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橋下知事「大阪都」構想は実現すべきか。 [自治・行政]

  大阪府の橋下知事が任期途中で辞職願を提出し、11月27日に府と市のダブル知事選が確定した。橋下氏は大阪市長選立候補を表明、これで現職の平松知事と激しいガチンコ勝負になり、選挙は大いに盛り上がりそうだ。

  今回の選挙の論点は、橋下氏が提唱する「大阪都」構想か、平松市長が主張する現状路線上の改革か、明確でわかりやすい。ただ、公共機能としての大阪がどうあるべきか、そして自分たちの生活にどう影響してくるのか、そのメリットとデメリットは逆にわかりにくく、そこを有権者にしっかり示してほしい。

  政治に閉塞感の漂う日本の中で、橋下徹という政治家は異色な存在である。圧倒的な支持率を持つ一方、危険人物として指摘する記事や強烈に批判する声も多く聞こえてくる。権力に立ち向かえば、そうした逆風が強くなるのも当然であろう。だが、そうした声を無視してはいけない。どんなに優れた政治手腕を持っていても独裁者扱いされれば、みんな曳いてしまう。まだ彼には期待するところが多いし、そうなってほしくない。

  さて、その橋下知事は、大阪府と大阪市の二重行政の弊害の弊害を指摘する。これは現在日本の地方自治行政における縮図であり、その最も巨大な病巣でもある。

  税金の無駄使いのみならず、政策権限の曖昧さから生じる行政実行能力の遅延や低下、行政サービスの複雑さなど問題が多く、特に大阪市は首都規模でありながら、一地方自治の政治感覚が強い。それでは日本の大都市としてのメリットを活かすどころでなく、最近の関西地区における経済的地盤沈下も、そうした政治、行政のあり方が起因している可能性が高い。

  だからといって、「大阪都」にすればすべてが解決するわけではない。作用があれば、必ず反作用もある。万物すべてにおいて物理の法則が成り立つように、物事そう単純には進まない。結局、大阪の有権者が何を選び、何を捨てるかが問われるのだ。ただ、個人の損得勘定だけでなく、国家の中で「大阪がどうあるべきか」という視点も大切にしてほしい。

  今回の東日本大震災では、東京にたまたま大きな被害が無かったが、もし、関東大震災と同じことが起きたら、日本の国家機能は壊滅状態である。これは日本だけでなく、世界中に波及し、混乱の度合いは想像を絶する。そういう意味でも、東京都に匹敵する首都機能を持った行政を大阪につくる必要がある。これは日本における根幹的問題で、また、地方分権の要であると思う。

  地方分権改革は、国政選挙の時はどの党も熱弁をふるい有権者に強く訴えるが、そのわりに、国会が始まるとおとなしくなる。官の抵抗が強いのか、労働組合に押し潰されるのか、とにかく抵抗勢力に屈していて、一進一退にしか観えてこない。

  日本の歴史を観ても、大改革の初めは足元の小さな一歩から始まっている。幕末の明治維新も、地方の長州、薩摩の一部の下級武士の旗揚げからはじまり、やがて幕府を倒し、今日の近代国家の礎を築くに至った。

  橋下知事もそれにちなんでか、自らの支持団体を「大阪維新の会」と名づけ、大改革に燃えている。発言と行動に過激さはあるが、みんなの意識を変えさせ、現状を突破するには、そのくらいの強い意思とエネルギーが必要だ。残念ながら、現在の国会議員の中には、それだけの情熱を持った人物は見当たらない。まだ、橋下氏を坂本龍馬や高杉晋作のような大人物と讃えるのは早過ぎると思うが、何か新しい風穴をあけてくれることは、大いに期待したい。

  今回の選挙は、そういう意味でも、単なる地方知事選でなく、日本の新しい基盤をつくれるか、その是非を占う上でも大きな試金石となりそうだ。


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事業仕分の課題、地域主権会議でしっかり反映してほしい。 [自治・行政]

 事業仕分けにより、行政の様々な事態が明らかになってきた。

 独立法人の数、類似した事業の数々、天下りの仕組みに高額報酬、プールされた基金、チェックされない行政機構、まえから指摘されていたが、今回の事業仕分けで、そのありさまが国民の前に晒された。宇宙飛行士の毛利さんも、現在日本未来科学館の館長の立場で、事業の意義と必要性を説明していたが、苦しい立場に追い詰められ、観ていて気の毒であった。ただ、毛利さん本人も2、3重になっている財団のあり方には疑問を呈していた。

