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「まれびと」と共に生きる。100分に名著「折口信夫」 [哲学 思想 名言]

今月から折口信夫「古代研究」を国文学者の上野誠先生の解説で放送(NHK:Eテレ月曜夜10:25)が始まった。
折口信夫は柳田国男と並び、日本の民俗学を築いた研究者であり、また万葉集の口語訳や様々な古典文学の研究など、日本の国文学に大きな功績を残した人物という。私も名前と業績ぐらいは知っているつもりでいたが、「信夫」が「ノブオ」でなく「シノブ」と読むことを知り、初歩的なところで出鼻をくじかれた気分であった。まあ、こんなものだ。
 
さて、内容は、日本独特の美意識や道徳観、いわゆる日本人のこころや精神がいかにして築かれていったか、その神髄について、「まれびと」という意味深なキーワードをもとに解き明かしていこうという展開である。「まれびと」とは「稀に来る人」の意義であるが、ここの捉え方が難しい。古代に遡るとどうやら来る人は人間はではなく神さま、あるいは神につかえる人という意味合いが強いようだ。このまれびとをどう向かい合い、お迎えするのか、今日に至る日本人の生活慣習や精神性はそこに源泉があり、華道、茶道をはじめ、能や歌舞伎の芸能や武士道など、わが国特有の文化もそうしたところから育まれてきたという。日本が世界に誇る「おもてなし」の精神は、まさにその象徴ともいえる。
 
しかしながら、いまの日本。科学の進歩、都市化する社会によって、物事を論理的に考えることが日常になり、古来の人たちのように、神さまのような未知の存在に対して重んじることはない。
 
でも、絶対無縁かといえば、そうでもない。
正月になれば神社に初詣で、端午の節句、ひな祭り、盆踊り、秋祭りなど、普段の生活とは異次元ともいえる非日常的な行いを尊ぶこともある。祭りもパフォーマンスの1つとして捉える人もいるが、大勢の男たちが神輿を担ぎ、「わっしょい、わっしょい(地域によって異なる)」と大きな声を掛け合う。またそれを観ている人たちも一年の無病息災を願いながら、一緒に掛け声をあげて、感謝と祈りをささげる。とにかく、祭りは現実離れした世界であるが、理屈でない「ありがたさ」のような不思議な感覚になる。
 
それはなぜだろう。
 
私の解釈では、日本人の体に刻み込まれたDNAなのか、潜在的に神を迎え、感謝する心が組み込まれているのではないか。自分も無宗教で信仰心といえるものはほとんどない。でも、初詣や祭りは自分にとって大事な行事で、どこか節目、節目に神様に近づきたいという気持ちになる。それが折口が言う「まれびと」と共に生きていくということであろうか。日本人の多くが無信仰といいながらも、礼儀正しく、どこか信仰心が厚く見えるのはおそらくここにあると思える。
 
だから、日本では一般的に葬式は仏教、正月は神社への参拝、暮れはクリスマスを祝い、他国では考えられないくらい節操なく観えるが、精神的にはどこか一本筋が通っている感じは、他ならぬ「まれびと」との関係があるからであろう。つまり、無意識に「まれびと」を迎え入れる心の準備、それが日本人の宗教に対する大らかさにつながっているのかもしれない。
 
これから先も、日本人はまれびとと共に生きていくのだろうか。コロナ禍で、祭りなどの伝統行事が中止になり、かつ若い人の生活スタイルから、かつて大事にされてきた生活慣習などが失われつつあることが気がかりだ。この世界情勢や社会が混沌としている現代こそ、我々の祖先が受け継ぎ、培ってきた精神を次世代にしっかり伝えていかなければいけない。そのためには経済や科学ばかりだけでなく、日本の文化や伝統、生活様式なども重んじられる社会づくりをしていく必要があると言えよう。

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「バカの壁」養老孟司さんの脳化社会の話を聞いて [哲学 思想 名言]

