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メタバーズの幕開け、どのような時代が訪れるのか。 [教育・科学・技術]

メタバーズ。
いよいよ、その時代の幕開けなのか。
東京大学でメタバーズ工学部が開校するという。国を挙げて取り組む時が来たようだ。
 
これまでベンチャー企業やゲーム会社などがこの技術を先行して磨いていたが、欧米や中国などの本気度と比べると、その力の入れようは大きく見劣りがする。今後、世界をリードしていくにはこの技術を制することが、もはや必至といえるかもしれない。
  
そんなメタバーズはどのくらいの変革をもたらすのだろうか。この30年インターネットの出現で世の中は大きく変わったが、おそらく、その比ではないだろう。何しろ、現実とは全く違う、仮想の世界に人々を連れて行ってしまうのだ。想像を絶するくらい大きな変革があって当然。いまのところ経済面でのメリット(明るい未来)が叫ばれているが、はたしてどうなのか。
 
いま実験的にいろいろなことが行われ始めている。例えば大学の授業も、アバターで仮想空間の教室に出席して、そこでアバターの教師や友人たちと触れ合う。そこには自分がいるが、「私」でなく、自分である「彼」である。
その彼は、自分の意志で、授業を受けるがやはり偽物の自分だ。そして姿や形はいくらでも化けられる。ここには本当の世界はない。でも、大学の「学びの空間」として真実の世界になるのだ。これを世間を全く知らない若い世代がどっぷり浸るのだから、ちょっと恐ろしくなる。
 
また、いまは特定のメンバーで構成された安全な仮想環境であるが、やがてコンピュータウイルスのような悪質なものが挿入されてくるのも時間の問題。その時に、どのような混乱が起きるか。また、コンピュータの世界なので、自分をいくらでもリセットできる。リセットできる人生は望まれるところもあるが、それがいとも簡単にできと勘違いすれば、現実の世界で取り返しのつかないことが起きることも予想される。そんな大きなデメリットを孕んでいるのがメタバーズではなかろうか。
 
とにかく、同時に現実と仮想の相容れない2つの世界に自分が属するということは、とてつもない混乱が生じるのは必然である。基本的には「人のいのち」という概念がぐらついてくる。つまり血のある現実の「いのち」とデジタルで想像された「いのち」。我々の一番大事にしている「いのち」が、ただの商品のように軽く扱われる危険性が大いにありうる。その時、人間とは何かという大きな問題に突き当たるだろう。
いずれにしても、とんでもない時代がくるような予感がする。

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もはやスマホは脳の補助機能か。 [教育・科学・技術]

先日、出張帰りの特急で異様な光景を目の当たりにした。
いや、これはもはや当たり前なのだろうが、私の目には異様に映った。
それは車両の後部座席側にあるトイレから自分の席に戻るまで観た車内の状況である。
車内は日暮れ過ぎでやや薄暗く、特に話し声も聞こえず、ただ線路を走る音だけが響いていた。
そんな中、座席の間の通路を歩いていると、どの座席からも妙にコントラストが強く、鮮やかに発光するスマホ画面がチラチラ観える。それぞれ何を観ているがわからないが、その小さな画面で赤や黄色、青などの光が忙しく動いていて、とても不思議な感覚になる。
 
見方によれば、ひとりひとりがスマホを手にしている何気ない日常の姿かもしれない。おそらく、みんな普段と変わりないしぐさで、特別なものなどないであろう。しかし、この異様さは、そんな日常に対して疑問を感じさせる光景であり、ややゾッとする感触すらあった。とにかく、みんながスマホに支配されているように観えたからだ。
 
いま、人々の生活がスマホ中心主義ともいえる時代に移行している。そもそも、「人と話す電話」から始まった携帯電話、スマートフォンであるが、コンピュータや通信機能を獲得することで、ビジネスやショッピング、遊びだけでなく、お金の入出金決済や公的な手続きなど、すべての生活インフラの窓口がスマホに置き換えられつつある。それゆえに、計り知れないほどの必需品であることは間違いない。
 
もう何年くらい前になるか、スマホが一般の人たちに普及し始めてから「スマホ中毒」という言葉が世間に登場し、スマホ画面を見続けると目に良くなく、あるいは精神的にストレスにもつながれると危惧され、社会問題としても大きく取り上げられた。現在はそれをはるかに通り越し、もはや脳の補助機能のような必要不可欠な存在といえよう。中毒というよりも、依存しなくては生きていかれないという社会システムが構築されてしまっている。むしろ、そうした社会のしくみや構造そのものが、この問題を大きく変換させ、私たちの生活や生き方を誘導している。
 
もうスマホなしでは生活はままならず、生きていく上でなくてはならないもののようだ。まだ、スマホがない時代を知っている世代は、このスマホ中心主義に違和感を感じるかもしれないが、生まれた時からスマホ漬けになっている世代は、この人口頭脳なしでは生活だけでなく、人生そのものも考えられないのではなかろうか。
 
人間の脳はそもそも不合理的で物事を悩みながら複雑に考え、お互いその複雑さを尊重、協調しながら、人間関係や社会を構築している。この無機質で合理的、効率性を追求している便利なツールであるスマホ(人工頭脳)は、今後の人々の生活や社会にどのような影響を及ぼしていくか。不合理なものや弱いものを排除して、合理的で効率のよい、できる者だけが優遇される社会はご遠慮願いたい。しかし、時代は明らかにそちらの方向を目指しており、それが人々にとって幸せなのだと啓蒙しているようにさえ思える。
 
