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円安で、目先の損得勘定ばかりしている時期では無いのでは。 [経済・財政]

円安が止まらない。
今日は1ドル148円、今年の初めは110円-120円で推移していたから、3割近い円安だ。
当然のことながら、輸入に頼っているガソリンや小麦などの食料品や生活必需品は一斉に値上げに踏み切り、庶民の家計を圧迫している。しかしながら、他方、輸出企業などは為替メリットで得しているはずだが、目立った値下げなどの努力は観られない。一方、外国人による爆買いがはじまったようだが・・・。
 
かつては「円安株高」の構図があり、円安は日本経済にとって有利に働くと言われていた。だが、最近では「悪い円安」と呼ばれ、株式市場や景気にも不安が煽られ、嫌な空気が漂っている。
 
はたして、「円安は悪いのか。」
ある経済学者や評論家の話を聞いていると緊迫感はさほど感じられない。米国が利上げをして、日銀が金融緩和をしているのだから、円安なるのは当たり前で、原因が明らかなのだから問題はないという。むしろ、日本政府の外貨準備高が為替差益で約40兆円のプラスになっており、一番得しているのは日本政府だと言っている。だから、このお金を財源にして、円安で不利益を被っている人たちや、今後、日本の活力を創るための投資など行うべきと主張している。そんな話を聴いていると、いまは心配しなくても良いのかと思ってしまう。
 
だが、そんな悠長な話ではない。いまの日本、「豊かさ」は間違いなく低下している。
ひと昔前、1億総中流社会と呼ばれていた時代、中流という言葉にちょっと悲しさを感じたものの、貧乏でないという自負があったものだ。しかし、現在はそれが総崩れで、半数以上の人たちが低流の渦に喘いでいる。おそらく、社会や経済の仕組みが狂い始めているにもかかわらず、政治がそのまま放置したのが原因だ。
 
いまの政治は高度経済成長期から基本的に変わらず、大企業を中心とした資本主義システムの維持にある。大企業が頑張ることで、中小企業に資金が行き、そのお金が個人へ流れることでみんなが潤うという仕組みが信じられていた。けれど、それは工業など第二次産業が中心であった時代のシステムであり、そういう時代は終わった。そもそも円高のときに、大企業は中小企業を見限り、海外への工場移転や安い海外企業へ投資先を変えてしまった。その結果、日本の産業の80%を占めていた中小企業はガタガタになり、倒産も相次いだ。実はそのときに社会構造が大きく変わり、現在もなおその負の遺産を引きずっている。であるから、社会構造の再構築は必須であると考える。
 
ところで、豊かさとは何か。
お金があることが豊かなことか。
いままで、そう信じられて、日本の経済や政治、そして社会は回っていた。
 
身の回りには、必要以上に建物や車があり、まだなお膨大な量を生産している。また、スーパーに行けばありとあらゆる品物に溢れ、食品の多くは消費期限切れとなり処分される。
これがいまの日本の豊かさの実態だ。どこかおかしいけど、みんなそれを当たり前と思い、疑問を感じていない。
 
この豊かさをつくったのは政治である。  
政治が本当に悪いのかと言えば、日本は民主主義の国であり、国民が選んだ政治家がこういった政策を進めてきた。選んだ人たちにとっては、ほどよい社会なのだろう。しかしながら、国会議員選挙の投票率はいつも半数にも達しておらず、ほとんどの人たちが選挙を放棄している。特に若者や本当に困った人たちは政治に関心が薄く、自分たちの味方になってくれる政治家や政党に投票することもない。だから、弱者にやさしい社会にはならず、また社会が変わらない構図はここにあるように思える。
  
でも、いまは資本主義の恩恵を受けている人たちにも、かつてと違う状況が訪れてきているような気がする。だから、政治を本気で考えなければならない。いまは円安で目先の損得の話ばかりしているが、もうそんな時期では無いのではなかろうか。

タグ:円安
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