを使って、相手陣地に切り込んでいく。目的は平和のかけらもない、ただ勝つための戦いである。そして勝利が数値化され、それが快感になる。
こうしたゲームで楽しんでいる人が大きいのだ。仮想空間とはいえ、戦争を楽しんでいる。冷静に考えると異常といえる。
現実の世界と仮想の世界は全くの別物であることは言うまでもないが、人間の精神の世界ではどうなのか、本当に分別がつくのだろうか。私はどうもこのようなゲームやドラマ、映画の存在に疑問を感じる。
実世界では絶対あってはならないことを、いくら表現の自由だからと言って、このようなものが世の中にあふれていることは非常に危機感を覚える。
 
もしかしたら、いまの若者たちは、こうしたゲームによって戦争に対するアレルギーがあまり高くないかもしれない。ゲームの中では守備側のウクライナではなく、常に攻撃側のロシアである。そのような感覚を毎日何回も繰り返していたら、どのような精神状態になるか。考えてみてもぞっとする。
しかし、いまの世の中、これが実体ではないだろうか。
平和な日本、いや世界中が仮想空間の中で、大変なことが起こっていることを、もっと自覚すべきであるし、この仮想空間の中に平和の心を芽生えさせ、育めるような仕掛けも必要なのでは。そんなことをつい考えてしまうほど、これからのデジタル社会に危機感を感じる。 

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時間にどう向き合うか。あきらめないことが大切。 [哲学 思想 名言]

哲学的な話になるが、
世の中ですべての人に公平にあたえられているものは何か。
それは「時間」である。
金持ちも貧乏も、身分に関係なく、同じ時代に生きていれば、みな同じ「時」のなかにいる。
ただ視点を変えてひとり一人観ると、与えられる時間の長さはまちまちだ。健康な人と重い病気に患っている人では生きれる時の長さは決して平等とは言えない。
しかし、その時間の質はどうか。
物理的に見れば、1秒、1分、1時間、時の刻みに違いはないが、それぞれ個人の心のなかで感じる時間は決して同じではない。たとえば、旅行で楽しい思いをしている時と、嫌な仕事で苦しんでいる時、あるいは夢中になって充実感のある時と暇を持て余している時では、時間の重みや濃度、質も違って感じるものだ。
 
最近、この時間についてよく思うことがある。
人生で成功した人、あるいは幸せと自覚して生きている人は、究極なところ、「時間の使い方」がうまかったのではないかと。昔から早起きは三文の得などことわざにあるように、時間の貴重さ、価値をわかっている人にチャンスや幸福の矢が飛んでくるように思える。人生一歩先のことなど、どうなるかわからない。しかし、悲観的な場面でも、どうにかできる可能性も十分あり得る。それを信じて進む人が、最後に信じた世界に辿りつくのではないか。
「あきらめない」、これが成功する人の最も口にする言葉だ。それには信念や精神論だけでなく、時間の概念も大きくはいっている。実行、行動、チャレンジ、これらはみな「時」を含んでいる。つまり、自分にとって、公平に与えられた時間をいかに有効に使うか、スマホとテレビの情報に振り回され、貴重な限りある時間を消耗しがちな現代の生活、どれだけ時間を大切にできるか、そのためには時間への自覚を強く持つことが、人生の大きな差になるのではないか。

タグ:時間
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腰痛はつらい。 [社会・生活]

このところ腰痛で苦しんでいる。
50代後半に、けっこう重い腰痛に罹ってから、年に1度程度、腰にズッキとくることがある。ただ、繰り返すうちに、その対処方法もわかってきて、この時は動かないで安静に、数日したら腰にやさしいストレッチなど、自分なりの回復の仕方はつかんできた。ただ痛みが発生すると「このまま続いたら本当にやばいぞ」という不安は頭から離れない。
 
今回も、ちょっとした不注意で、自宅の家庭菜園の作業中、中腰状態で土を掘り起こしたり、じゃがいもの種を植えたりしている途中に、ズキッと腰をやってしまったのだ。
その時は一瞬だったので、油断してその後も堆肥の掘り起こしや、キンカンの木の枝の剪定など余計な作業を続けてしまった結果だ。
少し痛みに気が付き、そこから安静状態にしたが、すでに手遅れ。どんどん痛みが増してきて腰が固まってきた。
そうなると、痛みは数週間コース。最初は一点の痛みであるが、2,3日すると足や頸椎の方に広がっていき、1っ週間目であるが、足や手に若干のしびれが来ている。
この状態がどのくらい続くか。とりあえず、腰と頸椎に温シップを貼り、炎症を和らげているが、毎日貼っているせいか、今度は皮膚がピリピリしてきている。
 
