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誰もいない歩道内で、警官の自転車走行の取締り、厳し過ぎないか。 [社会・生活]

つい先日の出来事、いつもの通勤道の歩道を自伝者で走っていると、突然、道路脇の物陰から警官が現れ、片手でストップの仕草。何事かと驚いて自転車から降りると、その警官が近づき、「いまお急ぎですか」とややまわりくどい口調で話しかけられてきた。
どうやら、歩道内の自転車運転禁止の取り締まりに引っかかってしまったようだ。
 
たしかに最近では、歩道を勢いよく飛ばして走る自転車をよく見かける。なかには電動式でバイク並みのものや、スポーツタイプで猛スピードがでるものなどあり、ぶつかれば大惨事につながる可能性もあり、それはいつも懸念しているところだ。
 
しかし、私の自転車の場合はこれとは違う。きわめて平凡なママチャリで自漕ぎタイプ。声をかけられたときには周囲に人はいなく、特にスピードを出しているわけでもなかった。自分では全く危険行為はしていないと思ったが、警察にはどうも抵抗しずらい。結局、身分証明書をみせて、とおり一片の注意と警告書のような紙切れを渡された。車ならば完全に交通違反で罰金の雰囲気だ。
今日は運が悪いと自分を慰めるものの、どうもしっくりしない。
 
歩道内を自転車で走ることは交通ルール上、違反であるが、あきらかに事故の危険を起こすような走りをしていない人に、そこまで改たまった取り締まりをする必要があるのか。取り締まりが終わり、自転車をひきながら歩道をしばらく歩るき、少し悔やみながら振り返えると、同じ場所でさっそく若い女性がつかまっているではないか。同じような尋問を受けているようだ。彼女も普通のママチャリで、どちらかと言えばおとなしそうタイプ。事故を起こすような雰囲気はまったく感じられない。警察も注意しやすい人を狙っているのかと、つい疑ってしまう。
 
でも警察は状況をもう少し考えてほしい。なぜ、この道の歩道を自転車が走るか。この道路は車が多く、車道も自転車が安全に走れるほど広いわけではない。それに比べて歩道は幾分広く、自分の身を守るならば歩道を走る。大型車など多く、車道を自転車で走るのは結構勇気がいるものだ。
 
自転車の位置づけは難しいが、車(タイヤ)がついていると言っても、車ではなく、どちらかと言えば歩行者に類するものだ。警察の2者択一的なルール指導は果たして人にとって安全、安心なものなのか。原則ルールはそれでよいと思うが、すべてを四角四面とせず、その場に応じた柔軟な規則対応をしてもらってもいいのではないか。ただ無謀な運転で自転車を凶器にするひとがいるから、こうした安全側のルールを、一律に遵守せざるを得ないのもわかなないでもない。一部の人の危険行為の阻止を優先するために全体の安全システムをゆがめているような感じもする。
こういう問題、何が正しく、何が間違っているのか、なにか矛盾に満ちている。自問自答に陥るが、日常生活において、モヤモヤすることが多い。 

タグ:自転車 歩道
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アナログ世代は寂しくなる時代だ。 [社会・生活]

昭和生まれ、昭和育ちの自分にとって、ちょっと寂しいことがある。
最近、街から本屋やCDショップ(レコード店)が姿を消していることだ。
自分にとって本屋は昔から欠かせない存在であった。最近は小説や新書など読むことも多く、本屋でぶらぶら本探しするのも楽しみの1つになっている。
  
子供の頃は漫画の本を買いたくても、お金がなくていつも古本屋で漫画雑誌を買っていた。当時(昭和40年代)は新刊の少年マガジンは60円、それが古本屋だと1週遅れで20~30円、1か月遅れだと10円で手に入った。自慢ではないが私の書棚は10円で買った漫画本でいっぱいに埋めつかされていた。そんな子供相手に商売をしている小さな古本屋や本屋が必ずどこの街にもあった。
 
それから、レコード屋。中学に入ると、ビートルズをはじめとしたロック調の洋楽や当時若者に人気のフォークソングに傾聴しはじめ、吉田拓郎や井上陽水などの新曲が発売されると必ず新しいジャケットを探しにレコード屋に行き、最新の流行に触れる満足感に浸っていた。いまはジャズ系の音楽が好きで、よくCDショップに立ち寄る。昔のLP盤のジャケットとは違うが、それでもCDジャケットの絵柄を観ているだけでも楽しい。
 
昭和から平成に入り、本屋はブックセンターに、レコード屋はCDショップへと姿を変えきたが、令和になるとそのブックセンターやCDショップも1店舗、また1店舗と消えている。いま自分の街では本屋がショッピングセンター内に1店舗あるだけで、かつての通った書店みな消えていった。いまやスマホで観るか、アマゾンで注文するか、時代はすっかり変わってしまった。
 
最近、わが家もアナログからデジタルに切り替えたものがある。社会人になってから40年取り続けていた新聞を先月止めてしまった。ニュース程度ならばスマホで十分知ることができる。そう思って止めたのだが、新聞の違った価値観に気づいてしまった。
 
それは茶碗をわってしまった時である。いままではすぐに新聞紙に包み、ごみとして捨てたのだが、その新聞紙がないのである。見回しても、茶碗を包めるようなものがなく、結局ビニール袋に入れたのだが、どうもしっくりいかない。また、玄関で花瓶の水をこぼした時、新聞紙があればすぐに吸い取ることができたのだが、ちょうど良いものがない。新聞というのは時事の情報を知るだけでなく、生活面で非常に役に立っていたことを痛切に感じた。
 
昭和や平成の始めの頃は、非効率で無駄の多い時代であったが、無駄のない効率的な時代になると、どうも味気無さが響いてきて、物足りなさを感じる。せめて、本屋とCDショップくらいは令和の時代にも生き残ってもらいたいものだ。

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通信障害だけでない。日本の危機管理は大丈夫か。 [社会・生活]

auの通信障害は復旧に予想を超えた時間がかかっている。
まだメドが立っていないというから、相当深刻な状況だ。まだ、ドコモやソフトバンクなど、通信手段が分散しているから、何とか世の中が回っているけど、もしも一律すべての通信手段が使えなくなったらどうなるのか。
 
これは通信手段だけでない。電気や水、食料、その他にも大なり小なり、ストップしたら大パニックになるものがいろいろある。そうした危機管理を、国はどこまで対策できているのか。
 
いま、参議院選挙で各政党、候補者が政策を訴えているが、いずれもこうした危機意識が低い。先ほど、家の前を通った選挙カーから聞こえてきたのは、「この国の経済力を強くし、もっと国民が豊かになるようにしたい。まだまだ経済は伸びる。また、お年寄りや子供たちに手厚く、弱者にもやさしい政治をめざしたい。」など相変わらずの耳障りがよく意味不明な言葉。こういう候補者を国会に送り込んで、日本の国は本当に大丈夫なのだろうか。
 
いまの日本は確かに豊かであるが、もしも国際的に何かが起こり、輸入がストップしたら・・・。
エネルギーや食糧をほとんど輸入に依存している我が国は壊滅状態である。少々の備蓄ではせいぜい数か月。そのためには、いま何をしなければならないのか。少なくとも、無駄に走る車や造り過ぎの建物内の冷暖房、賞味期限切れで廃棄する多くの食料など、いまの日本のシステムを改善していかなければならない。それ以上に輸入ゼロを想定して、いかに国民のいのちと生活を守るか、そんな政治を考えなければならない。
 
危機迫った状況の中、いまの参議院選の争点は平和ボケ。
いまだ人気取りの政治に終始している。
 
あぶないぞ!日本。

タグ:危機管理
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駅ホームで観た「無関心社会」 [社会・生活]

今日の帰りの通勤電車での出来事である。
帰宅時間帯に重なり、車中は足の置き場がないくらいの混雑で、私は吊り革に寄りかかりながら外の風景を観ていた。やがて、停車駅で止まり、対面側のホームをぼーっと眺めていた時だ。階段傍の壁にうずくまるように座り込んでいる女性を見つけた。年は30歳前後、髪が長く、黒い服を着ている。腕を丸めて顔を伏せ、どう見ても具合が悪そうだ。心配だけど、大勢の人が行き交う場所にいるので、当然誰かが声をかけるだろうと思いながら、ずっと眺めていた。
 
