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「時代遅れのRock'n Roll Band」桑田佳祐の偉業に感動 [趣味・娯楽]

田佳祐の呼びかけで、佐野元春、世良公則、佐野元春、Cher、野口五郎の同年のトップアーティストが集まり、一度きりの贅沢なバンドが結成された。
 
メンバーは全員66歳、いずれも時代を牽引してきた実力派ミュージシャン。このバンドユニットを知ったとき、この組み合わせ、絶対にあり得ないと思ったが、意外にもいい雰囲気が漂っているのに驚いた。
  
これまで独自の道を歩み、異なる世界感を持つ彼らが自分の音楽やプライド、そして、お互いリスペクトし合いながら、想いをかけて真剣に歌い、演奏する姿は、観るものを魅了する。年ではでは渋さが際立つが、情熱とやんちゃさでは若者に負けていない。
  
桑田佳祐プロディユースの究極の「おやじバンド」は実に見ごたえがあり、カッコイイ。
   
そんな彼らが唱う「時代遅れのRock'n Roll Band」は平和の大切さや次世代への期待が込められたメッセージソングで、まさにこの時代の道しるべになる曲だ。歌詞には、ジョンレノンの「イマジン」やボブディランの「風に吹かれて」のように軽やかながらも、彼独特の表現で、こころに響く言葉がつまっている。
 
曲名の「時代遅れの・・・」が、ちょっとダサく、レトロっぽい印象を受けるが、メロディーにはひと昔の懐かしい香りとテクニカルなギターサウンドが協調され、絶妙な味わいを醸し出している。桑田さん一流の仕掛けがこの曲には豊富に盛り込まれているように思う。
・・・だから、聴いているとワクワク愉しい。
 
サザンオールスターズ発足以来の桑田ファンであるが、彼の進化し続けるパフォーマンスと飽くなきチャレンジ精神にいつも驚きと感動で元気をもらう。まだまだ彼の活躍と偉業を応援していきたい。

タグ:桑田佳祐
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岸田総理の「新しい資本主義」キャッチフレーズはいいが・・・。 [政治・政局]

最近、岸田総理のよく口にする「新しい資本主義」、国民はこれをどう受け止めているのだろうか。
先日のテレビ放送でも「様々な社会的課題は障害物でなく、それを成長のエンジンとして捉えて、持続可能な力強い経済をつくっていきたい」と語っていた。とても耳障りがよく、なるほど逆転の発想か!・・・うまい語りに思わず頷いてしまう。
 
ただ、冷静になって考えると???がついてくる。
そもそも、社会的課題が成長エンジンになり得るものか?・・・
  
例えば、いま最も関心が高い社会的課題である「格差社会のひずみ」を取り上げてみると、本当に「成長エンジン」として捉えることができるか。
いや、いくらこじつけても無理がある。まず素直に障害物とみなして、それを無くす努力が先決であろう。
 
そのためには、賃金の処遇や働き方、非正規雇用の問題、教育格差、さらに能力主義や成果主義などその背景にある様々な問題を掘り下げて、一つ一つ丁寧に解決していかなければならない。
少子化問題も同様、若い世代の経済不安や子育て環境の整備の遅れ、若者たちの結婚離れなど、その障害となる原因を明確にして、その壁を突き崩していく必要がある。やはり、「エンジン」でなく「障壁」そのものだ。
 
岸田総理は「成長」が、明るい未来を呼び起こす原動力のような訴えをしているが、逆に成長がもたらす負の作用こそ、社会的課題の原因であり、我々はしっかりそれを見定めなければいけない。
 
ここでひとつのキーワードがある。
「成長」でなく「脱成長」
   
マルクス学者の斎藤浩平さんが「人新生の資本論」という本で、この概念を提唱し、大きな反響を呼び起こした。「経済成長を求め続ける間は、労働条件も、地球環境も悪化し、生活は豊かさを奪われる一方で、飽くなき成長を求める資本主義から脱出した方が、99%の私たちは豊かになれる」という。
いわゆるグローバル資本主義の限界を、マルクスからヒントを得た「脱成長コミュニズム」という発想で痛快に批評しながらも、新しい道しるべを示している。とても読み応えのある内容で、硬派の新書本で30万部を超える異例のベストセラーで、2年前に出版されたが、いまでも店頭に置かれている。私もこの本の影響を得ているせいか、岸田総理の言葉には違和感を感じてしまうのだ。
  