今回は医者に行っていないが、行けばレントゲン写真を撮られ、軟骨が飛び出し、神経を触っている。手術をした方が良いとアドバイスされるのが落ちである。
しかし、会社では腰痛の手術に失敗し、いつも腰を大きく曲げて歩いている人がいる。気の毒であるが悪い見本で、自分は絶対そうなりたくない。ということから、できれば痛みが引くのを期待し、時間をかけて養生することを選んでいる。仕事に支障はでるものの仕方がない。日頃の姿勢の悪さと運動不足が、このような腰痛を引き起こしているのはわかっているが、痛みがないときはつい忘れて、同じことを繰り返している。
とにかく健康第一、人間の体は内臓、血液系統だけが病ではない。骨や神経ももっといたわり注意が必要である。

タグ:腰痛
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ワクチンブースター接種、はたして意味あるか。 [医療・厚生・食品]

ワクチンのブースター接種、果たして意味があるのだろうか。
メディアに出てくる専門家の多くは、ワクチンを打てば重症化を防げるので、免疫力が低下している高齢者や基礎疾患のある方は直ぐにでも3回目接種が必要と言っている。いわば一般の健常者を含めて、ブースター接種すべきというのがいまの日本の一般的な考え方だ。しかし、世界で起きている現象を観るとやや疑問を感じる。
なぜなら、ワクチン接種率の高いヨーロッパ、アメリカ、さらに先を進んでいるイスラエルの感染状況は、決して良好なものではない。重傷者や死亡者も低く抑えられているとは言い難く、非常に手こずっている姿が浮かび上がる。一方、ワクチンが進んでいない発展途上国はどうかといえば、逆にそれほど大騒ぎをせずに、感染者も先進国と比べても数少ない。むしろ、ワクチン接種が高いほど感染者も増え、その波も大きくなっているようにも観える。
 
当初、このワクチンの説明では、コロナウイルスのトゲの部分、いわゆるスパイクたんぱくを、mRNAという人工的に配列を変えた遺伝子情報を体内細胞に注入し、疑似スパイクたんぱくを産生する、これまでにない新しい技術であり、それによって体内の中和抗体の数を増し、本物のウイルスからの感染を防ぐという話であった。ただ、このウイルスは変異を繰り返すと、トゲの部分も変わってしまい、変異前に作ったワクチンによる抗体が効かなくなり、感染防止効果が大幅に低減する恐れがあると指摘されている。まさに今回のオミクロン株はその指摘通り、武漢株から大幅に変異しており、抗体が効きにくいワクチンであることは明らかである。それと同時に、獲得免疫(免疫細胞の記憶)についても、変異すれば同様に効果は低下するほは必然である。
 
それでも3回目を進める意味はなんだろうか。しかも、3回目接種は、新しいタイプのワクチンではなく、武漢で始まった最初のワクチンである。副反応や副作用のリスクを冒してまで、接種する必要がどこにあるのか。これを打てば重症化しないと言っているが、東京と日本の毎日の感染データを観ても、それが本当かどうか、実に怪しい。
 
もうひとつ気になる点であるが、副反応というより、副作用の話をよく聞く。身近でも60代の男性であるがワクチン接種の2日後に亡くなった。死因について、家族から直接話を聞くことができなかったが、医者からはワクチンとの因果関係なしと言われたようだ。どうもしっくりしない。現在、ワクチンの副作用で亡くなった方は確か1500人を超えていると聞くが、恐らくそれ以上の方が因果関係なしで死者数にカウントされていないように思う。
 
いま、世界中でワクチンの疑念に対するネット投稿があるようだが、その殆どが随時削除されているという。日本でもワクチン反対を唱えている某大学の教授もその対象になっており、Googleやyahoo、ユーチューブなど大手インタネットメディアでは観ることはできなく、ニコニコ動画で何とか削除を免れているようだ。現代日本でも戦時中のように言論統制が行われているのは非常に驚きだ。ただ、事実なのは間違いない。
その先生の話を聞くと、ちょっとゾッとする内容(免疫不全になって癌になるリスクが増大する)だ。このワクチンの人体への影響について、これが真実となると取り返しのつかない問題だ。
 