ところが・・・、いろいろな人が往来する中、いっこうに声をかける人はいない。
ただ、みんな気が付いていないかと言えば、振り向きながら通りすぎる人もいる。
少なくとも数十人以上の人たちが、彼女の前を通りすがっている。でも誰も声をかけていない・・・。
唖然としているうちに自動ドアが閉まり、電車が動き始めた。
 
ただ、ただ、うずくまる彼女が遠ざかっていく・・・。まだ誰も声をかける様子がない。
やがて車窓から彼女の姿が観えなくなった。
思わず、「ええっー!」とわが目を疑ってしまった。
 
その後、どうなったかわからないが、とにかく彼女の無事を願うばかりである。
 
世の中、「絆」や「安全、安心」という耳障りの良い言葉が溢れているが、この駅で観た情景はなんだろう。他人に対してあまりに無関心で、とても「絆」とか、「思いやり」という言葉を出すのが恥ずかしい社会、それが現実のようだ。
 
しかし一方で、自分があの場にいた時はどうしていたか。
率先して声をかけただろうか。
もしかしたら、誰かがやってくれると思い、通り過ぎてしまったかもしれない。あの大勢の一人にすぎなかった可能性もある。だから自分自身に対しても、幾分後ろめたさもある。
 
近年、インターネットが出現し、スマホ、SNS、AIなど、いわゆる情報化、デジタル化が、世の中を急激に変革し、人間優先から物質優先の社会へと大きな転換へと導いた。それに伴い、人のこころも、その変革の波に影響され、無機質で無関心な振る舞いをする社会に閉じ込められてしまったように思える。
 
今回の駅ホームの人々の無関心な空気は、いまの社会では驚くべき話ではなく、日常の普通になっているのかもしれない。もし、そうであれば、何とかしなければならない。いまだに我々は、生活の利便性や経済的な豊かさばかりを追い求め、それを政治に大きく期待している。ここらで人間として何が豊かなのかをもっと考える時期に来ているのではないだろうか。それには、我々自身が本当の豊かさに気づき、そして政治は方向転換するギリギリの時期に来ているように思う。
 
とにかくいまの日本は異常で、このままではいけない。
私が叫んでもどうにかなるものではないが・・・。
ただ、この駅ホームで観た小さな出来事から、いまの日本の無関心社会を憂うのであった。

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道路は車優先から、人のふれあい優先に。 [社会・生活]

今日は5月最終日曜日。この地域では年に1回の小枝切(ドブ浚い)の日になっている。
 
朝7時、家の外はガヤガヤと人の声で騒がしい。回覧では8時開始のはずだが、気の早い人はその前に活動し、それに釣られるように、ほかの人たちも出てきて作業を始める。ここ数年、8時には作業が終了している。
 
外に出ると、若い人たちがすでに道路側溝の蓋を開けて、中にたまったドブ砂を取り出している。わが町内、数年前に若い世代が何件か引っ越してきて、年齢構成もかなり若返った。とにかく、その世代が中心に動いてくれてありがたい。
そのうちに年寄りたちも出てきて、なんでこんな早くからと迷惑そうな顔をしているが、おそらく、今日は天気も良いので、早く済ませて、どこか出かけたいのだろう。それはそれで結構なことだ。
 
普段、近所の人たちとほとんど顔を合わせることはない。でも、この日は近所の人たちと確認し合える、貴重な日である。また、あまり顔見知りでない人たちとも、共通の作業をしていると話やすく、お互いの人間性を確認するには良い機会でもある。こうしたコミュニケーションは大切だ。
 
この小枝切、観ていると実に面白い。年配のおじさんたちは口と道具は貸すがあまり作業をしない。おばさんたちは最初のうちは一生懸命掃除をしているが、途中で井戸端会議。大声でペチャクチャはしゃいでいる。また、小さな子供も親の手伝いをしようと、砂場であそぶバケツとシャベルを持ってきてウロウロしている。
実際、本当に作業をしているのは一部の人たちで、ほとんどの人はその人たちの手伝い、いや参加しているだけかもしれない。それでもワイワイと雰囲気はいい。作業が終わった後は、みんなで「お疲れさま」といって引き揚げていく。とても和やかで気持ちがいい。
こうした光景は、かつての昭和の日常にはあったような気がするが、いまはこうした行事がなければ殺伐としたコミュニティーの中にある。
 
なぜ、普段が殺伐とした社会になってしまうのか。
できれば嘗ての光景をいまの時代に取り戻したい気分である。
あらためて、その原因を考えてみると、
 
車優先の社会が、人を道路から締め出し、地域社会を分断させたのではないだろうか。
小枝切が終わり、日常に戻ると、自宅前の道路はいつものとおり、車の往来で道端で井戸端会議ができるような状況ではなく、もちろん、子供がとても遊べる場所でもない。
 
50年ほど前に遡るが、この道は舗装されてなく、ほとんど車が走るようなことはなかった。だから、道には草が生え、歩きにくかったのを覚えている。また、友達とバトミントンをするために道路にネットを張り、親に叱られたこともあった。道路は遊び場であり、大人たちにとってコミュニケーションの場でもあった。
  
人との絆は、ネットやSNSだけで得られるものではない。やはり人が集える場、空間が必要である。その最も大切な「場」として、「道」があるように思える。
 
現代社会では、道は交通の効率性を高めることを優先しているが、それだけでなく、人とのふれあいや交流あるいは文化の場として位置づけることができれば、より豊かな社会をつくりあげることができるのではないか。
 
そのためには「道」に対する概念、まちづくりの中の道に対する位置づけを、もっと豊かなものにしていかなければならない。まあ、180度、考え方を変える必要があると言えよう。

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電車内で2組の親子連れの光景を観て・・・。 [社会・生活]

このゴールデンウィーク、観光地での電車は大混みであった。
特に遊んだ後、電車で立って帰るのはつらいものだ。
座席が空いたら座りたい。
そんな思いで吊り輪に寄りかかるように立っていると、
目の前には若い家族連れの4人が座っている。
 
2人の子供はまだ小さいが、両親の隣にゆったり座り、声を出してはしゃいでいる。
疲れていると子供の声がどうも耳障りだ。
できれば親に注意してもらいたいが、彼らはスマホに熱中し、その気はありそうにない。
子供たちも叱られることもないから、安心して騒いでいる。
時折、こうした光景に遭遇するが、疲れているせいか無性に苛立つ。
周囲はどうかというと私の横にいるおばさんたちは、子供たちの振る舞いに優しく微笑んでおり、私とは真逆の反応だ。余計にイライラしてくる。
とにかく日本人は子供に甘すぎる。ひとこと言ってやりたかったが、しばらくして、その親子は降りてくれた。
とりあえず、私も座ることができ、電車の中は幾分静かになった。
ほっと一息。
 
すると、向かい側に、同じような家族構成の外国人(欧米系)の親子が入ってきた。
子供も先ほど騒いでいた子と同じくらいの年である。また、嫌な予感がしたが、今度の親子は落ち着いている。
次の駅で彼らの前の席がどかっと空き、4人が座れる状態になった。
 
ぼーっと、彼らを観ていると、
今度の親子とはまったく違う展開である。
 
まず、子供たちが座席に座らないよう自分たちのそばに引き寄せ、
それから、自分たちが座席に着くと、その膝の上に子供たちを座らせた。
 
まさに座席は2人分だけ。
4人が立っているときよりも、省スペースかもしれない。
子供たちも親の膝の上にいるせいか、静かにしている。
 
先ほどの親子とはエライ違いだ。
 
おそらく、その国では当たり前の振る舞いかもしれないが、いまの日本ではなかなかお目にかかることはない。
 
周囲に気遣った配慮や子供のしつけと言うものは、日頃の習慣から現れるものだ。
かつての日本には礼儀正しさやしつけには厳しい国と言われる一面もあったが、長く続いた平和と経済的な豊かさが、日本人の心と精神を退化させてしまったような気がする。特に若い世代は自分主義で、他人に気遣う心を忘れている。さらに次の世代の子供たちはそうした親を観てどうなるのか。もっと自分主義が加速するのではないだろうか。
そんな将来の日本を危惧するこの頃である。

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電動ママチャリ、危ないぞ。 [社会・生活]