人間臭さ、泥臭さ、人の情けなど、時には厄介といえるが、それらが排除されない社会、時代が続いてほしい。自然の世界に生きる人間には、これらがやはり大切なもので、決して失ってはならないものである。
スマホはただの便利なツール(道具)か、それとも人間の機能の一部か、あらためてスマホと人間の関係性をもっと真剣に考える時期に来ているのではないだろうか。もう、かつてのSF世界に突入しているように思う。

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いまは学園祭の時期。のびのびと精一杯楽しむ学生たちが輝いている。 [教育・科学・技術]

 夏はどうやら終わったようだ。今日は天気も雨模様でジトジトしている。周囲をよくみると紅葉が少し始まっている。考えてみれば来週は10月、もう秋本番である。

 この時期、あちらこちらの学校で文化祭が開催されている。夏の暑さが和らぎ、ゆったりと読書や美術や音楽鑑賞をしたい気分になり、学園祭はちょうど良いタイミングだ。つい先日、ある付属女子中高校の文化祭に行ってきた。

 学生たちはいろいろ工夫を凝らし、「自分たちのいま」を精一杯アピールしていた。工作や書道、音楽、文芸、演劇など、どれも味わい深く、大人がまねできない嗜好を凝らし、見学者を大いに楽しませてくれた。また、女子生徒たちの笑顔がとっても良い。実に生き生き、楽しそうで輝いていた。

 いまは塾産業が学生たちの行動・思考を支配し、親たちもそこに預ければ安心という社会の風潮が出来上がっている。良い学校を出たからと言っても、幸せが補償されるわけでもないのに、相変わらず親たちは学歴トラウマになっている。塾は良い学校に入るために、受験テクニックを徹底的に教え込む。無駄なことを排除し、いかに効率よく考えるか、思考パターンを改造しているところなのだ。ある意味、気をつけなければならない。

 この女子中学・高校は大学の付属であるせいか、あまりそうした空気は薄い。だから、展示作品にものびのびと、よくこんな手間のかかることをやるなというものも多くあり、何かホッさせられる思いであった。これからの世の中はこうした精神が大事であると思うが、戦略的思考が優先される社会で、難しい面も多く出てくるだろう。それでも豊かな心の形成に、無駄と思えるゆとりの大切さを根付かせてほしい。

 塾はテクニックを教えるところであるが、学校はやはり人間形成を中心にバランス良い思考と心を豊かにする教育、それが最も大事なことと考える。


タグ:学園祭
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ゼロエネ住宅、普及に弾みがつくか。 [教育・科学・技術]

 ゼロエネルギー住宅に注目が集まっているらしい。

 これまでは壁の断熱材を厚くしたり、窓ガラスを複層ガラスにするなどエネルギー消費量を抑えた省エネ住宅が主流であったが、最近は太陽光パネルや燃料電池を備えた、いわゆる発電によって電気をつくる創エネとそのエネルギーを貯め込む蓄エネで、全体のエネルギー消費量を限りなくゼロにするという夢の住宅である。

 東日本大震災の原発問題をきっかけに日本のエネルギー事情は大きく変わり、今では天然ガスや石炭などの火力発電が主に国のエネルギーを支えている。しかしながら、これらの資源には地球温暖化ガスの排出や供給の安定確保などの問題があり、すべてを依存するわけにはいかない。また太陽光発電や風力発電も建設が進んでいるがやがて立地場所などで頭打ちになるだろう。地熱発電やバイオマスもなかなか進展せず、自然エネルギーで供給体制を構築することは極めて難しい。

 そうなるともう一つの対策は、エネルギー消費量を如何に抑えるか、そこがポイントになる。現在、企業や家庭でもエネルギーの無駄使いをなくす節電がだいぶ浸透し、この夏の猛暑もなんとか計画停電なく過ごすことができた。しかし、安心できるレベルではない。まだまだ必要なエネルギーは膨大である。これを大幅に減らす施策、住宅のゼロエネ化が最も効果的な方法であろう。

 IT技術やロボット技術などの技術革新は目覚ましいものがあるが、相変わらず建設分野はローテクノロジーのイメージが強い。超高効率のエアコンや魔法瓶のような断熱、そして自然の力を利用して発電、蓄熱する技術など次々開発してもらい。この分野はまだまだ開拓の余地がありそうだ。国や企業は率先して取り組んでもらいたい。 


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新国立競技場、地震対策もしっかりと。 [教育・科学・技術]

 新国立競技場はゼロベースで再計画。本当に間に合うのだろうか。

今度は国民の厳しい目が光っており、予算オーバーは許されない。だからと言って、国家の威信をかけた大プロジェクトであり、経済性を最優先し、北京、ロンドン、リオオリンピックのメインスタジアムより見劣りのするようでは、これも国民の納得が得られないだろう。安倍首相は国のすべての総力を結集し、今後世界で模範になるオリンピックスタジアムを造ることが、国民の期待するところである。日本の実力を考えれば決してハードルが高いものではなく、数か月後にはアッと驚く、最高のプランが出てくると信じている。

 個人的には、前回のデザインコンペで3位入選したSANAA案の実現に期待を寄せているが、これも予算的には大胆な変更が必要であろう。

できれば日本の素晴らしい文化、芸術の香り、卓越した先進技術等が盛り込められた建築を観てみたい。世界中もそれを期待していることだろう。

 ただ、地震大国の日本。デザインや競技機能ばかりに気を取られていてはいけない。やはり防災対策が要求事項の最上位に位置づけられるべきであり、日本の技術力を世界に示す最大のチャンスとも言える。

 あと5年、限られた時間の中でどれだけの事ができるか。日本の底力が試される時である。


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スマホ電磁波は体に悪いか。 [教育・科学・技術]