スマホのユーチューブで養老孟司さんの講演を観ていたら興味深い話をされていた。
養老先生といえば著書「バカの壁」で有名な方であるが、いまも書店の店頭に先生の著書がズラリ並んでいる。
かつての専門は解剖学者だったそうだが、脳の研究をはじめ、いまではその観点から社会問題についていろいろ提言をされている。特に現代人の「脳化社会」あるいは「都市脳」がもたらす弊害をリアルに批評し、「自然」の大切さを説いている。
 
今回の動画もそうした人間社会における問題提起であったが、特に印象深かったことに「空地(あきち)」について語られたことだ。空地とは、使ってない土地のことで、例えば雑木林などは、いまの社会では空地のひとつ。空いている土地は無駄であり、開発して建物や駐車場にした方が有効利用だというのが現代人の考え方。しかし、よく観れば、そこには鳥や虫などが生息しており、自然の豊かさが存在している。この脳化社会では、その自然は意味ないものととらえられ、当然のように自然破壊が進められていくのだという。
たしかに昭和の中頃まで、街の何もないただの空き地は、子供たちの貴重な遊び場であったが、いつぞやか、そうした空地にはすべてフェンスが張られ、子供たちの姿もめっきり観ることがなくなった。考えてみれば、子供たちが触れ合える身近な自然や空地は、みな大人たちの所有物になり、子供たちは塾やスイミングスクールなど人工的な環境に閉じ込められてしまった。まさに都市化、脳化社会の犠牲者である。
 
これは子供だけでなく、大人でも脳化社会にどっぷり浸かった人間が大半を占めている傾向がある。一見、分別のありそうな人に観えても、物事が思い通りにいかないと怒りをぶちまける人がいる。ああすれば、こうなる。これが都市脳の考え方で、いまの現代人の多くはこれに染まっているという。しかし、自然はそうならない。たいていは裏切られる。昔の人はそれを仕方がないと悟ったようだが、今の人はそれが許せない脳になっており、それがイライラや怒り、ノイローゼなどにつながるそうだ。自分も含めてそういう人が多いのは事実だ。
 
現在の資本主義の世界は、すべて価値観で測られており、その尺度で判断される。そうした思考が支配する社会には、人間味溢れる大らかさがない。特に最も上手くいかないのは「人間関係」。それは、「自然」である「人」と「人」の組み合わせ、だから上手くいかないのは当然であるという。
 
なるほど、と思わず頷いてしまったが、脳化社会における養老先生の話を聞き、その奥深さを感じるのであった。

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時間にどう向き合うか。あきらめないことが大切。 [哲学 思想 名言]

哲学的な話になるが、
世の中ですべての人に公平にあたえられているものは何か。
それは「時間」である。
金持ちも貧乏も、身分に関係なく、同じ時代に生きていれば、みな同じ「時」のなかにいる。
ただ視点を変えてひとり一人観ると、与えられる時間の長さはまちまちだ。健康な人と重い病気に患っている人では生きれる時の長さは決して平等とは言えない。
しかし、その時間の質はどうか。
物理的に見れば、1秒、1分、1時間、時の刻みに違いはないが、それぞれ個人の心のなかで感じる時間は決して同じではない。たとえば、旅行で楽しい思いをしている時と、嫌な仕事で苦しんでいる時、あるいは夢中になって充実感のある時と暇を持て余している時では、時間の重みや濃度、質も違って感じるものだ。
 
最近、この時間についてよく思うことがある。
人生で成功した人、あるいは幸せと自覚して生きている人は、究極なところ、「時間の使い方」がうまかったのではないかと。昔から早起きは三文の得などことわざにあるように、時間の貴重さ、価値をわかっている人にチャンスや幸福の矢が飛んでくるように思える。人生一歩先のことなど、どうなるかわからない。しかし、悲観的な場面でも、どうにかできる可能性も十分あり得る。それを信じて進む人が、最後に信じた世界に辿りつくのではないか。
「あきらめない」、これが成功する人の最も口にする言葉だ。それには信念や精神論だけでなく、時間の概念も大きくはいっている。実行、行動、チャレンジ、これらはみな「時」を含んでいる。つまり、自分にとって、公平に与えられた時間をいかに有効に使うか、スマホとテレビの情報に振り回され、貴重な限りある時間を消耗しがちな現代の生活、どれだけ時間を大切にできるか、そのためには時間への自覚を強く持つことが、人生の大きな差になるのではないか。