最近、ママチャリが狂暴である。
歩道を歩いていると、後ろからいきなりベルを鳴らしながら、子連れの自転車が自分に向かって突っ込んでくる。
ここは歩行者が優先であるが、向こうは子供がいるんだという強気の姿勢だ。
仕方なく、こちらが折れて歩道の端に寄り、自転車に通行を譲った。
特に礼を言うこともなく、また自転車を加速させ過ぎ去って行った。
よく観れば電動自転車、かなりのスピードを出してる。
 
もし、ぶつかっていればこちらは最低骨折の被害は免れない。自転車に乗せている子供だって転げ落ちて大けがをするだろう。大変な惨事になるところだ。しかしながら、母親は何を急いでいるのか分からないが、車道を走るようなスピードで自転車を運転している。少なくとも人がいるところは徐行運転が常識だ。
 
ただ、自分で自転車を漕いでいるならばノロノロで、人がいれば必然的に止まるだろうが、電動では全く感覚が変わってしまうのだろう。彼女自身のモラルの欠如か、あるいは機械が彼女を変えてしまったのか。
おそらくどちらにも問題があるように思える。
いま、街で電動自転車をよく観かける。値段もひと昔前から比べると、お手頃価格になっている。一見、ママチャリ、普通の自転車だが、実は原付バイクと変わらない性能である。
 
特に最近気になるのは、スマホを片手に自転車に乗っている光景だ。しかも、この電動自転車でスマホ運転。非常に危険である。できればそうした行為は罰金を科してほしい。
 
世の中、便利な方向にいくのも良いが、メーカーは作っても儲けるだけ。行政は見守るだけで、実態は放置状態。
  
この電動バイクは、坂道や長距離に運転する場合、重い荷物を運ぶ場合など非常に便利である。特に女性や高齢者にはメリットが高いと思う。しかしながら、機械化すれば、それなりの規制をしなければ、人にとって危険な存在になるのは必然である。メーカー、行政、そして使用者。それぞれに何らかの規制や、ペナルティーを課すことは必要ではないだろうか。
 
日常生活の中で、これは結構大きな問題と思う。

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手作りパンで朝食を楽しむ [社会・生活]

最近、パン作りに凝っている。
きっかけは電子レンジを購入したときについていた取扱説明書。
パラパラめくると、レンジで作るレシピ集があり、そこに簡単パンの作り方というのがあった。
最初は妻から作り始めたが、思いのほか上手くいき、味も買ってくるパンと遜色ない。
ただパンの形は不揃いで、素人ぽっさは仕方がない。
でも上々な出来栄えだ。
次に私が挑戦してみたら、パン生地のこねりが良かったせいか、さらに上出来に焼き上げられた。
今回はパン作り5回目で、ウインナーを入れたロールパンに挑戦してみた。
ロールパンはやはり難しい。
見た目はあまり良くないが、味見をするとこれまた上出来である。
とくに焼きたてパンで食べるウインナーはとてもジューシー。
皮の硬さがちょうどいい。
あとは形をいかに整えるかだ。
次にまたひと工夫。まだまだ修行が必要。
しかし、電子レンジは便利な道具だ。
 
 
DSC_0040.jpg
  
素人のパン作りであるが、なかなか楽しいものだ。
明日の朝食は、このパンとサラダにひき立てのコーヒー。
我が家にとって贅沢なブレックファーストになりそうだ。

タグ:パン作り
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ウクライナ(実世界)と戦争ゲーム(仮想空間)における危機感 [社会・生活]

毎日、ウクライナの悲惨な惨状が報道されている。
建物は爆破で焼き尽くされ、人々は銃弾や爆撃に怯えている。
大国ロシアが力ずくで侵略している戦闘状況を、ほぼリアルタイムでテレビ画像を通して目視している。
殆どの人は「こんなことは絶対あってはならない」と平和の大切さ、戦争への拒絶感を抱いているに違いない。
 
しかし、一方で危惧することもある。
同じようなテレビ画面、スマホの画面で、戦争もののゲームが流行っていることだ。
そこには最新鋭の機関銃やミサイル、戦車や戦闘機などを使って、相手陣地に切り込んでいく。目的は平和のかけらもない、ただ勝つための戦いである。そして勝利が数値化され、それが快感になる。
こうしたゲームで楽しんでいる人が大きいのだ。仮想空間とはいえ、戦争を楽しんでいる。冷静に考えると異常といえる。
現実の世界と仮想の世界は全くの別物であることは言うまでもないが、人間の精神の世界ではどうなのか、本当に分別がつくのだろうか。私はどうもこのようなゲームやドラマ、映画の存在に疑問を感じる。
実世界では絶対あってはならないことを、いくら表現の自由だからと言って、このようなものが世の中にあふれていることは非常に危機感を覚える。
 
もしかしたら、いまの若者たちは、こうしたゲームによって戦争に対するアレルギーがあまり高くないかもしれない。ゲームの中では守備側のウクライナではなく、常に攻撃側のロシアである。そのような感覚を毎日何回も繰り返していたら、どのような精神状態になるか。考えてみてもぞっとする。
しかし、いまの世の中、これが実体ではないだろうか。
平和な日本、いや世界中が仮想空間の中で、大変なことが起こっていることを、もっと自覚すべきであるし、この仮想空間の中に平和の心を芽生えさせ、育めるような仕掛けも必要なのでは。そんなことをつい考えてしまうほど、これからのデジタル社会に危機感を感じる。 

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腰痛はつらい。 [社会・生活]

このところ腰痛で苦しんでいる。
50代後半に、けっこう重い腰痛に罹ってから、年に1度程度、腰にズッキとくることがある。ただ、繰り返すうちに、その対処方法もわかってきて、この時は動かないで安静に、数日したら腰にやさしいストレッチなど、自分なりの回復の仕方はつかんできた。ただ痛みが発生すると「このまま続いたら本当にやばいぞ」という不安は頭から離れない。
 
今回も、ちょっとした不注意で、自宅の家庭菜園の作業中、中腰状態で土を掘り起こしたり、じゃがいもの種を植えたりしている途中に、ズキッと腰をやってしまったのだ。
その時は一瞬だったので、油断してその後も堆肥の掘り起こしや、キンカンの木の枝の剪定など余計な作業を続けてしまった結果だ。
少し痛みに気が付き、そこから安静状態にしたが、すでに手遅れ。どんどん痛みが増してきて腰が固まってきた。
そうなると、痛みは数週間コース。最初は一点の痛みであるが、2,3日すると足や頸椎の方に広がっていき、1っ週間目であるが、足や手に若干のしびれが来ている。
この状態がどのくらい続くか。とりあえず、腰と頸椎に温シップを貼り、炎症を和らげているが、毎日貼っているせいか、今度は皮膚がピリピリしてきている。
 
今回は医者に行っていないが、行けばレントゲン写真を撮られ、軟骨が飛び出し、神経を触っている。手術をした方が良いとアドバイスされるのが落ちである。
しかし、会社では腰痛の手術に失敗し、いつも腰を大きく曲げて歩いている人がいる。気の毒であるが悪い見本で、自分は絶対そうなりたくない。ということから、できれば痛みが引くのを期待し、時間をかけて養生することを選んでいる。仕事に支障はでるものの仕方がない。日頃の姿勢の悪さと運動不足が、このような腰痛を引き起こしているのはわかっているが、痛みがないときはつい忘れて、同じことを繰り返している。
とにかく健康第一、人間の体は内臓、血液系統だけが病ではない。骨や神経ももっといたわり注意が必要である。

タグ:腰痛
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今日は雪。在宅勤務で助かった。 [社会・生活]

今日は雪がしんしんと降っている。
しんしんとからぼたぼたに変わってきている。
それまで地面に着くと溶けて白い色が消えていたが、
このぼたぼたになってから、すごい勢いで景色が変わりつつある。
本格的な雪だ。
ここは神奈川県であるが、1年にせいぜい2回、数センチ積もるぐらいで、
記憶では10cm以上は10年に1回程度。
まだ降り始めでどこまでいくかわからないが、ちょっとわくわくである。
本来ならば通勤で大変な状況であるが、コロナ禍のおかげで在宅勤務が可能になり、
自宅の窓から外の景色を眺めている。
これまで東京のオフィスビルの人工的な環境の中で仕事ばかりに頭がいっぱいだったが、
在宅勤務が増えたおかげで、この2,3年、少し自然を観る余裕が出てきた。
コロナ禍で世の中真っ暗になった感じがしたが、すべてが悪いことばかりではない。
個人的には少し人間的な生活に取り戻せた気もする。
いや、人間的な生活に気が付いたといった方がよいのかもしれない。
こうして、仕事の合間にブログをかけるのも、在宅勤務ならではである。
さてさて、雪降る光景を楽しみながら、仕事を続けよう。
サボってはいられない。
実は今日は忙しいのだ。

