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世の中、「数字」に支配されすぎ。 [社会・生活]

1ドルが34年ぶりに160円台。毎日、円安騒ぎが報じられており、このままの状態が続けば庶民の生活は混乱するという雰囲気が漂っている。しかし、数年前には、現状の円高のデメリットばかりが報じられ、もっと円安方向に進めば景気もよくなりメリットが高いといわれていたが、相変わらず、現状の不景気さは払拭されない。結局、メディアはいつも不安をかき立てるのが好きなのだろう。
 
考えてみると、この世の中、いつしか「数字信仰の支配」に覆われてきているのではないか。
政治では政権支持率、景気ではGDPや経済収支、日経株式市況、ダウ平均、円相場、
大学や高校の偏差値やテレビの視聴率、また最近ではインバンドによる外国人観光客数や大谷の打撃成績、
ありとあらゆるものが数字で評価され、それが生活や人生の一喜一憂、喜怒哀楽の対象すらなっている。
 
ときにはつまらない数字の評価や価値のために、もやもやしなければならなず、無駄な時間を過ごすこともある。たしかに、物事を数字にして観ればわかりやすく、また納得もできる。しかしながら、数字にならないものが同時に切り捨てられ、大事なこと見過ごすこともあるかもしれない。
それだけならば、良いが世間がその数字によって、勝手に善し悪しを判断し、そのどうでも良い数字に、時には自分が責められ不条理になることすらある。 
 
大谷翔平選手は、いますごい活躍しているが、毎試合ごとに、ホームラン数や打点、打率、さらに得点圏打率など細かい数字を気にしている日本人も少なくなくないだろう。
彼の場合、通常の選手ならば何も言われない数字でも、期待が大きすぎて、しばらくヒットがでないとすぐ不調、不安説が唱えられる。本人もいちいち数字を気にしていたら、勝負に集中などできるものではない。インタビューで、彼はいたっていつもどおり一試合一試合を真剣に望むだけとコメントしている。無心にいまに集中すること、それがベストを引き出す、すべてなのだろう。
 
我々の生活の中の数字、それも確かに大切な指標ではあるが、それに心をとらわれすぎ。
大谷選手のように、まずは無心で一生懸命になること。それが数字の支配から逃れられ、良い方向へ前進するための最も有効な手段であり、本当の力を発揮できる唯一の方法なのではないか。
今の時代、数字を全く気にしないのは無理なことだが、「ほどほどにする」というスタンスも大切で、未来への期待や希望の芽を摘まないことが重要だ。 

タグ:数字 円安
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