タグ:時間
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いまの日本は「足るを知る」が必要 [哲学 思想 名言]

企業というものは、常に規模拡大と利益向上を目指して活動を続けている。これは日本だけでなく、全世界共通の認識で、資本主義経済の宿命ともいえる。しかし、その当たり前の社会・経済に疑問を感じることがある。
 

私が知る50年間、日本の風景はガラリと変わった。都心には高層ビルが林立し、郊外に残っていた田畑や雑木林などの土地も、住宅地や商業施設、駐車場などに開発され、コンクリートだらけの無機質な景色に変わった。この数十年間、日本の人口は減少化傾向を辿り、リーマンショック以降の経済成長率はゼロに近く、日本経済はずっと低空飛行が続いた。それにもかかわらず、その開発一辺倒の構図は変わるどころか、むしろ促進しているように見える。そして、不動産会社や建設会社は、今回のコロナ禍でやや鈍りはあるものの止まることなく、さらなるターゲットを探し拡大成長している感じだ。その姿は、食料を食べ続けて巨大化していく恐竜とが重なる。ただ恐竜の辿った道からすると、食料を食べ尽くし、かつ大きな環境変化に対応できず、絶滅の運命に至った。現在の日本も同じ危機が溢れているように思えてならない。

 

これからの時代は、中国の思想家、老子の言葉にあるように「足るを知る」が必要と考える。

 

限りある自然、土地、そして自然の恵みを見極め、上手に営むこと。いまの日本の食品廃棄ロス(食べられるのに廃棄される食品)は年間約600万トン、生産量の3割近くが無駄に捨てられていると言われている。食品だけでなく、衣料品や家電製品をはじめ、空き室の多い建物等が過剰につくられて、その結果、大量の無駄が生じている。しかも、売れなければその分が赤字で、経済的にも大きなダメージを被っている。人手不足の問題もこうした余剰、過剰の無駄がなくなれば解消していくように思う。

 

いまの日本の社会や経済は矛盾だらけで、方向転換が必要な時期に来ている。企業はこれからの時代を量の拡大から、質の向上に転換し、無駄のない社会を目指すこと、つまり足るを知る社会の構築に寄与することが大事なのではないだろうか。それには国民の意識の変革がもっとも必要であろう。


タグ:過剰
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松下幸之助「一日一話」にて [哲学 思想 名言]

  パナソニックの企業ホームページに松下幸之助一日一話というのがある。 

 いまの若い人たちには、松下幸之助といってもピンと来ないかもしれないが、昭和の大実業家であり、パナソニックの創業者である。学歴は小学校中退で、丁稚から始まり最後は経営の神様といわれた人だ。その幸之助がのちの人のためにと残した話がその一日一話にまとめられている。その一つひとつには、経営から政治や社会、あるいは人の生き方など、幸之助の経営観や人生哲学などが深く刻まれている。どれも真面に向き合えば難しい問題だが、ちょっとしたものの見方や考え方で良い方向にガラリと変えるヒントが詰まっている。そんんな前向きな気持ちになれるので、私は毎朝愛読している。 

 つい先日の一日一話で思わず頷いてしまったものがあったので、今回はそれを紹介する。
タイトルは「信じることと理解すること」
 

 まあ、この言葉だけ見ると別に普通のことのように思えるが、読んでいくと実に奥が深い。幸之助は、幸福、繁栄、平和をより早く、より大きく生むためには、信じることと理解すること、この二つを全うしていかなければならないと言う。信を誤らないためには、理解を正しく働かさなければならず、理解を捨てれば迷信に走り、また理解だけで信じることを止めれば信念を強く持てない。では信と解を全うするにはどうしたらよいか。それにはまず素直になること。正しい理解も素直な心から生まれてくるし、信ずることも素直な心から高まってくる。心が素直であって、信と解が高まれば、あらゆる場面で適切な働きができると説いている。 