 スマホ電磁波が「体に悪い」。今朝の新聞にそんな記事があった。携帯電話が急激に普及しはじめたころ、この健康影響を心配する話題はよく耳にしたが、その後、あまり聞かなくなった。

 技術の進歩によって、電磁波の出にくい携帯に改良され、その問題は解決されたと勝手に思っていた。しかし、そうでもないようだ。

 記事によると、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの各社は「携帯を持ち運ぶときや身体に密着して使う場合、1.5cm以上離す。」と説明書に記載しているらしい。これはスマホだけでなく携帯電話すべてだ。

 日本では、総務省が調査を実施し、脳腫瘍や聴覚神経とがんとの関連は見つからなかったと健康被害との関連は否定的な見解を出している。一方、国際基準になる世界保健機構(WHO)ではがんとの可能性も指摘し、どちらかと言えば慎重な姿勢を示している。国によっては、特に抵抗力の弱い子供たちに携帯の使用制限をもうけている国もあるくらいだ。

 だが、日本は経済優先主義の国である。携帯の売れ行きに水の差すような話はタブー。これは原子力発電を推進した時と同じで、決定的な危険リスクが世の中で示されない限り、ブレーキがかかることはない。ここまで普及し、生活必需品になった携帯電話、その存在を否定することはまずありえない。データの高速化が進めば、さらに電磁波が強力になり、健康影響も懸念される。便利さが進めば進むほどと同じように危険度も増してくる。そんな構図があるようだ。

 現在、我々の身の回りには携帯のみならず、様々な電磁波が蔓延している。もし、電磁波が視覚的に見えたらどうか。きっと、そこにいることさえ、電磁波汚染で恐ろしくなるに違いない。

 いずれにしても用心深くするしかない。いま、少なくとも携帯を心臓に近い胸ポケットにいれるのだけは辞めておこう。


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原発は運転休止しても決して安全ではない。 [教育・科学・技術]

 全国にある54基の原子力発電所のうち、唯一稼動している北海道電力泊原発も、5月に入れば定期検査ため運転を休止する。

 事実上、すべての原発が止まるという異常事態が起こる。 原油の高騰、長引くデフレ不況、多くの国民はこの状況に複雑な思いを抱きながらも、安全性の面から、ちょっと安心しているのではないだろうか。 しかし、それは大きな勘違。決して危険のリスクから回避はできない。むしろ、そうした中途半端さが非常に危ない。

 そもそも、核燃料棒は一度使い始めたら最後、その桁外れの熱エネルギーを抑える難しさは、福島原発事故で嫌というほど知らされた。原発を稼動させようが、停止させようが、安全性を確保するためには、ずっと冷却を続けなければならない。結局、すぐに廃炉、撤去というわけいはいかないのだ。

  太陽光発電、風力発電や地熱発電などの将来有力なエネルギー源も、現状では原発に取って替わることができない。まだまだ、力不足である。そう考えると、今の核燃料棒を使い切りながら、徐々に代替エネルギーに切り替えていく方法も一つの選択枝であろう。反原発派には意義ありだろうが、それが最も合理的で、現実的な方法であると思う。いずれにしても、我々は手にを得ない厄介なものを造ってしまったのだ。

  これから、夏に向けて電力需要が大きくなる。いつまでも、原発の被害ばかりを論じて、悔やみ続けても仕方がない。今は、現実を直視し、一歩でも先に進むことが重要と思う。


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米アップル、スティーブ・ジョブス氏はデザインにも革命を引き起こした。 [教育・科学・技術]

  スマートフォン元祖といえるiphoneの新製品発表を前に、米アップル社の最高経営責任者(CEO)スティーブ・ジョブス氏が56才の若さでこの世を去った。今世紀、最も偉大なる創造者の早過ぎる死に、世界中、驚きと悲しみに包まれた。私もアップル派ではないが、彼の生き方や考え方に深く共鳴していたので、ショックが大きい。

  彼の業績は言うまでもなく、マッキントッシュ、ipod、iphone、ipadなど、人々を魅了するせ製品を次々発表し、そして世界中に「アップル製品」と「アップル文化」を広げていった。それはデザイン革命であり、音楽革命、そしてIT革命でもあった。さらに大きな視点で観れば、文化・芸術革命、そして社会革命にも繋がったと考える。

  日本でも、デザインに関わる仕事をしている殆どの人達は、たいていアップルのコンピュータを使っている。ウインドウズでフォトショップやイラストレータ等のデザインソフトを動かしているのはあまり見かけない。芸術系では、アップルの存在は絶対的だ。

  また、こうしたデザインソフト自体もアップルコンピュータで生まれ育ったと言っていい。そして、そのソフトがあったからこそ、多くのデザイナーは想像力を豊かにし、新しい発想で、より良いデザインを世の中に発信できたのではないだろうか。

  スティーブの求めている愉快で、楽しく、そして明るい気分、そんなデザイン感覚は、アップルのマッキントッシュを通じて、世界中に広められた。アップル製品の宣伝も、いつもわくわくするようなデザインに溢れており、デザイン界の先頭に立っている感じがする。彼は、メカニカルだけでなく、ソフト面でも世界を変えてやろうという気概があったに違いない。

  数年前の母校のスタンフォード大学卒業式で講演は有名である。若者たちに最後に贈った言葉は実にシンプルである。「ハングリーであれ、そして、愚直であれ」。

 彼の創造の源泉は、意外にもこんな思いの中から湧き出てきたのだろうか。この言葉に影響されて、第2、第3のジョブス氏が現れ、世界に良い影響を与えてくれることを期待する。


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もう1つの「核廃絶」のため、日本は原発解体の技術を磨くべきだ。 [教育・科学・技術]

