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駅ホームで観た「無関心社会」 [社会・生活]

今日の帰りの通勤電車での出来事である。
帰宅時間帯に重なり、車中は足の置き場がないくらいの混雑で、私は吊り革に寄りかかりながら外の風景を観ていた。やがて、停車駅で止まり、対面側のホームをぼーっと眺めていた時だ。階段傍の壁にうずくまるように座り込んでいる女性を見つけた。年は30歳前後、髪が長く、黒い服を着ている。腕を丸めて顔を伏せ、どう見ても具合が悪そうだ。心配だけど、大勢の人が行き交う場所にいるので、当然誰かが声をかけるだろうと思いながら、ずっと眺めていた。
 
ところが・・・、いろいろな人が往来する中、いっこうに声をかける人はいない。
ただ、みんな気が付いていないかと言えば、振り向きながら通りすぎる人もいる。
少なくとも数十人以上の人たちが、彼女の前を通りすがっている。でも誰も声をかけていない・・・。
唖然としているうちに自動ドアが閉まり、電車が動き始めた。
 
ただ、ただ、うずくまる彼女が遠ざかっていく・・・。まだ誰も声をかける様子がない。
やがて車窓から彼女の姿が観えなくなった。
思わず、「ええっー!」とわが目を疑ってしまった。
 
その後、どうなったかわからないが、とにかく彼女の無事を願うばかりである。
 
世の中、「絆」や「安全、安心」という耳障りの良い言葉が溢れているが、この駅で観た情景はなんだろう。他人に対してあまりに無関心で、とても「絆」とか、「思いやり」という言葉を出すのが恥ずかしい社会、それが現実のようだ。
 
しかし一方で、自分があの場にいた時はどうしていたか。
率先して声をかけただろうか。
もしかしたら、誰かがやってくれると思い、通り過ぎてしまったかもしれない。あの大勢の一人にすぎなかった可能性もある。だから自分自身に対しても、幾分後ろめたさもある。
 
近年、インターネットが出現し、スマホ、SNS、AIなど、いわゆる情報化、デジタル化が、世の中を急激に変革し、人間優先から物質優先の社会へと大きな転換へと導いた。それに伴い、人のこころも、その変革の波に影響され、無機質で無関心な振る舞いをする社会に閉じ込められてしまったように思える。
 
今回の駅ホームの人々の無関心な空気は、いまの社会では驚くべき話ではなく、日常の普通になっているのかもしれない。もし、そうであれば、何とかしなければならない。いまだに我々は、生活の利便性や経済的な豊かさばかりを追い求め、それを政治に大きく期待している。ここらで人間として何が豊かなのかをもっと考える時期に来ているのではないだろうか。それには、我々自身が本当の豊かさに気づき、そして政治は方向転換するギリギリの時期に来ているように思う。
 
とにかくいまの日本は異常で、このままではいけない。
私が叫んでもどうにかなるものではないが・・・。
ただ、この駅ホームで観た小さな出来事から、いまの日本の無関心社会を憂うのであった。

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