このmRNAワクチンは人類にとって、夢の技術であるかもしれないが、まだ確立されているものでなく、また、安全性も実証されていないことも理解しなければならない。一般の人は難しいことはわからない。しかし、良い事ばかりでなく、きちんと、どのようなリスクがあるか、国や専門家は、みんなにわかるように説明する義務がある。
いま、12才以下の子供の接種が進められようとしているが、科学者、医学者はその安全性について、真剣に向き合い、答えを出してほしい。政治や経済の都合で決めてならない問題だ。
ズルズルと進んでいるワクチン接種。これはかつてない実に深刻な問題ではないか。

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赤坂豊川稲荷の河津桜 [旅行・散策]

ここは東京赤坂の豊川稲荷別院、いま正門とは反対側の塀内にある1本の河津桜がみごと満開を迎えている。赤坂御所前の青山通りから観るその色鮮やかなピンク色は、周囲の景色からひと際目立ち、一足早い春の訪れに心を和ませてくれる。
豊川稲荷は調べてみると江戸の稲荷信仰の中心地であり、あの有名な大岡越前公由来のお寺のようだ。
この豊川稲荷は、塀の周りを連ねる赤ちょうちんと背の高い立派なのぼり旗が特徴的で、洗練された都心の中で江戸時代の風情が同居する、何とも言えない趣きのあるスポットである。門をくぐり境内に入ると意外と敷地は狭く、お稲荷さん独特のきつね像と赤い鳥居の色、そして赤と白ののぼり旗に圧倒される。ちょっと不思議な空気が佇んでいる。
また、敷地には大黒天や恵比寿様、福寿禄様などの石像が祀られており、ここだけで七福神巡りもできる。たまたまお昼時に来たせいか、サラリーマン姿の人が多い。お参りも兼ねているのかもしれないが、都心の憩いの場のようで、くつろぐ姿が目に付く。この豊川稲荷、あまりメジャーではありませんが、赤坂に来たらぜひ立ち寄ってみるのもいい。
 
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 都心では一足早い河津桜
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赤坂豊川稲荷正門

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春の訪れ、イヌフグリの花 [旅行・散策]

今日は在宅勤務。
でも、ぽかぽか日和。ちょっと運動がてらに散歩に出た。
気温も心地よく、ちょっと早いが春うららな気分だ。
道端には青紫のちっちゃなイヌフグリの花。
ほとんどの人は雑草の一種として気にも留めないだろうが、道端にしゃがんで、よく観ると実に品のある、端正できれいな花だ。
この花は私のお気に入りで、これが咲いたら春のはじまりを意識する。
まだ道路の樹木は枝ばかり目立つが、新芽が息吹き始め、少し色合いが柔らかく、冬の厳しい景色から穏やかな風景になってきている。
ゆっくり、いろいろ観て歩くと春の気配がたくさん感じられる。
ふと、歩道のわきに目を移すと、朱色のボケの花が満開に咲いている。
これも視点を変えて、晴れた青空を仰ぐように観ると、
とてもビューティフル。思わずスマホカメラでカシャリ。
大げさでであるが、自然がつくる美に感動。
 
公園に行くと、まだ時期早々の桜が、1本満開に咲いている。
最初は梅かと思ったが、そばに近寄って眺めてもやはり桜。
間違いなくソメイヨシノだ。
なぜ、こんなに早く咲くのだろう。
とても不思議だが、それもいいではないか。
 
都会のオフィスで仕事をしていると春を知らずに過ごしてしまう。
コロナ禍で少し変わったことは、ささやかながら自然を肌で感じる機会が増えたことだ。
これまで、毎日の通勤と箱詰めのオフィス、そして仕事のことで頭がいっぱい。
在宅勤務で、その空間から一時的でも解放されたせいか、少し生活感が変わってきた。
これは自分にとって良かったように思う。
心の余裕というか、自分と向き合う時間も得られた気がする。
今日も30分程度の息抜きだが、自然と接することで気分が洗いなおされた感じになる。
 
さて、このブログが書き終えたら、ひと仕事だ。頑張ろう。 
 
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道端のイヌフグリの花
 
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歩道わきの満開のボケの花
 
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早咲きのソメイヨシノ。

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