 8月6日 8時15分。66年前の今日、広島に原子爆弾が投下された。

 被爆者の平均年齢は76才を超え、その忘れてはならない記憶も、我々の心から薄れつつある。

 しかし、今年の東日本大震災で起こった福島原子力発電の事故で、再び日本は被爆国になってしまった。

 非核3原則を守り、かつ核廃絶を世界に訴えているにもかかわらず、事故とはいえ、自らの「核」で苦しむ羽目になったのだ。

 人々は、核の「軍事利用」と「平和利用」を、都合よく色分けしている。だが、実態は同じ原子力であり、その脅威は全然変らない。動物園でおとなしそうなライオンも、ひとたび野生に目覚めれば手のつけられない猛獣に化してしまう。今回の福島原発も同じ状況だ。核を安全な箱に閉じ込めていたつもりが、その箱が壊れてしまい、我々の前に恐怖の姿を現してしまった。押さえつけても、核の狂暴さをなかなか封じ込むことができない。核と人間の戦いが、また日本で始まっているのだ。

 今後、原発の廃棄、撤去に数十年単位の時間を要するという。本当に燃料棒を撤去できるのか、それすら疑問を投げかける専門家もいる。その間、常に我々は核から発する放射能に向き合わなければならない。

 ある評論家が「脱原発は難しい問題だ」と言った。その理由として、一つは、経済を考えなければならない。原発で依存している30%の電力をどう補うのか、それ無しに日本経済は成り立たなく、簡単に脱原発なんてありえないという。また、原発関連で仕事をしている人、その補助金で恩恵を受けている自治体をどうするか。政治的問題が絡む。それから、世界に誇る原発技術を軽々に捨てるものでなく、維持していかなければならない。日本の技術の大きな損失になると、そんな考えを語っていた。

 ひとつひとつ聞けば納得できる内容でもある。だが、どうだろう。

 日本経済はそんなに軟(やわ)なものではない。工場海外移転問題は、国内の電力事情よりも、為替変動要因の方がはるかに大きい。原発の仕事がなくなれば、他の仕事につけばいい。世の中、転職している人はざらにいる。いや、当たり前である。また、厳しいようだが補助金の恩恵を認めるわけにはいかない。

 それから、原発技術も、将来性はないと判断したら、撤退すべきである。それを維持する必要はどこにあるのだろうか。最先端技術の分野では、長年培った技術でも潔く捨てる決断を迫られることが多い。その技術を捨てたから、すべてを失うものではない。むしろ、今回の事故でわかったが、原発の解体で、非常に高い技術力を要することだ。特に事故を起こした原子炉を処理するためには、とてつもない費用とノウハウを必要とする。

 日本はむしろ原発を無くす技術をここで磨き、世界中から原発という核を無くす仕事を担うべきではないだろうか。この恐ろしい原発を世界に広げるのではなく、廃絶することこそが、非核を主張する日本にふさわしい姿ではないだろうか。

 日本中、是非、声を大にしてもらいたい。

 


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宇宙航空研究開発機構(JAXA)の特別公開。難しいが面白い。 [教育・科学・技術]

 7月終わりに宇宙航空研究開発機構JAXAの相模原キャンパス(宇宙科学研究所)で年一回の特別公開が行われる。この見学会は我が家の毎年の恒例行事である。

 昨年は、はやぶさの奇跡の帰還直後とあって、すごい人混みであったが、今年はやや落ち着いて、ゆっくり展示を楽しむことができた。

 建物1号館に入り、まず目にするのは、はやぶさの実物大の模型。あの奇跡に大きく貢献したイオン推進エンジンの説明の前は、大勢の人だかりだ。私の興味は、もちろん、はやぶさが持ち帰った小惑星イトカワの微粒子。どんな分析結果が出たのか、今回の楽しみの一つであった。

hayabusa.jpg

(はやぶさの実物大モデル、イオンエンジンの説明)

 微粒子について、研究員の説明では、まだ初期分析の段階らしい。まず、持ち帰った微粒子が宇宙のものか、地球上のものか。その中には明らかに地上にはありえない粒子が含まれていたという。そのポイントとなるのが、その粒子に含有されている鉱物(かんらん石、輝石、斜長石、硫化鉄など)。地球上にもある物質であるが、そうした密度の高い物質の構成比率は地球の地下深くのマントルにあるもので、地表では極めて考えにくいものだという。さらにその微粒子をガンマ線で切断して詳細分析するらしい。惑星や宇宙誕生の謎に向けて、今後の研究が楽しみである。

 1号館の1階はその他、世界初の宇宙ヨットの「イカロス」の紹介。宇宙で20mの大きな帆を広げ、太陽光の力で航行するといった新しい発想で開発された実証実験機。研究員の方によると、得られた成果は120%。ただ、帆を広げる際のわずかな膜のねじれやゆがみが、衛星の体勢を維持するのに苦労したとの話が印象的であった。

 2階に上がると、ここは電波、赤外線、X線天文学のコーナーで、最先端のハイテク技術を駆使した研究が紹介されていた。ここは専門性が高く、高度な解析技術で、どこまで宇宙の神秘を探ることができるかを追及しているようだ。理論的には証明されているブラックホール、実際の観測解析画像なども展示されており、最先端の研究に挑んでいる姿がうかがえた。

 中庭では、探査ロボットが動いており、子供たちが興味シンシンで観ている。質問コーナーで、男の子と研究員とのやりとりが面白かった。質問では「このロボットは倒れるとどうなるのですか」と聞くと、研究員が、笑いながらバツの悪そうな顔で「良い質問ですね。このロボットは倒れたままで、誰かが直さないと元に戻れません・・・。自分で立ち直れるロボットも作っていかなければなりませんね。」と答えていた。たぶん、もっと予算があれば、すごいロボットも作れる技術はあるけど、事業仕分けでバッサリ削られているのだろう。