タグ: 在宅勤務
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「友人」と「友達」どう違うか。 [社会・生活]

かれこれコロナ禍も2年が経過。その中、人とのふれあいが極端に少なくなった。友達から連絡がなく、自分からも連絡を取らないのは良くないが、そんな希薄な関係になっているのは寂しい限りだ。

そうなると自分にとっての友達は何人いるのか。実は本当の友達といえる人はひとりもいないのでは、と悲観的な思いが頭によぎる

でも、そんなことはない。誰かいるはずだ。具体的に友人の顔を思う浮かべようとすると、思い浮かぶのは不思議に昔の仲間、学生時代を共にした仲間だ。仕事で毎日のように顔を合わしている職場の同僚や飲み仲間は友達かといえば、ちょっと一線を引くものがある。「友達」というよりも、「友人」というカテゴリーに入ってくる。  

それでは、「友達」と「友人」はどう違うのか。普段、あまり考えたこともないが辞書で調べてみると、「友達」は、お互いに対等の関係で言いたいことを言って付き合える親しい人のことで、「友人」とは適度な距離を保ちつつ、お互い気兼ねなく付き合える他人のことを言うそうだ。まさに自分の中で、無意識に思っていたとおりの関係である。  

そう考えると、社会にかかわっている中では親しい他人は大勢いるかもしれないが、友達として本音で話せる人はそうそういるものではない。そもそも、大人になってから自分の裏表を隠さず、本音で話したことはあるだろうか。会社で仲の良い同僚でも、どこか壁をつくって接している。また、相手も同様であろう。子供の頃と違って、やはり損得計算する能力が長けた分、どこか人を色目で観てしまうのは仕方がない。それでは本音での付き合いはできないだろう。 

でも友達でなくて、「友人」でも十分ではないだろうか。ちょっとでも信頼がおける人がいれば、どこかほっと心がやすらぐ。強いて言えば、「友達」か、「友人」かというのはどうでも良く、大切なことは少しでも心や気持ちを通わせる人がいること、たとえ一人でもいてくれればありがたい。

それには自分自身が、心を通わす努力が必要で、相手の心を大事にすることだ。結局、「友」とは相手に求めるものではなく、自分が相手に共感をもたらすことで、お互いの心が響き合い、それが友の輪を広げる道なるだろう。雨降る庭を観ながら、そんなことを考えたりした。 


タグ:友人 友達
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通勤電車で新聞を読む光景が珍しくなった [社会・生活]

 昨日、通勤電車内で周囲を眺めていると自分の斜め
前で新聞を読んでいる人がいた。数年前までは、多くのサラリーマンの当たり前の光景であったが、いまは違和感を感じるほど珍しい。
  
また、その人の風貌が、令和、平成をワープして、まさに昭和の人。年齢は50半ば、髪の毛ボサボサ、黒縁の眼鏡、新聞の見開きもバサバサと折り曲げ、隣に座っている若い女性もやや迷惑がっている。普通のサラリーマンのようだが、このダサさは何だろう。周囲はみんなスマホ画面を黙々とみており、彼のそうした姿、しぐさが際立っている。
  
でも、スマホを淡々と観ている彼らより、この一風ダサい彼のほうが人間味と言おうか、ほっとする何がある。
  
 時代はアナログからデジタルへあっという間に変わってしまった。人の感性も同じように大きく変化しているのだろう。自分も古い世代の感覚が抜けず、いま流行っている歌や音楽やテレビドラマ、お笑いのネタなど、どうも馴染めない。彼のような昭和くさい人に会うとなぜか気持ちが和む。
  
昔はこのダサさが嫌で、スマートさを求めていたが、だんだん洗練された世の中になると、自分が時代に取り残されてるという危機感の方が大きくなる。そんな思いに駆られる人も、結構多いのではないだろうか。
  
しかし、視点を変えれば、あのダサいと思っていた昭和の時代が、実は魅力的で良き時代だったと、あらためて再認識し、それを大切に思う心が生じたように思う。
だから、朝の些細な場面が自分の心にちょっと嬉しい出来事に感じたのだろう。まあ、自分と同類を観ているような感じでもあった。

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大谷翔平と藤井聡太、2人の共通は。 [社会・生活]

大谷翔平と藤井聡太、この2人はいま最も注目されている若者だ。
 
まず大谷選手。
米メジャーリーグの夢のオールスター戦では、ホームランダービーや投打の二刀流で日米のファンを大いに盛り上げてくれた。まずはお疲れ様。とにかく、いつもにこやかで、女性から見ればチャーミング。男の目線でもたくましさと頼もしさ、そして、プレーをすれば人並み外れた豪快さと勝負強さで観るものを惹きつける。いまや辛口の。野球解説者でさえも絶賛するほど彼の実力と魅力は素晴らしく、同じ日本人として誇らしく思う。
 
それから藤井聡太。頼りなさげの雰囲気が漂っているが、彼も動じない性格だ。格上相手の対局でもいつも平常心。たとえ苦戦をしていても、どこか楽しんでいるように見えるのは、やはり人並み外れた才能があるからか。ベテラン棋士もみな彼の実力を認めており、新しいスターの出現に喜んでいるようにも観える。
 
2人の共通点は、いつも周りの人に気を使い、人に対する敬意を忘れない人柄である。先日のオールスターゲームでも、地元ヒーロー選手が登場した際、大谷選手がピッチャーマウンドから一歩外して、ほんのわずかなタイムであるが、地元ファンの声援に応える場をつくり、スタジアム全体を大いに盛り上げた。ちょっとした些細なことだが、なかなか出来るものではない。
また、藤井棋聖も対局で勝っても、常に相手をたたえる姿勢は忘れない。とにかく、自然体で愛嬌のある爽やかさが、彼のトレンドマークである。
 
いまの世の中、自分中心主義の人が多くなり、社会全体が分断し、閉塞感が進んでいる状況の中、この二人の活躍と心和ごむ人柄は、とても新鮮な気分にさせてくれる。
野球と将棋、どちらも厳しい勝負の世界。かれらはまだまだ若く、どんな記録、記憶をつくっていくか。
すでに歴史に刻む偉業を打ち立てているが、彼らのこれから築いていく新しい世界を応援していきたい。
そのためには、かれらの進む先を邪魔しないように、我々は大らかな気持ちで、そして暖かく見守っていくことが大事だと思う。

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ブタの蚊取り線香入れ、実にユーモラス。 [社会・生活]

梅雨頃からジメジメした天気が続くと、蚊が一斉に発生し始める。
マンションの高い階に住んでいる人たちは、あまり気にすることはないと思うが、地面があり、草が茂っているところがあれば必ず蚊がいる。窓にわずかな隙間が空いているとそこから侵入し、気が付けば何カ所も刺され痒みで気が狂いそうになる。とにかく、ちょっとの油断が禁物だ。
 
そこで、蚊取り線香の出番である。
いまの蚊取り線香は薬剤が入ったカートリッジタイプの煙が出ないものが主流になっているが、昔はどこの家でも渦巻き型の蚊取り線香が使われていた。まず、新しく買ってきた蚊取り線香の箱を開けると、金具の線香立てプレートが入っており、それ組み立てて皿にのせ、そして線香をそれに差してからマッチで火をつける。子供の頃、なかなか火が付かず、何本もマッチを擦った記憶がある。ただ、お皿に置いただけでは、火元の注意が必要で、蚊取り線香のそばで遊んでいると親からよく注意されたものだ。
 
そこで、安全性に配慮した蚊取り線香入れが、この陶器でできたブタの容器である。いま、しみじみ観ると実にユーモラスで、実用性にかなった完成度の高いデザインだ。とくにブタの特長的な鼻がないのに、大きな丸い口を開いているだけで、しっかりブタに見える。イヌやのやネコではない。どうしてだろう。とても不思議である。
 
このブタさん陶器は、たまたま、親の家を整理していた時に発見し、家に持ちかえって現在使っているものだ。あまりに愛嬌があるので、我が家では夏以外にもインテリアの1つとして飾っている。日本の工芸品も色々あるが、みやびなものばかりでなく、このような庶民の文化を感じさせるものもいい。私としては、これは立派な伝統工芸品と思っている。
 