 ふと、これを読みながら、今の日本と韓国の問題が頭によぎった。まさにこれそのものではないだろうか。慰安婦問題、徴用工問題、そして輸出規制強化、お互いがまず相手国を信用していない。また理解すら問題外という姿勢で本当に解決しようと考えているのかと疑問を抱いてしまう。どちらが正しく、どちらに非があるかという以前に、相手への尊重、敬意は全然感じられず、さらに素直にものを観る目は全くない。ただ、今回ばかりは韓国もいつものような攻撃的姿勢を貫けば、自分たちの身に不幸が降りかかってくるのは必至だ。もちろん、韓国だけでなく日本も同様である。必ずしも、こうした姿勢はお互いの国民が本当に願っていることではない。また政治というのは本来こうした荒波に対して上手く対処するためのものと思うが、なぜ沈みそうな船でこの荒海を進むのか理解に苦しむ。決して、どちらもHAPPYになることはないだろう。

 話が大きくなってしまったけど、身近なところでも同じようなことがよく起きる。つまらにケンカの原因もほとんどが相手への理解不足である。人間関係でうまくいっているかどうか、この素直な心で信じること、理解することをいかに実行できるかが、大きなカギとなるように思える。


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曽野綾子著「人間の分際」どう生きるか考えさせられる。 [哲学 思想 名言]

 人間の分際、 やればできるというのは、とんでもない思い上がり。

 本のタイトルとカバーメッセージは、弱き人間にはとても惹きつけられる言葉だ。中は1~2ページの短編でまとめられ、深いテーマであるが手軽に読むことができる。

 この本の主軸になっているのは逆らえない「運命」。不運、不幸、老いや苦しみといった人生の逆境をどう向き合うか。弱い人の目線で心に響く語りで説いている。

 人間、どんな人でも多かれ少なかれ、不運、不幸を背負っている。また幸福で順調な人生もいつまで続くかわからない。満たされた生活を送っている時にはほとんど気づかなかったことも、いざ失い始めた時に、その大切さを思い知る。それは誰もが心の内にあるだろう。

 また、老人の境地になれないが、最後は一人、そして最終的に味わう最大の境地は孤独と絶望と言い、それを克服する勇気こそ、晩年に最良の生き方ができるカギと説いている。

 競争主義、弱肉強食の社会の中、多くの弱き人たちは脱落し、苦悩と絶望で心が疲れ、 生きる力さえ失いかけている。そんな不安に包まれた状況に、考え方ひとつ、「分際」いまの正直な自分を受け入れることで、その重苦しさを幾分軽くすることができると示唆している。

 たとえ不幸、不運と思えども、小さなことにも幸福を感じ、それを大切にしていく心構えこそ、本当の幸わせ、生きがいを見出す力になると作者は語っているのではないだろうか。


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七仏通戒偈と十善戒 [哲学 思想 名言]

 東京都町田市に薬師池公園という、まだ里山の風景を味わえる景勝地がある。そこのちょっと小高い場所に薬師堂という木造の社がある。建物はそれほど大きくはない風格があり、御堂に祭られているご本尊の薬師如来は1270年前、行基菩薩が彫られたという言い伝えがある由緒あるお寺である。

 先日、まだ残暑がきつい中、薬師池公園を散策。その薬師堂を訪ね参拝した。さい銭箱の前に何枚ものチラシが積み重なっていたので、その1枚をもらってきた。
 
 家に帰ってから、そのチラシを観ると、そこには「七仏通戒偈」と「十善戒」という話が書いてあった。しみじみ読むとあたりまえのことであるが奥が深い。次のような話である。
 

 昔、唐代随一の詩人と言われた白楽天が、道林禅師という高僧に、仏教の真髄を尋ねたところ、

・諸悪莫作(しょあくまくさ) 悪いことは決しせず

・衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう) すすんで善い事を行い

・自浄其意(じじょうごい) 自分の心を清めなさい

・是諸仏教(ぜしょぶきょう) これが仏の教えですよ。

 という答えが返ってきた。それに対し、「白楽天はそんな事は3歳の子供でも知っているではないか」とむっとすると、「それでも80歳の老人でもなかなかできないものですよ」と諭されて、白楽天は敬服したという話であった。つまり、「わかる」ことと「できる」ことは、全く異なるということを示した逸話話である。