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(探査ロボットの実演、ちょっと単調な動きだ)

 今回の見学で特に興味を持ったのが、「れいめいプロジェクト」。多大な開発費、打上げ費用がかかる大きな衛星でなく、短期間で低コストで、大きな仕事ができる「小さな衛星」の開発。この衛星はメーカー任せでなく、若手技術者が中心になり造ったもので、科学技術者の育成も兼ねているという。

 このプロジェクトの責任者らしき方とお話し、驚いたのが、この衛星は日本の種子島からではなく、カザフスタンの砂漠から、旧ソ連のミサイルに搭載して打ち上げたという。米ソの核軍縮協定の中の旧ソ連の核ミサイル廃棄削減をするため、平和利用を目的にそのミサイルロケットを活用したそうだ。もちろん、コスト低減も大きな要因であろうが、平和国日本ではミサイルで衛星を打ち上げるなんて考えもつかないことだ。

 現在、その衛星は地球を1日2周廻り、太陽から発する電子量などを観測して、オーロラ現象の研究等行っているらしい。予算のかかる大がかりなプロジェクトばかりでなく、こうした汎用的で質の高いプロジェクトも、今後、国として力を入れていく必要性を感じた。

reimei.jpg

(れいめいプロジェクト、小型衛星のモデル)

今回も、なかなか勉強になった1日であった。


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Eテレ「ティナ・シーリグ氏のスタンフォード白熱教室」はアグレッシブだ。 [教育・科学・技術]

 スタンフォード大学企業家養成講座ティナ・シーリグ先生の授業がとても刺激的だ。

 スタンフォード大と言えば、世界最高峰の学府である。超秀才たちが大学でどんな勉強をしているのか興味深々で番組を観た。授業の内容が、日本では考えられないほど、自由で創造性に満ちている。とにかく答えは一つでなく、様々な視点から、最も良いアイディアを引き出す工夫が凝らされている。これを観ていると勉強しているのは学生だけでなく、先生も一緒になって、新しいことを学んでいる。

 番組の第7回目講義では、いまをときめく企業の第一線で活躍する4人のゲストを招き、企業の創造性の秘密を、クイズ形式で探るといった内容であった。「創造性」という答えが有って無いような事象をどう捉えるか、学生が絞り込んだいくつかの質問から、ゲストと学生の知恵比べが始まる。

 授業の進め方はこうだ。生徒を2つのチームに分けて、先生が創造性についてゲストに質問をする。たとえば「採用面接で創造性をどう見抜くか」「創造性高めるチームのつくり方」「アイディアを実行するとき決定権は誰にあるか」など、それらの質問をゲストが自分の会社や体験を例にとって答えていく。ただし、本当のことでなく、ウソを話してもいい。それを学生たちが本当かウソかを当てる。学生たちは騙されまいと必死だ。ゲストも頭の良い学生相手だから、下手な話をすれば直ぐバレる。お互い創造性を高め合いながら真剣勝負をしていく。最後に学生たちが考えた答えに対して、ゲストはウソでも本当でもその理由をわかりやすくジョークなどを交えながら話す。その中で学生たちは自分の考えとの違いを理解し、その多様な考え方を深く学んでいく。

 この授業で面白いのはチームで考えることにもある。そこには組織で物事を考えて進めていくヒントが隠されているようだ。当然、チームの中には色々な意見があり、たったYES,NOの2つの答えでも大きく分かれる。その時の学生たちの臨機応変さも感心させられる。時には多数決を採ったり、場合によっては、ある1人がみんなを惹きつける意見を出してまとめ上げてこともある。ここにもビジネスの中でスピーディーに物事を決定させ、進めていくノウハウが盛り込まれているようだ。

 それに比べて、日本の大学はどうだろうか。私の時代と変わらなければ、まず、学生たちを大教室にすし詰めにし、先生が専門書を読みあげながら一方的に授業を進める。実に退屈で、答えはおおよそ1つ、その中には創造性のかけらもない。また、学生たちもチームで考えることは無く、試験で授業で教えられた内容を、それぞれの学生がどれだけ理解し、暗記しているかが試されるだけである。結局、日本の学生は大学で個人プレーでやる方法しか学んでいないのではないだろうか。

 日本の詰め込み教育に対して、アメリカは実践教育が主体と言われている。ただ、その実践的授業に臨むには、高い専門知識や基礎学力も当然必要になる。おそらく、スタンフォードの学生はしっかり目的を持ち、そうした知識を日本の学生以上に勉強しているように思える。もちろん、世界トップクラスの学生であるから、当たり前のことかもしれないが。

 一方、日本の教育は、小中学校までの基礎教育まで良いが、それ以降はあきらかに問題だ。大学の教育方法が義務教育と変わらないようでは、それに対する学生の意識も同様であろう。せめて東大をはじめとする難関大学ではスタンフォード大のようにアグレッシブであってほしい。

 こうして考えると、最近、日本の企業が世界の中で埋没していく原因は、やはり「学校教育の質」が大きい。同じ仕事でも、クリエイティブに楽しく、そしてスピーディーに取組むのと、自分の役割だけ、黙々とこなしていくのでは、仕事のレベルや精度だけでなく、情熱や勢いにも大きな差が生じるだろう。「偏差値教育」と「安全志向」に偏った日本式教育、そろそろ脱却しなければ、本当に世界の中で置いてけぼりになってしまう。

 この白熱教室は日本の古い教育体質を根底から考えさせられる番組であった。


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日本製品だけでなく、日本の若者もガラパゴス化か。 [教育・科学・技術]