このブタの陶器も、煙の出ない薬剤タイプのもの時代に変り、その役目が終わったことで、すっかり姿を消してしまったが、何か惜しい気持ちになる。実用品として生きる道は厳しいが、このユーモラスさと愛嬌を何かで復活できればと思うところである。
 
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コロナ禍、日本はいったいどうなるのか。 [社会・生活]

世の中がとてもおかしい。

緊急事態宣言が発令され、ステイホームで始まったゴールデンウィーク。しかし、驚く話が多い。まず呆気にとられたのが豪華客船飛鳥。たまたま1人の陽性者が見つかり、横浜港へ戻ってくるニュースを知ったが、300人近い人が乗船しているというではないか。大勢の感染者と死者を出したあのダイヤモンドプリンセスの事件以降、クルーズ船には数年は乗船する勇気のある人はいないと思っていたが、そうではない。人数は1/10かもしれないが、船の構造は密であることはかわりなく、前回同様、感染リスクは避けられない。

いやそれよりも、みんなが自粛している中、懲りずに旅行に行く高齢者層が多いことに驚く。若者の行動制限をいくら叫んでも、年寄りが好き勝手に行動していればなかなか示しが付かない。そんな状況がテレビで放映されている。

それから、オリンピックであるが、いまだにどうするかはっきりしない。

変異種の出現で感染はさらに拡大し、ワクチン接種が遅れている状況の中、医療現場はひっ迫しており、最近は一般の病気対応も後回しにされる状況だ。そこに海外から数万人の人たちが入ってきて、そのコロナ対応をしなければならないというのは非常にナンセンスである。だが声を大にしてオリンピック開催の中止を叫ぶ政治家はいないし、国民からも目立って反対を主張する人はいない。また、テレビ局も国民の意思を確かめるようなアンケート調査もしない。なぜか政府の思惑でウヤムヤな状況を引っ張っている感じだ。

基本的に日本は科学や技術が世界のどの国よりも進歩している国であるが、現実は非科学的な思考で物事が決まっている。何がどうしてなのかわからないが、全体的におかしい。

とにかく良い方向に進んでいる実感がない。一つ一つのことがスッキリしなく、ストレスが溜まっていく。一体どうなってしまうのであろうか、こんなことばかり心配している毎日である。


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在宅勤務で思うこと [社会・生活]

在宅勤務で運動不足である。会社にいると外の様子は気にならないが、自宅の居間でパソコンを開いているとなぜか周囲の動きが気になってしょうがない。

いまも家の前をいつもの若夫婦が歩いている。どこへ行くのか分からないが2人とも布製の大きな肩掛けバックを持っている。それにしても旦那は自宅で仕事をしている人なのだろうか。それとも私と同じように会社員で在宅勤務なのかそれならば、在宅勤務中、休日のように歩いているのもおかしいではないか。しかし、一日中在宅で拘束されるという縛りもあるわけでもないのだから、別に外を歩くぐらいいいじゃないか。そんな事をつい考えてしまう。人によっては、在宅の方が集中できるというが、私みたいに周囲に働く姿がないとピリッとしないシニア層が多いのではないだろうか。でも、通勤疲れがないせいか、結果を観ると仕事は程々にはかどっている。

以前、こうしたワークスタイルはとても考えられなかったが、このコロナ渦ですべての企業に働き方改革が一気に進展した感じである。うまくいく会社といかない会社もあるだろうが、それも時代の流れであり、世の中が大きく変わっていくのが実感される。

そんな変革期のなか、自分はどうなっていくのか。これまでの自分のスキルが十分に生かせながら働けるのか、わたしのようなシニアは良いが、まだ働き盛りの若い人たちはどのように考えているのだろうか。ふと、そんなことを考えながらの在宅勤務である。


タグ:在宅勤務
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元TOKIO山口達也、君はなぜそんなに意思が弱いのか。 [社会・生活]

 

元TOKIOの山口くんが飲酒運転で現行犯逮捕。

ワイドショーも夜のニュースも、専らこの話題で持ちきりである。

良い仲間や理解のある所属事務所に支えられ、復帰がささやかれていた矢先の出来事で、その期待もすべてが吹き飛んだ。

 

ザ!鉄腕!DASH!!が好きで結構見ていた時期がある。この時の山口君はメンバーの中でもアウトドア派でたくましく、彼がいるとちょっと無茶なことでも自然と格闘しながらなんとか乗り越えていける、そんなキャラクターの持ち主と認識していた。多分、あの中で一番カッコいい存在だったと思う。しかし、今回の一件は「カッコ悪い」を遥かに通り越し、「呆れた」の一言でしかない。

 

現行犯逮捕された映像に映っていた彼の姿は、坊主頭に黒っぽいTシャツ。かつての爽やかなイメージは微塵も無く、悪い仲間に染まっていたのではと疑ってしまう風貌。かわいそうであるが地に落ちたイメージが漂っていた。数年前の不祥事では、「あの山口君が!」と世間の多くが驚き、「もうお酒は絶対飲みません」という記者会見時の言葉に、「このバカタレが!」と思いつつ、「仕方ない、もう二度と酒で踏み外すなよ!」とみんなの優しい見守りがあったような気がする。今回はそれを完全に裏切り、大勢のファンを落胆させた。芸能界は夢を売る特別な世界である。それゆえ、普通の社会と違って、何回も同じ過ちは許されない。この世界からの退場を余儀なくされるだろが、それを受け入れなければならない。いいヤツなだけに残念である。

 

私の想像の範囲であるが、彼は、本当に支えようと応援し励ましてくれる人たちに対して、必死に応えようと酒を断ち切り頑張っていたと思う。しかし、世の中には支えようとしている人ばかりでなく、その逆もいる。「少しくらい、いいじゃないか。ちょっとくらいならば飲んでも大丈夫」と悪るふざけでそそのかす仲間も少なくないだろう。いいヤツほど、そうした言葉に弱い。アルコール依存症はその「ちょっと」が命取り。酒飲みモードのスイッチがしっかり入り、全開状態に陥ったのではないだろうか。

 

これはあくまでも推測であるが、誰かが彼の「頑張る意思」を突き崩したようでならない。 

結局のところ、意思が弱いか、自覚が足りないということになるが、人間というの実に弱いものだ。

今回の件は、アルコール依存症の問題だけでなく、飲酒運転という法的な違反がある。社会的ルール違反である。これはしっかり罰則を受けなければならない。そして、ファンや仲間に対しても謝罪は必要だ。

そうしたけじめをしっかり行い、こんどは違う人生を歩んでもらいたい。

第二の人生を考えれば、まだまだ若い。鉄腕DASHの時の笑顔をもう一度取り戻し、再出発してほしい。


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コロナ感染制圧はワクチンより簡易検査キット開発の方が有効では。 [社会・生活]

 

コロナウィルスは本当にワクチンで制圧できるのか。生物学者の話を聞くと、たとえワクチンを開発しても、すぐそれを超える耐性ウィルスが発生し、殆ど効き目がなくなると言う。確かにインフルエンザも、毎年ワクチン接種をしているけど、本当に効いているかどうか分からない。ただ予防したという安心感でそのシーズンを過ごしているが、振り返ればひどくはならない程度で数年に1回はかかっているような気がする。ひどくならないのはワクチンのおかげなのか、それとも自分の免疫力なのか、これもよく分からない。もしかしたら、殆ど効かないワクチンを気休めで接種しているだけなのかもしれない。 

ただ、今回のコロナも世間の人たちは、ワクチンさえ開発できれば、安心して経済活動ができると信じる人も多く、ほとんどがその期待に賭けているように思える。これまで歴史的に観ると人類はスペイン風邪やペスト、コレラなど強力なウィルスや細菌との戦いで、その都度克服してきており、悲観することはないと信じたいが、やはり今回のウィルスは手ごわい。ワクチンや薬の力だけで克服するのは無理がありそうだ。  

しかし、このウィルスにも大きな弱点がある。人に感染させなければ自滅するという性質だ。感染してから3~4日人に会わなければそこまでである。つまり、①感染したことがわかること。②感染したら、人に感染させないこと。この2つを徹底すればこのウィルスを撲滅することは可能だ。②は、よほど素行に問題のある人以外は十分注意して対処するだろうが、問題は①である。いまはPCR検査に頼っているが、もっと簡易的で価格も安く、すぐに検知できる方法が望まれる。日本の英知をかけてできないものか。ワクチン開発もよいが、まずは検査システムを充実させることに力を注ぐ方が、この感染撲滅に向けて有効なのではないか。