 それから、十善戒の話は、「悪をなさず、善を行う」という規範 で、

・不殺生(ふせっしょう) ころさず

・不偸盗(ふちゅうとう) ぬすまず

・不邪淫(ふじゃいん) おかさず

・不妄語(ふもうご) いつわらず

・不綺語(ふきご) かざらず

・不悪口(ふあっく) そしらず

・不両舌(ふりょうぜつ) たばからず

・不慳貪(ふけんどん) むさぼらず

・不瞋恚(ふしんに) いからず

・不邪見 (ふじゃけん) あやまたず

  つまり、普段の行いで気を付けなくてはならないことを、10のわかりやすい戒めにしたもの。これもあたりまえで、誰でも知るところだが、実行するのはなかなか難しい。すべての不幸や災いは、この戒めが崩れたところから始まるといえる。身からでたサビなども、まさにこれを怠った事にあろう。

  たった1枚のチラシであったが、日常の生活で忘れかけていた大切なものを呼び覚まされた。何気ない心の動きやちょっとした注意が他人を傷つけ、そして自分に跳ね返ってくる。その根っこになるところは日々の行いの中にあることを改めて教えられた。実に有意義な日を過ごすことができた。


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「ザ・メタ・シークレット」、仏教や禅の思想と共通している。 [哲学 思想 名言]

  「図解 ザ・メタ・シーックレット」という本を購入した。このシリーズは全世界で2400万部という驚異的なベストセラーのようだ。本のカテゴリーは精神・サブカルチャーに属しており、普通ならばちょっと敬遠する類であるが、中身をパラパラ観ているうちに、つい引き込まれてしまった。

  内容は宇宙には7つの法則があり、この現実の世界はその法則に従って成り立っている。つまり、それを熟知し、実行することで「望む結果」を手に入れることができるという手引書のようなものだ。

  ざっくり、この7つの法則を紹介すると

1.思考の法則

  自分の人生で自分の夢が実現すると信じて行動すれば、必ず成し遂げられることができる。

2.投影の法則

  自分の内側にあるものが、外側の世界に投影される。だから、外側の世界を変えたいならば自分を変えなければならない。

3.バイブレーション(振動)の法則

  光も色も言葉もすべて振動の要素を持っており、我々の感情はその振動に強く影響される。そして我々は似た振動に引き寄せられる。

4.極性の法則

  万物は対極する2つの性質を持っている。プラスとマイナス、金持ちと貧乏、楽しみと苦しみ、どんな困難な状況があっても、必ず反対側に良いことがある。

5.リズムの法則

  人生には調子が良いとき、悪い時が必ずある。リズムを知って上手く乗ることが大切。

6.両性の法則

  すべてのものには外側に発散される力、内側に引き込む力がある。どちらも決して悪いものではなく、それらがバランスが取れた時に新たな価値が生じる。

7.原因と結果の法則

  あらゆる事(結果)はすべて偶然ではなく、原因が存在する。原因より、自分の望む結果に対応させることが大切。

  ここに書かれていることは、すべて当たり前のことばかりであるが、改めて考えると普段それと逆のことばかりに心がとらわれている。つまらないことにダラダラ悩まされ、大事なことに目をつむっていることが多い。そんな事に気づかされる内容が多く書かれている。これらの内容はむしろ仏教や禅の中にある東洋的な思想に近いものがある。突き詰めるところは宇宙の原理、原則なのかもしれない。

  ただ仏教や禅では抽象的に説いているのに対して、このメタ・シークレットは実に論理的でわかりやすい。これが西洋的思想との決定的な違いであろう。いずれにしても、心が前向きになれる本である。一読する価値はあると思う。


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一般参賀、天皇からの復興への強いメッセージ [哲学 思想 名言]

 今日1月2日、新年恒例の皇居一般参賀が行われた。たしか昨年初めに天皇陛下は心臓の冠動脈バイパス手術を受けられ、それから数か月後も被災地に赴くなど精力的にご公務を続けられ、ご高齢にもかかわらず大変な年だったと記憶している。