 最近、若者たちが内向きになってきている。ある記事によると、アメリカに留学する日本人が激減しているらしい。

 世界の大学ランキングで最上位に上げられるハーバード大学やマサチュアセッツ工科大学(MIT)は、かつての日本ではエリートのステイタスとして憧れの的であり、世界に羽ばたこうとする優秀な学生が数多く留学していた。しかし、今そこにいるアジア人は中国や韓国の学生ばかりで、日本人の存在感は全く影を潜めているという。実に悲しい事態だ。

 ガラパゴス化現象は、「日本製品」だけでなく、「若者たち」という人間にも、まさに進行していると言えよう。これは非常に危機的状況で、何とか打開しなければならない。

  では、なぜこのような若者の内向き傾向が進んだのか、2つの要因が大きいと考えている。一つは、日本が豊かになり、現状で満足できる社会が出来上がっていること。衣食住に困らず、世界旅行だって容易にでき、そこそこの幸福ならば、さほど努力しなくても目の前にある。ある意味では成熟社会といえるかもしれないが、そんな中で、人一倍努力する意味さえ失われていことだ。

  もう一つは、少子高齢化社会の中で、子供を過保護化。親、祖父母たちが、1人の子供に、色々世話と干渉をかけすぎ、知らず知らずのうちに子供たちに大人の論理を押付けている。特に年齢を重ねるほど、リスク犯して失敗する事を極端に嫌う傾向がある。そんな考えを小さい時から仕込んでいけば、当然冒険心のない人間に育っていく。いわば保守人間の製造になっていることだ。

  本来、強い人間に育てるには、やはり厳しい環境の中、自分で考える能力を、養わなければならない。だが、今の日本では、それが全く逆である。つまり、いまの若者たちが勝手に内向きで保守的な人間になったのではなく、大人たちがそうなる環境をつくりあげたことに問題の本質が隠されていると思う。

 したがって、教育がどうだ、政治がどうだでなく、大人たちの一般的な考え方、生活の転換がまず第一と言えるのではないか。 子供手当てで、まだ政治はもめているが、そんなことよりも、もっと足元をしっかり考えなくてはならない。このままでは、決してこの国の将来は明るくならない。

 


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あかつき、試練を乗り切り6年後、また感動を。 [教育・科学・技術]

 金星探査機「あかつき」の軌道投入失敗は残念である。

 逆噴射後の通信が途絶える報道で一抹の不安を感じたものの、はやぶさの奇跡の生還劇がまだ記憶に新しいこともあって、またの感動を期待していた。しかし、未知の世界への挑戦、成功へのハードルは相当高いものだ。6年後にまた金星に近づくらしいが、そのときにまた奇跡が起こるか、楽しみに待とう。とにかく、日本中の期待を一身に背負い、必死にこのプロジェクトに取組んだ皆さんには、この結果に気落ちせず、次なるチャレンジに燃えて欲しい。

  近年、日本は技術後進国とされてきた中国や新興国に凄い勢いで追い上げられている。いや、お家芸とされていたハイテク技術もいまや韓国の方にお株を取られている状況だ。

 昨日の新聞に、15歳以上の学力調査の世界ランキングが載っていたが、日本は昨年よりも改善して順位は8位という。これまで懸念されていた学力低下に歯止めがかかったと、安堵の言葉が書かれていたが、上位を占める国々を観れば、いまの日本とライバルにあるアジア諸国だ。順位が上昇したからと、のんきにしていられない。資源のない日本は人が資源である。その未来を担う若者がもっと頑張らねば、この国の将来は決して明るくない。

  技術力は、知識の多さ、高さだけでない。最も大事なのは、新しい事への挑戦である。今回、残念ながらあかつきの挑戦はいま一歩届かなかったが、閉塞感が続くいまの日本に元気の出る話題を提供してくれた。

 こうした試みが、若者達をもっと刺激し、チャレンジ精神を呼び覚ましてくれることを期待したい。


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ハーバード大学マイケルサンデル教授の白熱授業が面白い。 [教育・科学・技術]

 正義とは何か。このテーマを身近な問題に置き換え、難しい哲学を学生たちと熱い討論を重ねながら一緒に考えていく。

 NHKの特集番組で知っていたが、本屋でたまたまサンゲル教授のこの本が目に止まり、思わず買ってしまった。

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業(上)

  • 作者: マイケル サンデル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/10/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 最初は「正義」というタイトルに違和感を多少覚えたが、読んでいるうちに、人類がもっとも苦悩しつづけたテーマであり、それは今なお答えが見出せない究極のテーマであることを、あらためて知らされた。

 「正しい行いとは何か。」 その問い掛けが次のように衝撃的である
「もし1人の人を殺せば、5人の命が助かる場合、あなたなら、その1人を殺すべきか。」 
一瞬、思考停止してしまいそうな問いが、ポンポン出され、問題の本質に迫っていく。

 何を理想とするか、何を幸福とするか。立場、状況、環境によって大きく変わってくる。どれが正しくて、どれが間違っているのか。視点を変えれば、まったく逆転してしまうこともある。そんなことも、次々に展開され、思考の迷路の中に導かれていく。

 人が生きている社会の中では、物理や化学のように1つの法則で答えに到達できるものではない。求める理想が異なれば、当然方法論も変わってくる。

 ここでは、アリストテレス、ロック、カント、ベンサムなどの古今の哲学者たちの概念で、身近な問題を解きほぐし、そこで生じる悩ましい課題を浮たださせ、さらに討議を進めていく。討議をすればするほど、次々に課題が現れ、実にモグラたたきをやっているかのように、結論は見えてこない。
しかし、サンゲル教授は、こうした議論を続けることが重要であるという。お互いの理解が深まり合う可能性があるからだ。