 


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ウイルスとの共存ではなく、打ち勝つ気持ちが重要だ。 [社会・生活]

 山中教授が、日本人は欧米人に比べてコロナにかかりにくい、ファクターXがあると言っていた。たしかに、あの緩い自粛規制で医療崩壊もせず、奇跡的に第一波を食い止めて、まずは成功したかのように観えた。
しかしどうだろう。自粛解除後から数週間が経ち、日に日に拡大する感染者数。今日は東京で280人を超え過去最高。全国的にもあっという間に広がりを見せ、日本人がコロナに免疫力があるとは到底信じられなくなってきた。
このウイルスはほんとうにたちが悪い。まるでどういう人間を狙えば、自分たちが効率的に増殖できるかを知っているようで、その筋書き通りにことが運ばれているように思える。
 そんな危機的状況の中、政府はGO TOキャンペーンの実施に向けて政策を進め、着々とウイルスの思うつぼの世界にはまり込んでいく感じだ。この数週間、動けば必ず感染が拡大しているのは実証済みであるが、それに目をつぶり、非科学的な経済的な思考で進んでいる。だれもがやばいと思いながら、嵐の中の船出の気分である。
 ただ、このウイルスの弱点は人と接しないことである。感染にやばいと思った人が10日間、人となるべく接しないように、またうつさないように心がければ自然に消滅していく。それを日本中の誰もが気をつけ、実践すればこのウイルスは確実に克服できる。それは分かったことであるが、人間社会なかなか難しい。常に人は様々なことは他人事であり、当事者意識が非常に足りない。まさに国や自治体任せでなく、自分たちが主体にならねばならないのだ。
 この国はプライバシーだ、自由の権利だといって、それぞれ個人を甘やかしすぎている。それらの権利を主張するのなら、それと同様の責任も負わなければならない。もしできないのならば、特例でもいいから、罰則を科すことも民主主義にあってしかるべきではないか。このウイルスは戦争と同じで、自分たちが滅ぼされるかもしれないという危機感をもっと強く、ひとり一人が思い抱くことが大事であろう。

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若者よ。もっと自覚せよ。 [社会・生活]

 いま日本は危機に直面していると言って過言ではない。コロナ感染者の数が倍々に増加し、今日の東京では連日の200人越え、しかもこれまでの最高値をマークした。新宿、池袋のホストクラブから始まった感染劇はあっというまにその周辺に拡大し、首都圏をはじめ全国各地に散らばりを見せている。5月に緊急事態宣言を解除してから、ジワジワ感染者が増加しているが、その内訳の殆どは30代以下の若者である。2か月の自粛から解放され、のびのびしたい気持ちはわかるが、羽目を外して遊びまくるのはやめてほしい。

 このウイルスがどれほど恐ろしいもので、自分たちの生活、いや人生をどれだけ狂わせるものか、その自覚無しの行動が日本中を恐怖に巻き込んでいる。こうした若者の行動に対して、大人たちもおとなしく、誰も本気で叱る人はいない。せめて、政治家が、この事態を認識してしっかり怒らなければいけない。いま、このコロナの戦いはいま若者たちの自制にかかっていると言っていい。彼らの行動の自覚が、感染第2波を防ぎ、経済との両立を実現できるか、まさにその試金石にある。

それから、もうひとつ訴えたいことは、接触確認アプリの活用である。先日のニュースで陽性者の登録がたったの3名と言っており、愕然とした。おそらく、市中に出回った感染を抑制できる手段としては、このアプリ以外に有効な手段はないのではないか。特に若者のスマホ活用率は100%に近い。もし彼らがこれを気にしながら行動すれば確実に抑制できることは間違いない。なぜ、科学の力を最大限活用できるようにしないのだろうか。プライバシーの保護や個人の自由も大事であるが、このアプリでそれが覆るわけではない。政府や有識者なども、このアプリの普及に言及することなく、メディアにいたっては冷めた報道ばかりだ。あべのマスクの二の舞であってはならない。いまは国家の危機であり、できることはすべてやらなければ、このコロナ戦争に負けてしまう。政府の批判ばかりしているのではなく、国民一人一人が自覚をもって、できることをしっかり取り組んでいかなければ、未来は決して明るくならないだろう。


タグ:若者 コロナ
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コロナ情報、「感染経路不明」は曖昧過ぎる。 [社会・生活]

今日も東京のコロナ感染者は100人越え。最近の内訳を観ると20~30代が7~8割、また濃厚接触者が6割、感染経路不明というのが4~5割を占める状況になっている。
問題なのは、この「感染経路不明」である。
「不明」と一括りにされているが、本当に心当たりがなく不明なのか、それともいくつも密な空間で行動して、どこが感染したかわからないのか、あるいは夜の街関連での遊びを言いたくないがために不明としているのか、それによっては「不明」の性質が全然違ってくる。また、感染経路不明者がどのような人たちなのか。会社員なのか、それとも学生か、あるいは飲食や遊戯に関係する人たちなのか。あまりにも情報が漠然とし過ぎて、不安になるばかりである。こうなると電車に乗るのも恐怖であるし、免疫力が低下した中高年としては、若者と接するのも非常に警戒してしまう。
プライバシーの保護を尊重するのもいいが、やはり国家は国民の生命の安全を守るのが第一である。何を優先するべきか、みんなが納得できる対策を施してもらいたい。
また、新宿、池袋という地域を言うのも良いと思うが、実際に問題なのは一部の店のクラスターである。まじめに感染対策している店も、ずさんな店もこの地域一帯で括られるのもちょっと問題である。
ただ、いまはクラスターが発生したら、モグラたたきではないが、一つ一つつぶしていくしかない。おそらく、感染者はその地域一帯に広がりつつあるので、やむを得ない面もある。
とにかく、感染者を見つけ出し、隔離するしか方法はない。PCR検査の徹底と接触アプリを最大限に活用していくしか、この状況を抑え込むことはできないのではないだろうか。
経済と感染防止を両立するためには、多少の痛みや無理な協力もしかるべきである。
そのためには政治がリスクをとって、決断しなければならないだろう。
海外の状況を観れば、感染拡大がどれほど悲惨か、十分に知らしめられた。ならば、そうならないための方策を早く実行すべきであろう。

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リニア新幹線、掘削した土はどこに処分? [社会・生活]

2027年の開業を目指すリニア新幹線。すでに駅舎やトンネルなどの建設が進んでいるが、静岡工区のトンネル工事が静岡県の許可が下りず、27年の開業は難航しているようだ。私自身、リニア新幹線について、あまり興味はないが、ひとつ気になることがある。

それは何かというと、トンネルを掘った時の「土」である。

あれだけ大きな穴で東京から名古屋、大阪と日本を縦断するのだから、膨大な量の「土」、「砂」、「岩」が排出されるのは容易に想像できる。おそらく、東京ドーム何個分というレベルでなく、東京で言えば高尾山に匹敵するぐらいの土量は出るのはないだろうか。では、いったいその掘削土をどこに処分するのか。いま埋め立てるだけの海もないし、山に捨てられない。環境を破壊せず、処分できるところはどこか。インターネットで調べても、その答えは出てこない。(国家的事業であるから適切な処分がされていると信じるが・・・。)

最近、家の近所の広い雑木林が伐採されて、これから住宅地の開発が行われるのかと思いきやその敷地に大型トラックが毎日土砂を運び、見る見るうちに赤土の山(およそ2階建て位の高さ)をつくり上げてしまった。周囲は住宅地であり、当然、行政の許可をとってやっていることと思うが実に異様な光景である。私はこの赤土の山は、もしやリニア新幹線のトンネルで掘削した土ではないかと密かに勘ぐっている。もしそれが本当だったら、とんでもない迷惑な話である。

原発の時も、電力の安定化ばかりが騒がれて、核燃料棒の廃棄処分のことはほとんど知らされてこなかったが、今回のリニアも便利さばかりが追求され、掘削土の話はひとつも出てこない。原発とリニア、何か共通した話のように思えてならないと考えるのは私だけだろうか。


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若者のコロナ対策には接触確認アプリの活用が最も効果的では。 [社会・生活]