 この仕分けから、次のような問題点が見えてくる。まず、事業(予算)が認められると、まず最初に、ある独立行政法人(天下り先)に一括丸投げされ、その法人が自分たちに都合よく事業を組立て、その個々の事業をファミリー企業や団体、あるいは特定企業などに分配する。その中で、天下り官僚の高額給料や癒着企業、団体への高額発注など行われ、また、事業自体も当初の目的や意義からかけ離れたものに変えてしまうケースもあるようだ。例えば、人の教育に予算が与えられても、結果は教育するための施設と運営費に殆ど費やされ、実際人への教育は極めて少額であったりする。

 つまり、霞ヶ関自体の問題もあるが、それ以降の行政システムがデタラメなのである。これを是正する事は、そう容易な事ではなさそうだ。

 かつて、日本の流通システムでも同じような欠陥があった。生産者から末端の小売業者へ行き着くまで、数箇所の問屋(中間業者)を経なければならず、そこで中間マージン、価格調整され、最終的には倍になるほどの価格に膨れ上がる事も珍しくなかった。今では、産地直送、在庫ゼロなど徹底した流通改革が行われ、品質、コストの面でも世界で最高水準にある。

 しかし、その流通改革も、思えば1970年代、ダイエーの登場から始まり、ここまで来るのに40年の年月がかかっている。既存のしくみから一歩変えることは非常にエネルギーがかかる。また、既存のものにも良い部分が含まれていることを忘れてはならない。古いものを全否定して、新しいものにすり替える手法は、郵政事業でも失敗したばかりだ。まずは、現状をよく分析して、一歩づつ変えていくほかないだろう。

 その地道な変革に地方への移管がある。
今後、地方分権が進めば、今回の仕分けで問題になったようなものの殆どが、地方に任されていくと考えられる。しかし、現状の地方行政は、国と同じであらゆる利権のしがらみの中にある。仕分けで独立法人を切っても、地方で癒着企業にお金が流れれば何の意味もない。この日本はあらゆるところに利権と癒着の病原菌がはびこっているから、実にややっこしいのだ。

 17日、地方主権戦略会議が立ち上がった。税の地方移譲の話ばかり関心が高まっているが、地方自治体が正しく自立でき、自ら行政を正しく監視できるシステムの確立が最も重要な課題である。霞ヶ関が犯した過ちを繰り返さないように徹底した議論で、本当の無駄遣いを撲滅させてほしい。
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地方分権。本当に地方に任せて大丈夫か。 [自治・行政]

 公共事業の相次ぐ中止が決定する中、地方自治体から事業継続を訴える話が実に多い。
日本の首長の多くは、日本全体の視点よりも自分たちの地域の利益ばかり主張しているのが目立つ。橋下知事や東国原知事は地方分権に熱心だ。私も地方分権こそ、日本の様々な問題を解決できる手段であると考えていた。しかし、この状況を見る限り、「ちょっと待った。」と言いたい。

 国だけではなく、地方にも同じような利権構造が渦巻いている。いや、もっとドロドロしているかもしれない。これらを断ち切らなければ、決して税金の無駄使いはなくならない。次の予算編成では、交付金の権限が大幅に変更され、国のひも付きから地方の采配で自由に使えるものになると言う。だが、この交付金が何に使われるか。国の公共事業が減った分、地方で新たな土木公共事業が増えてしまうのでないかと疑ってしまう。 公共事業もすべては悪でない。だが、やはり特定業界(建設業)と政治家の癒着は注意していかなければならない。

 まだ、この国ではいろいろなことが試行錯誤である。現状のように地方も自分主義ばかり主張していては、結果的に国全体がゆがみ、みんなの利益を得ることができない。まず地方は日本の中にあることを自覚し、その中で自分たちの地域がどうあるべきかを考えなくてはならない。そういう点ではまだ地方政治は発展途上である。税源移譲には政治の成熟さが必要であり、そう考えると、地方分権の道のりはまだまだ険しい。 
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地方分権改革。義務付、枠付の廃止・縮小は大きな一歩だ。 [自治・行政]