 最後に、道徳と政治の関係が語られていたが、難しい問題ながらも、こう締めくくっている。
「道徳に関与する政治は、回避する政治よりも希望に満ちた理想であるだけではない。公正な社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ。」
 とても、難しい言い回しであるが、つまり、法律や規則だけでは理想の社会をつくることは困難で、宗教や道徳、倫理、奉仕の精神などそうした概念も併せ持って進めていくことも必要と指摘しているのではないか。

 最近、禅の精神、武士道など日本の古い精神論が見直されている。先人達がより良い社会を築くために考え抜いたノウハウが、実はいっぱい詰まっており、哲学でなかなか解決できないようなヒントも、そこにあるかもしれない。サンゲル教授は、そうした面に目を向けて、哲学をあらゆる観点から考えることの重要さを訴えているように思えた。

 しかし、哲学は難しい・・・。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

  • 作者: マイケル・サンデル
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2010/05/22
  • メディア: 単行本

 


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宇宙科学研究所特別公開、はやぶさ人気で大盛況。宇宙科学技術は重要だ。 [教育・科学・技術]

 この時期、神奈川県相模原市にある宇宙科学研究所では年一回の一般公開が行われる。
今年は「はやぶさ」の宇宙からの奇跡の帰還で、全国各地の子供から大人まで多くの宇宙ファンが集ったせいか、会場はどこも大勢の人で埋め尽くされていた。目玉はやはり、はやぶさが帰還したときのカプセルとパラシュートの展示で、私が見学に来た時には3時間待ちの長蛇の列であった。さすがに並ぶ気にはなれず、今回は一般展示場巡りで楽しんだ。

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奇跡の帰還をしたはやぶさの模型
 
 自宅が、この宇宙科学研究所の近くにあるので、毎年この一般公開には足を運んでおり、第1回目の閑散とした展示場を思い浮かべると感慨深いものを感じる。当時は研究成果や展示物があまりなく、模造紙に手書きのマジックで研究内容を書いてあったのを覚えている。それから20年以上、今年の会場は例年よりも予算が付いたのか、展示が充実しており、カラフルでわかりやすいプレゼンテーション、実物品や模型などの展示物も多く、非常に見栄えのするものであった。また、研究員が子供達に興味を持ってもらおうと理科の実験教室的に解説しているのが多く、宇宙科学の専門的に難しい話も身近にさせる工夫が随所に見られた。とにかく夏休みの親子連れで会場があふれ、どこも大盛況である。特に父親が子供よりも夢中になっている姿が多く、どちらかと言えば大人向けのイベントであったのかもしれない。
 
 前回の事業仕分けでは、日本の科学技術に対する評価が問題になり、蓮舫議員の「日本が世界で2番目ではいけないのですか」は大きな波紋を呼んだ。この宇宙科学研究所も何か日本のためになることをやっているのかと言えば、観測衛星を打ち上げて赤外線、X線、電波などの科学技術を使って宇宙の謎を突き止めようとしているだけで、それが国民生活のためになるのかと問われれば、答えは難しい。しかし、今日の研究員の話を聞いていると、どの研究も世界のトップレベルの水準で、自分たちの仕事に非常に誇りを持っている。ただ、どの研究も最先端の機器や実験装置を使うため多額な予算が必要なのは間違いない。結局、事業仕分けではどうなったのか、個人的には日本の将来のためにも、第一優先に考えてもらいたい分野であると考える。
 
 でも、こうした研究が、子供から大人まで、みんなにわかりやすく公開することは、技術予算の国民からの支持を得るには大事なことだ。また、はやぶさの快挙は、日本人であることに誇りを感じた人も多かったのではないだろうか。科学技術も、やはりオリンピックと同じようで世界各国と競争している。それゆえに、常に1番を目指し、トップを走ることが重要である。

 今回の展示で色々話を聞いていると、その最先端を進むために日本の大企業や中小企業と色々共同で研究開発をしているそうだ。結果的にはそうした技術開発が必ず日本の技術が世界をリードする力になる。決して無駄なことはないと考える。

 半日かけて展示場内を廻ったが、どこも活気があり、非常にわくわくする内容がいっぱいあった。日本の理系の力と将来の科学技術の明るさを感じた一日であった。
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国のビジョンづくりに大学を活用し、もっと若い世代と取り組むべき。 [教育・科学・技術]

 国家戦略室が縮小され、首相のシンクタンク機関になるらしい。

 民主党政権発足時は、行政刷新室と並んで、国のあり方を変える大きな機動力になることが期待されていたが、行政刷新会議のような派手なパフォーマンスもなく、この数ヶ月間の実績がよくわからないまま萎んでしまった感じだ。税金や年金、さらに外交といった大きなテーマを真剣に取り組むと思っていたが、普天間基地問題をはじめ、とても国家戦略と言えるような仕事をやってきたとは考えられない。とにかく、この国はビジョンづくりがいつまでたってもヘタで、戦略的シミュレーションが全然できていない。アメリカやドイツ、中国などはしたたかに、しっかりと進めているような気がする。

 そもそも国家のビジョンづくりは政治家や官僚だけに任せていいのだろうか。基本的に国民の政治参加とは1票を投じるだけで、あとは選ばれた政治家、政党にお任せになっている。もっと、国民全体が政策に加わわれる仕組みがあってもいいのではないか。