 でも、今日こうして元気そうなお姿を拝見し、正直なところホッとした。そして、いつものような温かみのある声で被災地に心を寄せる言葉を述べられた。その一言ひと言には政治家が発する言葉の数百倍の威力はあっただろう。これは天皇の尊厳というより、人間天皇の「優しさ」や「思いやり」からくるもので、心に深く入り込んでくる。

  現在、皇室の一部に対する批判やバッシングに近い記事が観られるが、国民はもっと大らかに、暖かい目で見ることができないものだろうか。天皇、皇后陛下の考えやご心痛も察するべきで、特に女性誌はそうした記事を控え目にすべきである。

  さて、2013年の天皇からのメッセージは国民一人ひとりの幸せを心から願うという言葉で締めくくっている。格差社会、個人を大事にしない社会と言われている昨今、今年は個人個人の幸せを真剣に考えたい年である。それには皆が前向きに努力し、そして「絆」や「思い」やりを大切にすることである。ぜひ、そんな社会が実現するよう、私自身も小さな力であるが何か貢献していきたいと考えている。


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NHK仕事への流儀、俳優高倉健の生き方と魅力 [哲学 思想 名言]

  9月8日NHKプロフェッショナル仕事への流儀で映画俳優高倉健さんが出演されていた。

  不器用で、寡黙、そして義理がたく、人情が厚い。孤高なイメージが強く、近寄りがたい感じがするが、本当の素顔は気さくで、おシャベリが大好きな普通の人柄であった。

  番組は、205本目の映画「あなたへ」の撮影現場を取材、刑務所の指導技官・倉島英二を演じる高倉健に迫った。この映画は、ただの一職員の男が、人とのふれあいを通じながら、亡き最愛の妻の思いに触れていくという心の描写が中心で、地味なストーリで構成されている。そんな繊細な役柄を、時間をかけながら、自分の心と向き合い、本物の主人を演じる、一瞬の演技に懸ける真剣さ、気迫はすごく、「一度きりに生きる」という彼の信条が重なっていた。

  健さんが言うには、芝居はその人の生き方がでる。つまり、日頃の自分を磨いていなければ、その一瞬さえ本物は出ないということらしい。厳しい世界で真剣に戦っているからこそ、そうした言葉が自然に出てくるのだろう。

  常に緊張感を持ち続ける人生は、疲れてしまうが、現在の日本は、あまりにゆるく、理屈っぽい世界になっている。政治の世界も言い訳だらけで、何を信じてよいかわからない。そんないま、高倉健のような真摯に生き方は、魅力的で、ひとつの憧れを感じる。

  番組が終わり、チャンネルを変えると、相変わらずお笑い番組で、みんながバカ笑いしている。ふざけた言葉を相手にぶつけて笑いをとっている。まったく正反対の世界が繰り広げられている。これが悪いとは言わない。けれども、本当にこれでいいのかと疑問を感じてならない。

  東日本大震災から1年半が過ぎた。いまだ復興も見えず、原発政策の方向性もはっきりしない。今の日本は、どこか真剣さが足りず、損得勘定ばかりで、大事な事はひとつも進でいない。健さんのような人生観は、現代社会ではとても古臭いものと敬遠されがちだが、そうした考え方や思想が日本の政治、仕事や生活に少しでも息づくけば、どこか力強い「本物」が生まれてくるような気がする。

  もう80歳を超え、高齢の域に入っておられるようだが、健康に気を付け、これからもまだまだ若い人たちに刺激を与え続けてほしい。


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茂木健一郎「ひらめきの導火線」を読んで。 [哲学 思想 名言]

 たまたま、本屋の書棚で茂木健一郎の「ひらめきの導火線」という本が目に止まり、購入して読んでみた。

 最近、啓蒙本が多い中、人間の脳の特質と精神論をつなぐ、科学者茂木ならではの面白い視点で展開される本である。

 その中で、「ほのかに灯った火を、見逃さないこと。小さなともしびへの気づき。その積み重ねが導火線となり、やがては大きな炎にたどり着く。」とある。

 たった小さな思いつき、ひらめきも、大切にして、それを辛抱強く続けること、それがやがて大きな仕事や大事業に結びつきくといった喩えであろう。それを炎に見立てたのはうまい表現で、イメージも湧きやすい。