 分権改革の第一歩が始まった。

 いままで地方が国に縛られていた義務付け、枠付けが廃止、縮小へと進むようだ。その代表格が施設整備基準。例えば道路や保育所などを建設しようとすると、各省庁の様々な基準が規制で、その地域の実情に合わないものになったり、また、補助金などで国の権限を受けなければならないなど弊害が生じていた。
 いままで、なぜ、特別擁護老人ホームが、市街化調整区域のような不便な場所に多く、なぜ老人施設とは似つかわしくない、りっぱな建物が多いのか、その疑問が解けた。
 
 おそらく、1人当たりの所要面積や色々な機能を取り込むと、かなりの規模と予算になる。当然、市街地のいい場所には建設できない。しかし、建物にはそうした基準を盛り込めば多額の補助金が付くので、過剰な仕様の建物が建設される仕組みになるのではないのだろうか。

 高齢者=バリヤーフリーと言う概念もあるが、実際、普通の街に住んでいる高齢者の住居はせいぜいトイレと風呂の手すり程度しか配慮していないのが多い。100点満点のバリヤーフリー施設でなく、60点程度でも十分なはずだ。緩和できる部分は基準を緩め、施設の普及をもっと容易にしなければ、これからの高齢化社会に間に合わない。それともうひとつ、過酷な介護業務をする人達への支援措置も必要だ。とにかく、労働の割には賃金が安すぎる。 いずれにしても、その地域の実情にあったものでなければ、上手く運用できない。地方に任せられることは、すべて任せた方が、合理的であり、たぶん、税金の使い方にもムダが無くなるだろう。

 地方分権がある程度進んだ段階で、次は民の力の活用が重要だ。いままでの福祉行政は、公共と民間の縦割り構造で進められていたがこれからは地域のサービスを行政と民間が一体となってできるシステムの確立が望まれる。福祉は社会から与えられるものでなく、自分達の力で社会を支えていく方向もある。つまり奉仕の精神だ。そうした原点に立ち戻り、どうしたら地域の人達が福祉に参加し、支えていけるか。それを自治体中心に考え取り組んでいくこと、これもこれからの行政のあり方だと考える。

 公共のあり方は、今後じっくり考えていかなければならないが、まずは、義務付・枠付の廃止・縮小の実行への政府方針は、大きな一歩として評価したい。
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政官財システムを断ち切れるか。 [自治・行政]

 いま、永年続いてきた自民党の古い政治システムを改めなければならない時期にきている。
まだ日本が発展途上の時代には効果的な政治のしくみであったが、現在は大きなブレーキになり、様々なところで支障が生じている。

 その最たるものが官僚政治である。
政治家が、サル山のボス争いをしている間、したたかな官僚は財源と権限をいつの間にか握り締め、自分たちの思うように日本を動かせる構図をつくってしまった。政治家はそのシステムに乗っかり、役人の作った政策を国民に説明しているだけで、主導権はいつも官僚にある。国民はそんな政治に気づき、今回の選挙で審判を下す。

 いずれにしても相手は手ごわい。与野党協力しなければ官僚政治の打破は不可能だ。とにかく政治システムを再構築しなければ、日本の根本的な問題は解決できない。
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地方分権はうまくいくのか。 [自治・行政]

 「官から民へ」、「霞ヶ関から政治を取り戻そう。」を合言葉に、国と地方との役割の見直し、国から地方への財源の移譲など、地方分権論議が熱くなってきた。タレント知事をはじめ、知事会の活動も効を奏して、今回の選挙戦では与野党のマニュフェストに、地方分権の方針が盛り込まれるに至った。これは大きな一歩である。

 しかし、地方分権が実現すれば、ムダの無く、地方の実情に合った政治が実行され、我々の暮らしに良い風が吹いてくれるのかといえば、そう単純ではない。地方に権限を移すには、それだけの受け皿の準備がしっかりできていなければならない。

 夕張市や大阪市のWTC(ワールドトレードセンター)等の破綻等は、霞ヶ関を中心とする国の行政の問題でない。むしろ地方議会など含め自治体の暴走が原因だ。地方に権限を委ねることは必ずしもムダの無い、良い行政が行われるとは限らない。霞ヶ関はずる賢いが、地方はまだまだ未熟であることを自覚しなければならない。

 その未熟さを脱するために、行政機関や首長や議員の政治家、民間企業や地域住民など、皆が政治に対して意識改革をしなければならない。どうすればお金を有効に使うことができるか、そうした意識を持って取り組まなければ結局はいままでと同じ構造になってしまう。そういう意味では地方分権は難しい。
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