 そこで、1つのアイデアであるが、大学(研究機関)をもっと日本の政治のために使えるのではないだろうか。
政策決定において、一番重要なことは、現状の実態分析が、いかに正確に捉えて信用できる内容かである。これまでの調査報告書は、殆ど官僚が大手シンクタンクに丸投げした産物で、そこには色々な政治的思惑や財界からの要求等の入り、玉石混淆なものに変質している。いままでも空港や高速道路建設時の利用者の予測調査などで、実際とはかけ離れたいい加減なデータがつくられていたり、CO2削減の調査のように、自民党と民主党が示すものでは同じ調査とは思えない程の開きがあった。基本的に公正さや真実性が欠けている。こうした調査データをベースにして、政治を進めていけば明らかに間違った方向に走ってしまう。

 そこで、国家戦略局のような機関と学術部門(大学、大学院)がタイアップすることで、よりオープンに、また多くの優秀な人材、そして、これからの日本を担う若い世代を活用することができる。

 大学は単に若者の教育機関だけではない。本当の姿はあらゆる課題を高い専門性によって研究する機関であろう。その研究機関としての大学を、国の政治(国のあり方)に最大限活用することこそ、本来のあるべき姿ではないか。

 大学、大学院のよいところは、人件費が安く、どんな面倒で複雑な調査でも人海戦術できる体制がある。また、様々な学部、学科もあり、1つのテーマでも多角的に調査分析でき、上手くやれば少額の予算で質と量共に高いレベルの調査分析も可能である。
 
 また、大学の教授陣が国家戦略局の方向性を鑑み、且つ各研究テーマとの連係して進めれば、シンクタンク並み、或いはそれ以上の成果も期待できる。優秀な人材を抱える大学が、世界的に評価の低くかったのは、明確な方向性が無い為に、頭脳のエネルギーが放散しているからだ。研究もやはり選択と集中である。

 もう一つのメリットは、若者が社会に対して問題意識を持ち、政治を身近にさせること。
最近、世の中に関心を持てず、社会から孤立している若者が多い。彼らにとって政治は、自分達の生活とは無縁で、実感のない存在である。また、大学の研究テーマ(卒論等)も、ただ漠然と選定し、興味を持てないまま、卒業するの為の手段として、時間が費やされている。とにかく、若者は漠然とした世界に彷徨っているのだ。ところが、その研究テーマが、世の中との位置付けがはっきりし、また、どう役に立つのか明確になれば、取組み方も違うのではないか。たとえ研究内容が厳しくても、やり甲斐さえ感じるはずだ。

 さらに研究テーマをもっとブレークダウンして、高校、中学、小学校の教材に使えれば、もっと面白い。子供の頃から、社会に対して問題意識を持てるチャンスがつくれる。道徳も倫理も、ただ子供に頭から教えるだけでは馬に念仏だ。社会に対する問題意識があって、初めてその意味がわかる。このような仕組みを作れば、子供から大人までの意識改革、また、公的な考え方も進行し、助け合える社会づくりの基盤になっていくと考える。政治の参加は選挙権だけでなく、こうした全員参加型の仕組みづくりも面白いのではないだろうか。

 政治はシラケきった大人達よりも、次の時代を担う若者に任せた方が、良い解決案を見いだせるかもしれない。
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子供達の学力低下は、わかりやすい教科書や参考書に原因がある? [教育・科学・技術]

 今の子供たちの学力低下について、ある人が面白い話をしていた。
それはわかりやすい色つき、写真入りの教科書や参考書に原因があると言う。
最近の教科書は、子供たちの学習が進むように、カラフルな図や写真がふんだんに使われ、難しい内容をいかにわかりやすくするか、色々工夫されている。しかし、それが問題らしい。

 なぜかというと、たとえば、コンピュータで、情報をスムーズに認知させようとするならば、いかにシンプルにして、情報量を少なくするかが焦点になる。だが、分かりやすくする事が、画像や色情報など数倍、数十倍に増やし、かつ複雑さにしているとのことだ。たしかにメールでファイルを転送するとき、文字だけだとメモリー容量が小さくて済むが、図や写真が入ると許容オーバーで送信できなくなる。図や写真は情報的にみるとすごい負担がかかるようだ。

 それは人間でも同じで、その瞬間に理解するのはいいが、大脳に記憶させるには脳のシナプスに数十倍、数百倍の労力をかけなければならないのだ。右脳学習法というものがあるが、学校の教育は論理的な左脳教育である。子供たちは右脳で処理すべき情報を、一生懸命左脳で理解しようして、頭の中で混乱を起こしていると言う。

 その論理は正しいかどうか、よくわからないが、昔の人の方が知識や教養がしっかり身に付いていたように思える。カラー印刷もなく、教科書も参考書も文字だらけで極めてシンプルである。でも、そのシンプルな内容をしっかり身につけることで、応用力も今の人と比べても決して劣らないのではないかと思う。戦時中の一般の若者の手紙などが紹介されたりする番組があるが、その文章力や字がきれいさに驚かされる。その度に、昔の人のほうが賢かったのでないかと思う。

 今の子供たちは情報に溢れた世界にいる。余計な情報があり過ぎる中で、必要な情報を習得するのは大変なことである。
「分かりやすさ」=「理解しやすさ」=「記憶しやすさ」というのは
情報工学的にみると
「情報量が大きい」=「情報伝達能力が高くなければならない」=「メモリの空きがなければ許容できない」
ということを注意する必要がありそうだ。
したがって、いくら分かりやすい内容でも、覚えようとする意思が低かったり、他のいろいろなことで頭がいっぱいな子供にとって、情報量が大きいものはすぐに許容オーバーになってしまう。

 つまり、いまの教育は落ちこぼれがでないように一生懸命分かりやすくしようとする反面、逆に情報処理能力の高さを要求している事に等しいのかもしれない。

 なんとなく、この人の論理は納得してしまう。でも、面白い話だ。


タグ:学力低下
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