もうじき、参議院選挙がある。日本は投票率が低いのでわずか10%増の人たちが選挙に参加するだけで、大きな番狂わせが起きる。
 
生活に行き詰まってる人、社会のひずみに苦しんでいる人は、選挙で自分の想いが通じそうな政党や候補者に投じれば世の中が変わる可能性がある。しかし、選挙に行く人たちは、資本主義の勝ち組の人たちが圧倒的に多く、そして勝ち組の政策の継続を願う。一方、負け組の人たちの多くは、政治に無関心であり、選挙に行かない傾向が強い。この構図が変わらない限り、政治は変わらない。
 
いまの自民党の保守政治が悪いと言っているのではないが、勝ち組の人たちを優先した政治になっているという事だ。ここに抜本的な問題が潜んでいる。
 
世の中を変えるには、自分に与えられた1票の重みをしっかり受け止め、選挙に行くことが何よりも大事だ。変えられる可能性は、それしかないのだから。

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家庭菜園、新じゃがいもの収穫 [家庭菜園・農業]

本日、わが家の菜園でじゃがいもを収穫。
今年は種いもが小さく、収穫を心配していたが、そこそのの出来栄えであった。
 
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 まだ緑の葉が残っているが茎は倒れている。収穫時の状況である。
 
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 10株分の収穫。やや小さめではあるが、まあまあの出来栄え。
 
近年、家庭菜園ブームで、じゃがいも栽培を始める人が増えてきて、種いもがすぐに完売される状況であり、特に人気の高い男爵は買うタイミングを外すと手に入らない。
また今回も一足遅く、男爵を買いそびれてしまった。残っていた種イモはメーンクインとキタアカリ。キタアカリの方が、男爵の形に近いという理由で20種入り1袋購入した。
植えたのは3月上旬であるから、本日の収穫まで3か月半の栽培期間である。
植えたら、植えっぱなしかというとそうではない。やはり手間はかかる。 
 
5月中旬、突然、一部の個所から葉っぱが黄色くなる病気が発生した。
モザイク病か、ベト病のどちらか。原因はウイルスか、カビなどの微生物らしい。
毎日、葉にダメージが来ているものをちぎり取り、何とか持ちこたえた。数年前、これを放置していたら、みるみるうちに枯れはてて壊滅状態。ほとんど収穫量がなかったことがある。今回はその学習効果もあり、無事に収穫に至った。
 
また、もう一つの学習として、植える深さを変えてみた。いつも5cm程度に土かぶるよう意識していたが、実際はそれほど被っていなかったのか、ジャガイモの実が土からでてしまい、皮が緑色に変色してしまうのだ。変色したじゃがいもはソラニンやチャコニンという天然毒素が多く含まれていて食べると吐き気や下痢などの症状を引き起こす。今年はさらに5cm深く植えたことで、緑化の被害はなかった。
 
また、肥料の入れ方であるが、種いものすぐ近くよりも、イモのなる位置を意識して入れた方が良いようだ。その方が肥料を直接吸収しやすいのか、大きく育つみたいだ。いろいろ、失敗を重ね、毎年少しづつ進歩している気がする。
 
今日は収穫した新じゃがで、ポテトサラダを作ってみよう。

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駅ホームで観た「無関心社会」 [社会・生活]

今日の帰りの通勤電車での出来事である。
帰宅時間帯に重なり、車中は足の置き場がないくらいの混雑で、私は吊り革に寄りかかりながら外の風景を観ていた。やがて、停車駅で止まり、対面側のホームをぼーっと眺めていた時だ。階段傍の壁にうずくまるように座り込んでいる女性を見つけた。年は30歳前後、髪が長く、黒い服を着ている。腕を丸めて顔を伏せ、どう見ても具合が悪そうだ。心配だけど、大勢の人が行き交う場所にいるので、当然誰かが声をかけるだろうと思いながら、ずっと眺めていた。
 
ところが・・・、いろいろな人が往来する中、いっこうに声をかける人はいない。
ただ、みんな気が付いていないかと言えば、振り向きながら通りすぎる人もいる。
少なくとも数十人以上の人たちが、彼女の前を通りすがっている。でも誰も声をかけていない・・・。
唖然としているうちに自動ドアが閉まり、電車が動き始めた。
 
ただ、ただ、うずくまる彼女が遠ざかっていく・・・。まだ誰も声をかける様子がない。
やがて車窓から彼女の姿が観えなくなった。
思わず、「ええっー!」とわが目を疑ってしまった。
 