 自分もちょっとしたキッカケでこのブログを書き始めた。もう約2年経つ。特にアクセス数を増やそうと特別な努力もしていないし、書いている内容も地味なものばかり。それでも最近は1日約200~300件アクセスがあり、今日で累積アクセス数が100,000件を越すことができた。まあ、人気ブログと比較すれば桁違いに少ないペースかもしれないが、私としては、この数字に驚いている。

 このブログが自分にとって大きな炎になるかどうかは考えていない。ただ、自分の中では、その存在が少しづつ大きくなっている。時折、書くことも辛くなる事もあるが、なるべく習慣化しなければと懸命に続けている。ジャンルは今日の政治から自分の趣味まで、何でもありの雑記帳である。

 それでも自分の考え方や生き方を、誰かが共感してくれれば非常にありがたい。そんな想いでまだまだ続け、導火線に火を灯し続けるつもりだ。

ひらめきの導火線 (PHP新書)

ひらめきの導火線 (PHP新書)

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2008/08/19
  • メディア: 新書


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人生の羅針盤「カーネギー名言集」を読んで。 [哲学 思想 名言]

 今日は朝からどんよりした梅雨の一日。時々小雨がぱらつく。 晴れていれば、家庭菜園で土掘りの大労働の予定であったが、この天気ではとてもできそうにない。たまにはのんびりと休養日にすることにした。

  先週、図書館から「カーネギー名言集」なるものを借りてきた。この前、Eテレの夜の番組で「スタンフォード大ティル・シーリグ氏の白熱教室」を観て、さらに何か刺激を受けられるような教訓本を読みたくなったからだ。

 カーネギー名言集 新装版

カーネギー名言集 新装版

  • 作者: デール カーネギー
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2000/10
  • メディア: 単行本

 最近、日本の政治、経済、社会は閉塞感が漂い、明るい話が全然ない。震災や原発事故で重い空気がのし掛かっているのも事実であるが、それだけではない。日本人全般に「元気」、「夢」、「希望」といった活力が失せてきている感じがする。自分自身若くないこともあるが、ちょっとポジティブな気力が衰え、何か大事なことを置き去りにしている気がしてならなかった。だから、このような教訓本を欲しているのかもしれない。

 この本はカーネギー自身の言葉だけでなく、彼が生涯かけて集めた価値ある貴重な人生哲学の引用句や抜粋が収められている。のちにカーネギー夫人がまとめた上げたものという。

 ここには古今東西の著名人の言葉がズラリ並んでいるが、それらの思考、信条は時代や地域を超え、現代社会でも十分通用する内容だ。そして、その言葉のもつ魂は全く衰えることはない。

  私自身のちょっと心に響いた言葉を紹介すると、

「最大の名誉は決して倒れないことではない。倒れるたびに起き上がることである。(孔子)」

「ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに。(トーマス・エディソン)」

「私は災難が起こるたびに、これを良い機会に変えようと努力し続けた。(ジョン・D・ロックフェラー)」

「不可能だと思わない限り、人間は決して敗北しない(カーネギー)」

  たぶん、これらが今の自分にとって、最も惹きつけられる言葉なのだろう。仕事に対する壁、失敗を恐れる気持ち、そんなモヤモヤがこれらの言葉に引き寄せられたようだ。

 だから、人によって心を揺さぶられる言葉は違い、各々が自分の信条とする教訓を選べばいい。

  昼から3時間で全部読み終え、様々な物の見方、考え方を知ることができた。ただひとつ共通する教訓が頭に浮かび上がってきた。それを要約するならば、現実は厳しく、苦しい。しかし、心の在り方、物の考え方でマイナスからプラスへと大きく変えることができる。そして、それを実現できるのはすべて自分次第ということだ。

  読んでいるうちに、少し気持ちに若さが蘇ってくる気がする。もしかしたら、心の持ち方こそ、若さの秘訣なのかもしれない。


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