今日も東京でのコロナ感染者は100人越え。長い自粛でやっと抑え込んだのも束の間、また3月後半の振り出しに戻った感じである。先週までのテレビのニュースでは、自粛解除からようやく街に人が戻り、飲食店や店舗なども徐々に活気を取り戻りつつある様子や観光地の賑わいなどが報道されていたが、この数日で一転し、状況は深刻化しつつある。

特に東京の繁華街、特にホストクラブやキャバクラなどの夜の街は感染者の3割近く占めており、ここからの感染の広がりを早く遮断しなければ本当にヤバイ状況に陥りそうだ。まだ、クラスターの発生も狭い範囲内なので、いまのうちに夜の街関連者のPCR検査を徹底し、陽性者の隔離や発生源となった店の営業自粛など、早急に手を打たなければ、第2波の引き金になって、また日本全国を巻き込んだ大自粛生活に戻ってしまうかもしれない。11日が勝負時である。

また、若い世代の感染者もどうにかしなければならない。全体の7~8割が2030代を占めているそうだが、本人たちは抵抗力、免疫力もあり、また自覚のないまま人と接触して、感染を広げていく可能性が高い。若い世代同士の接触だけなら良いが、いずれ高齢者や健康的な弱者にも感染が及んでくるのは間違いなく、この対策は急務である。

私は、この若い世代の感染対策として非常に有効なものが、接触確認アプリの活用と思う。しかし、このアプリの評判はあまり芳しくない。国や行政もあまり宣伝に力を入れていないだけでなく、マスコミもほとんど相手にしていないように思えてならない。そもそも、個人情報保護が尊重のうえ開発されたアプリであるため、陽性者が自ら陽性であることをアプリに登録する義務がなく、登録を拒めばその人からの感染情報は皆無となる。そんなことでこのアプリに対する信頼性は極めて低く、アプリの普及が進まない理由であろう。しかしながら、自分が感染者と接触していたかどうか知る手段として、ほかにどのような方法があろうか。まさに最先端の科学でコロナを封じ込める有効な手段としては優れものに間違いない。若者は常にスマホの活用しており、彼らがそれを観て自分の行動に気を付けるだけでも、その効果は大きいものと考える。たとえ、そのアプリが完全なものでなくても、いまは如何なる方法を用いても、コロナに打ち勝たなければならない。悠長にしている場合ではないのだ。

メディアもこのアプリを馬鹿にするような報道ばかりでなく、もっとみんなに活用を促し、最大限の効果を発揮できるようにしてほしい。いまの日本は批判ばかりして、自ら自分を不幸にしているようしか思えない。もっと、前向きに考えられないものか。


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ゴーン被告と日本の司法制度 [社会・生活]

 ゴーン被告の逃亡劇は衝撃的なニュースであった。
法を無視した許しがたい行動のはずが、ゴーン被告のレバノンでの会見で日本の司法制度に対する批判側に世界中の関心が集まってしまった。自分が全く無罪で、日本の野蛮な司法制度の犠牲者であるという印象を見事に演じた。さすがプレゼンの天才カルロスゴーンである。
 昨日はBSプライムニュースに森法相と高井弁護士が出演して、日本の司法制度について解説していたが、確かに日本の制度は誤解されやすく、彼はうまいところを突いてきている。
 大雑把に言えば、海外は容疑の可能性があればとり敢えずでも逮捕し、それから取り調べをして有罪、無罪を決めていく。当然、有罪でない人も多く網にかかるわけで、推定無罪を軸にする必要がある。ある意味、逮捕ありきの司法制度であり、これはちょっと違和感を感じる。しかし、日本では逮捕という行為は日本の社会において非常に重いもので、よっぽどの有罪の確信がなければ警察は逮捕に踏み切らないという。であるから推定有罪に進むのは必然的な姿になり、検察には絶対的に逆らえないという権力的なイメージもついてしまう様だ。
しかしながら、どちらの方が人道的な司法のあり方か、メリット、デメリットを踏まえると、なかなか答えは出にくい。
 ただ、日本のマスコミは日本の制度の弱点や世界の潮流から外れていることなどへの批判が多く、海外から非人道的で非近代的といわれても仕方がないという自虐的な記事も多くみられた。
確かにそのとおりであり、その事実もあろうが、ただ日本人のその謙虚さが、世界中から見下されるような気がしてならない。もっと、マスコミは自国に尊厳と誇りをもって発信する姿勢も必要と思う。とにかく日本は犯罪率も低く、世界第一級の法治国家であるのは間違いない。そこは大いに主張すべきところと思う。
話をゴーン被告に戻すが、今回の行動は、法を犯しても(いかなる手段を使ってでも)、自分の都合を貫き通す人間であることが立証されたのではないだろうか。表の社会では考えられないような手法で脱走が実現された。しかも、見えない組織を使ってである。少しづつ実態が明らかになってきているが、世界的な経営者というだけでなく、別の世界でも只者ではない人物像がはっきりみえてきた。
今後、どのように展開していくかわからないが、まったく想像を絶するサプライズな結果になりそうな予感がする。

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終戦記念日に思うこと [社会・生活]

  台風の嵐の中、終戦記念日を迎えた。国民のほとんどが戦争を知らない世代になり、本当に歴史上の出来事になってしまった。毎年8月を過ぎるとテレビは、戦争の重々しい番組が多くなり、気分的にちょっと暗くなりがちであったが、今年はいつもの年よりその数が減ったような気がする。 

 

 いまの若い人たちにとって、昭和初期の戦争は遠い過去の出来事で、ほとんど実感のないものだろう。戦争のイメージも、ゲーム感覚でしか考えられないかもしれない。しかし、世界中を観れば、至るところで紛争が絶えず、戦争のリスクは日に日に高まっている。日本だけは平和であり続けると思っている人が大多数であろうが、果たしてそれを信じても良いものか。

 

日本の周囲も決して穏やかではない。北朝鮮は定期的にミサイルを打ち続け、中国やロシアは軍事境界線を越える行為を頻繁に繰り返している。また、同盟国であるはずの韓国は相変わらずの反日運動で、戦後最悪の関係に陥っており、とても安心できる環境ではない。第二次世界大戦が勃発した時のような切羽詰まった状況はないが、一歩間違えれば紛争に発展するような空気は常に漂っている。

 

問題は、いまの若い人たちが平和をどのように考えているかだ。今年で戦後74年、これまで昭和世代が終戦の空気を感じつつ、戦争体験者の声を聞きながら、平和に対する姿勢をそれなりに引き継いで来たと思う。しかし、平成以降の世代は違う。全く平和で安全、そして豊かな国に生まれ育っている。その中で厳しく、つらい戦争体験など実感できるはずがない。恐怖や不幸を煽っても、危機感がなければズシンと心に響くことは難しい。

 

しかし、若い人たちへのそうした平和の受け継ぎが絶望的かといえば、必ずしもそうではない。例えば、現在、日韓関係は政治レベルでいがみ合っているが、アンケートによると日本の若い世代は必ずしもそれに引きずられていない。韓流やK-POPなどの韓国文化が好きというのが政治的な感情よりも優先され、あまりポピュリズムに陥らない傾向がある。つまり、心の交流であり、平和を維持する大きな力でもある。

 

 国と国どうしは、どうしてもメンツとパワーゲームになりがちであるが、やはり個人同士の意思の疎通や交流がベースになることが望ましい。かつて中国でも反日運動が激しい時期もあったが、これだけ多くの人々が観光で訪れ、日本人や日本文化に触れあうことで、今日の日中関係は様変わりしたように思える。まだ根強い反日感情もあるが、大きな意味での相互理解が生まれている。

 

ただ、最近の日本の若い人たちに心配なこともある。あまり海外旅行もせず、邦画ばかりで海外映画もあまり観ないと言われている。生活もスマホ中心で世界観が限られ、やや閉鎖志向が強いことだ。安全、安心の世界にはまり良くない傾向である。

 

やはり、色々な人たちと交流し、さまざまな価値観を共有していくことが、平和の根源ではないだろうか。戦争の悲惨さを伝えることも大事であろうが、そうした本質的な精神をいまの若者に広めていくことも我々昭和世代の責務かもしれない。

 


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ジメジメしたこの時期、夏場の対策を。 [社会・生活]