その後、どうなったかわからないが、とにかく彼女の無事を願うばかりである。
 
世の中、「絆」や「安全、安心」という耳障りの良い言葉が溢れているが、この駅で観た情景はなんだろう。他人に対してあまりに無関心で、とても「絆」とか、「思いやり」という言葉を出すのが恥ずかしい社会、それが現実のようだ。
 
しかし一方で、自分があの場にいた時はどうしていたか。
率先して声をかけただろうか。
もしかしたら、誰かがやってくれると思い、通り過ぎてしまったかもしれない。あの大勢の一人にすぎなかった可能性もある。だから自分自身に対しても、幾分後ろめたさもある。
 
近年、インターネットが出現し、スマホ、SNS、AIなど、いわゆる情報化、デジタル化が、世の中を急激に変革し、人間優先から物質優先の社会へと大きな転換へと導いた。それに伴い、人のこころも、その変革の波に影響され、無機質で無関心な振る舞いをする社会に閉じ込められてしまったように思える。
 
今回の駅ホームの人々の無関心な空気は、いまの社会では驚くべき話ではなく、日常の普通になっているのかもしれない。もし、そうであれば、何とかしなければならない。いまだに我々は、生活の利便性や経済的な豊かさばかりを追い求め、それを政治に大きく期待している。ここらで人間として何が豊かなのかをもっと考える時期に来ているのではないだろうか。それには、我々自身が本当の豊かさに気づき、そして政治は方向転換するギリギリの時期に来ているように思う。
 
とにかくいまの日本は異常で、このままではいけない。
私が叫んでもどうにかなるものではないが・・・。
ただ、この駅ホームで観た小さな出来事から、いまの日本の無関心社会を憂うのであった。

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ハナショウブいまが見ごろ。水無月園(相模原市麻溝公園) [旅行・散策]

梅雨入りで、どんよりとした日が続く毎日。
これが過ぎれば過酷な真夏の季節がやってくる。いまは穏やかで静かなひとときだ。
そんな時期の花といえば、紫陽花(あじさい)。それから、あまりメジャーではないが花菖蒲(ハナショウブ)。その花菖蒲がいま見ごろを迎えている。
 
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ここは先週、散策した相模原市麻溝公園にある水無月園。118品種、22,000株のハナショウブが植えられている。この日のショウブ開花状況は、サクラで言う8分咲き。まさに一番の見ごろと言っていい。
 
見渡す限り、白、薄ピンク、薄紫、赤紫、濃紫の帯色のグラテーションが、みどりの葉と対比して、華やかで優雅な風情を醸し出し、初夏の新鮮な香りを放っている。これだけ大きな菖蒲園もこの彩あたりでは珍しく、多くの人たちが訪れ、その美しい風景と彩どり豊かな花々を堪能している。
 
ここは見晴らしが良く、全体の景色を絵画を観るように鑑賞するのも良いが、1つひとつ名前と花の種類を観察するのも愉しい。なにしろ種類が豊富でその名も個性的なのだ。
 
例えば「七福神」という名のショウブは、薄ピンク色に白のまだら模様。どうしてその名が付いたか。しばらく観ていると理由はわからないが、不思議にその名が似合ってきて、なんとなく納得してしまう。
もしかして、その名は花のイメージだけでなく、想いや望みが込められて、そこに惹きつけられているのかもしれない。それらの品種も江戸時代につけられたそうで、短歌を詠むような名前が多い。そんな詩情あふれる風情に浸っていると、自然に心が和み、とても新鮮な気分になる。
 
でも、これだけ見事な菖蒲に出会えたのは本当にひさびさでナイスタイミング。 
こんな調子で自由気ままに歩いていると、気が付けば1万2000歩。
いい運動ができ、かつ梅雨どきの気分がすっきりの散策であった。
 

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夏の風物詩、あじさい、 [趣味・娯楽]

これは朝の通勤途中で撮った写真である。

 

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場所は東京港区の高橋是清翁記念公園。特にあじさいが有名な場所ではないが、静閑な深い緑の中で、パステル調の青紫色がよく似合う。いつも通勤でその前を通るが、カラフルな彩りに気を取られ、思わず足を止めてスマホでカシャリ。優しい香りが漂う、夏の風物詩の1枚である。

  

あじさいは梅雨のしっとりした時期に咲く花で、そのせいか、華やかさがあるにも関わらず、地味で控えめなイメージが強い。

だから、京都や鎌倉の古寺との風景にぴったり合う。あまり主張をせずに、周りを引き立てるのが、この花の不思議な魅力だ。

   

主役であること主張せず、脇役のように振る舞うのも、美しい生き方なのかもしれない。

 


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