 毎日、雨が続き気分もジメジメしてくる。

雨もたまには良いが、こう毎日つづくといろいろなところで問題がでてくる。まず、洗濯物が乾かない。そのため、家の中に干している状態になり、家じゅうがむれた匂いで臭い。さらに、その湿気で家の中の湿度が高まり、台所の流し台はヌルヌル、風呂場や洗面所の至るところに黒カビの発生が目立つようになった。そういう状況の中では、食べ物などもすぐに冷蔵庫に仕舞わないと腐ってしまいそうだ。まあ、梅雨の嫌なイメージそのものである。でも、このジメジメが終われば、カァーとした真夏が到来する。そして嫌な台風シーズンでもある。

  今年はどんな夏になるのだろか。毎年のように気温や雨量の最高記録が塗り替えられている。この頃は涼しいはずの北海道が本州より気温が高いという、いままでの概念をひっくり返されるようなことが起きている。これから日本全国が異常気象と熱帯気候に突入するのか。しかし、自然のことはまだまだ予測はできない。

 何より自然災害がないことを祈る。台風や豪雨、地震、あるいは干ばつや熱中気候もあるかもしれない。何事もなければよいが、この夏場はそうした自然災害のひとつの山場になるのは間違いない。いまは鈍よりとした、やや平穏な状況だが、そう考えるといろいろな備えも必要だ。とにかく、この夏を無事に過ごせるよう、今から心がけていくことが大事である。


タグ:梅雨 災害
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ストレス社会、心に遊びと余裕が無さ過ぎ。 [社会・生活]

 最近、すぐキレる人が多い。昔はいなかったかと言えば、キレる人はいたけどいまほどではなく、キレる人の種類も違ったような気がする。ややっこしいが、このキレる話に納得する人も多いのではないか。

 ついこの間、駅のホームで40代の中年男とその人よりやや年齢上の男性2人が掴み合いなって揉めていた。何が原因だが知らないが、恐らく些細なことで一人がキレて、もう一人がそのキレた人の行為に対してキレたのだろう。駅員が止めに来て、少し静かになったが、一歩間違えばホームに落ちて、大変な事態が起きていたかもしれない。この2人、外見で判断すれば、ごく普通の一般人である。ただ、争っている姿と罵声はその筋の人たちかと思えるほど品に欠けていた。

 

 このような状況とは違うが、たまに電車の中で不愉快になることがある。例えば座席で居眠りをして、ちょっと隣の人の体に触れただけなのに腕で思い切って押し返されたり、女性に多いが、電車が揺れて体がぶつかり、「すみません」と謝ったにも関わらずその場から居場所を変える人などもいる。どう考えても故意ではないことが明白なのに、そうされると気持ちが良いものではない。周囲の人たちに誤解を与えかねない。とにかく穏やかになれない空間である。

 

 これは電車の中だけの問題ではなくて、仕事や家庭や人間関係、そしてストレスがいっぱいありすぎて、心の緊張感が常に張り積めているせいでもあろう。「あれをしなければならない」、「これをしなければダメだ」「どうしてこうなったんだ」「こうなるなんておかしいだろう」 こんなネガティブな言葉が頭の中を支配し、心はどんどん追い詰められているのではないだろうか。世の中があまりに高度化、管理化された今日では、本来自由で奔放であるべき心の世界が、どうでもいい規則や制約で窮屈にさせられているように思える。昔はある意味、いい加減なところもあり、逃げ道がいくらでもあった。いまはあまりに遊びと余裕がなく、とても息苦しい。

 

 情報化社会というものが、さらにそれを促進させ、ますますキレやすい人間をつくり出しているのではないだろうか。こう考えるとこの問題は、処方箋はいくつかあるかもしれないが、根本的解決方はすこぶる難しい。


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キャッシュレスの時代に苦言。 [社会・生活]

 最近、「お金とは何か」と考えてしまうことがある。

つい先日、家電量販店で買い物をした時、店員からクレジット方が現金払いよりもポイントが多くつきますよと説明され、これまで極力現金主義で通してきた私だが、つい損得が働きカードで支払った。それを買うために、前日、銀行でお金を下ろしてきたけど結局使わず仕舞い。その日は時代の変化に翻弄されてしまった。ひと昔前まで現金は絶対的な存在で、クレジット払いをする人は支払い能力が低いというレッテルで観ていたが、いまはそうではない。

もう現金を持って買い物をする時代は過去になりつつあり、電子マネーやスマホ決済が主流になるのは時間の問題のようだ。令和になり新しい紙幣の発行が発表されたが、生活のための紙幣というよりも、むしろ記念紙幣の意味合いが強いように感じてしまうのは、ちょっと寂しい。

 いま思えば昭和の終わり頃、就職で一番安定した企業といえば金融関係の企業で、学生たちは競って銀行や証券会社に就職したものだ。あれから数十年が経ち、バブルの崩壊、リーマンショック、そして現在のキャッシュレス化など一番世の中の試練を受けて、激変した業種ではなかっただろうか。第一勧銀、富士銀行、三菱銀行、住友銀行、三井銀行、日本興業銀行など、超一流と言われた銀行は合併の合併を重ね、いまでは一部の銀行がかつての名残を残すのみで、この業界はすっかり変わってしまった。

当時、入社した人たちの人生も同じように激変を味わったことだろう。これも経済とお金の概念が変わってしまったからだ。さらにいまはその概念だけでなく、お金そのものの定義や質も変わりつつある。

 これからのオールキャッシュレスの時代、我々は生活にどのような変化を受けるのだろうか。お金を貯めても、使っても実感を持ちにくく、数字だけのデジタル社会になっていくのだろうか。便利で効率的な社会かもしれないが、どこか冷めて生活感が薄れていく気がする。それによって家族の在り方や人の生き方、価値観も大きく変わるように思えてならない。無機質で味気のない人生は嫌だ。

 20世紀は金銭や物品を優先する物質主義とか言われ、いろいろ批判もあったが、まだ実感のある世界であった。今世紀以降はこのデジタル化が進むことですべての価値基準が一転し、そうした世界に自分がついて行かれるか非常に不安になる。いまの若い人たちには当たり前で、明るい未来さえ感じているかもしれないが、何とも言えない将来である。まあ、昔が良き時代に思えるのは年のせいか、できればこれからもアナログ的な生き方でいきたいものだ。


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電車の中はゲーセンか。 [社会・生活]

帰りの通勤電車で運良く座席にすわることができた。ホッとして周りを見わたすと驚くことにほぼ全員がスマホを見ているではないか。自分の目の前だけでなく、車両の奥を眺めても同じ光景である。スマホは今やなくてはならない必需品であることは解るが、ここまで来ると異様としか言いようがない。スマホも上手く活用すれば凄い情報源であり、仕事や生活の面でも大いに役に立つ。 

ただ、ここの周囲にいる人達はそうした活用ではない。右隣のサラリーマンらしき人はいま流行りのパズドラゲームで遊んでいる。また左隣の若者はバトル系のゲームで激しい指の動きをさせている。またその隣の女性はテレビを見ており、その隣の人も何かのゲームに夢中である。 

この人たちにとって、電車の中はゲームセンターなのだろうか。ひと昔前ならば子供たちがゲームに熱中していると、大人が「いい加減にやめなさい」と叱ったものだが、いまはいい大人が周囲を気にせず夢中になっている。最近では特にゲームをやること自体似つかわしくない年配者までが、若者と同じようなゲームを楽しんでいる。人に迷惑をかけていないからよいのか。まあ、すべての人がゲームをやっているわけではなく、何人かの人たちはおそらくインターネットやメール、あるいは動画を楽しんでいたりしている。 

とにかく、こうしたスマホ文化(いや文明かもしれない)が、これまでなかった世界感をつくっている。ごく日常の通勤電車の中もスマホ文明はすっかり支配し、人々の思考や精神、心さえも何か誘導しているように思える。おそらく、人の五感のうち、味覚と臭覚以外の視覚(ディスプレーを観る)、触覚(キーを触る)、聴覚(音を聴く)の3つは支配しているだろう。考えてみると恐ろしい。 

ゲーム依存症、スマホ依存症はIT時代の新しい病気である。その弊害は人の健康問題にとどまらず、社会全体にも大きな影響を及ぼすのは間違いない。国は経済発展のIT促進ばかりでなく、健全で健康な社会づくりの視点でこの問題を真摯に取り組まなければ手遅れになるのではないか、非常に心配だ。

 


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