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若者のコロナ対策には接触確認アプリの活用が最も効果的では。 [社会・生活]

今日も東京でのコロナ感染者は100人越え。長い自粛でやっと抑え込んだのも束の間、また3月後半の振り出しに戻った感じである。先週までのテレビのニュースでは、自粛解除からようやく街に人が戻り、飲食店や店舗なども徐々に活気を取り戻りつつある様子や観光地の賑わいなどが報道されていたが、この数日で一転し、状況は深刻化しつつある。

特に東京の繁華街、特にホストクラブやキャバクラなどの夜の街は感染者の3割近く占めており、ここからの感染の広がりを早く遮断しなければ本当にヤバイ状況に陥りそうだ。まだ、クラスターの発生も狭い範囲内なので、いまのうちに夜の街関連者のPCR検査を徹底し、陽性者の隔離や発生源となった店の営業自粛など、早急に手を打たなければ、第2波の引き金になって、また日本全国を巻き込んだ大自粛生活に戻ってしまうかもしれない。11日が勝負時である。

また、若い世代の感染者もどうにかしなければならない。全体の7~8割が2030代を占めているそうだが、本人たちは抵抗力、免疫力もあり、また自覚のないまま人と接触して、感染を広げていく可能性が高い。若い世代同士の接触だけなら良いが、いずれ高齢者や健康的な弱者にも感染が及んでくるのは間違いなく、この対策は急務である。

私は、この若い世代の感染対策として非常に有効なものが、接触確認アプリの活用と思う。しかし、このアプリの評判はあまり芳しくない。国や行政もあまり宣伝に力を入れていないだけでなく、マスコミもほとんど相手にしていないように思えてならない。そもそも、個人情報保護が尊重のうえ開発されたアプリであるため、陽性者が自ら陽性であることをアプリに登録する義務がなく、登録を拒めばその人からの感染情報は皆無となる。そんなことでこのアプリに対する信頼性は極めて低く、アプリの普及が進まない理由であろう。しかしながら、自分が感染者と接触していたかどうか知る手段として、ほかにどのような方法があろうか。まさに最先端の科学でコロナを封じ込める有効な手段としては優れものに間違いない。若者は常にスマホの活用しており、彼らがそれを観て自分の行動に気を付けるだけでも、その効果は大きいものと考える。たとえ、そのアプリが完全なものでなくても、いまは如何なる方法を用いても、コロナに打ち勝たなければならない。悠長にしている場合ではないのだ。

メディアもこのアプリを馬鹿にするような報道ばかりでなく、もっとみんなに活用を促し、最大限の効果を発揮できるようにしてほしい。いまの日本は批判ばかりして、自ら自分を不幸にしているようしか思えない。もっと、前向きに考えられないものか。


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ゴーン被告と日本の司法制度 [社会・生活]

 ゴーン被告の逃亡劇は衝撃的なニュースであった。
法を無視した許しがたい行動のはずが、ゴーン被告のレバノンでの会見で日本の司法制度に対する批判側に世界中の関心が集まってしまった。自分が全く無罪で、日本の野蛮な司法制度の犠牲者であるという印象を見事に演じた。さすがプレゼンの天才カルロスゴーンである。
 昨日はBSプライムニュースに森法相と高井弁護士が出演して、日本の司法制度について解説していたが、確かに日本の制度は誤解されやすく、彼はうまいところを突いてきている。
 大雑把に言えば、海外は容疑の可能性があればとり敢えずでも逮捕し、それから取り調べをして有罪、無罪を決めていく。当然、有罪でない人も多く網にかかるわけで、推定無罪を軸にする必要がある。ある意味、逮捕ありきの司法制度であり、これはちょっと違和感を感じる。しかし、日本では逮捕という行為は日本の社会において非常に重いもので、よっぽどの有罪の確信がなければ警察は逮捕に踏み切らないという。であるから推定有罪に進むのは必然的な姿になり、検察には絶対的に逆らえないという権力的なイメージもついてしまう様だ。
しかしながら、どちらの方が人道的な司法のあり方か、メリット、デメリットを踏まえると、なかなか答えは出にくい。
 ただ、日本のマスコミは日本の制度の弱点や世界の潮流から外れていることなどへの批判が多く、海外から非人道的で非近代的といわれても仕方がないという自虐的な記事も多くみられた。
確かにそのとおりであり、その事実もあろうが、ただ日本人のその謙虚さが、世界中から見下されるような気がしてならない。もっと、マスコミは自国に尊厳と誇りをもって発信する姿勢も必要と思う。とにかく日本は犯罪率も低く、世界第一級の法治国家であるのは間違いない。そこは大いに主張すべきところと思う。
話をゴーン被告に戻すが、今回の行動は、法を犯しても(いかなる手段を使ってでも)、自分の都合を貫き通す人間であることが立証されたのではないだろうか。表の社会では考えられないような手法で脱走が実現された。しかも、見えない組織を使ってである。少しづつ実態が明らかになってきているが、世界的な経営者というだけでなく、別の世界でも只者ではない人物像がはっきりみえてきた。
今後、どのように展開していくかわからないが、まったく想像を絶するサプライズな結果になりそうな予感がする。

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終戦記念日に思うこと [社会・生活]

  台風の嵐の中、終戦記念日を迎えた。国民のほとんどが戦争を知らない世代になり、本当に歴史上の出来事になってしまった。毎年8月を過ぎるとテレビは、戦争の重々しい番組が多くなり、気分的にちょっと暗くなりがちであったが、今年はいつもの年よりその数が減ったような気がする。 

 

 いまの若い人たちにとって、昭和初期の戦争は遠い過去の出来事で、ほとんど実感のないものだろう。戦争のイメージも、ゲーム感覚でしか考えられないかもしれない。しかし、世界中を観れば、至るところで紛争が絶えず、戦争のリスクは日に日に高まっている。日本だけは平和であり続けると思っている人が大多数であろうが、果たしてそれを信じても良いものか。

 

日本の周囲も決して穏やかではない。北朝鮮は定期的にミサイルを打ち続け、中国やロシアは軍事境界線を越える行為を頻繁に繰り返している。また、同盟国であるはずの韓国は相変わらずの反日運動で、戦後最悪の関係に陥っており、とても安心できる環境ではない。第二次世界大戦が勃発した時のような切羽詰まった状況はないが、一歩間違えれば紛争に発展するような空気は常に漂っている。

 

問題は、いまの若い人たちが平和をどのように考えているかだ。今年で戦後74年、これまで昭和世代が終戦の空気を感じつつ、戦争体験者の声を聞きながら、平和に対する姿勢をそれなりに引き継いで来たと思う。しかし、平成以降の世代は違う。全く平和で安全、そして豊かな国に生まれ育っている。その中で厳しく、つらい戦争体験など実感できるはずがない。恐怖や不幸を煽っても、危機感がなければズシンと心に響くことは難しい。

 

しかし、若い人たちへのそうした平和の受け継ぎが絶望的かといえば、必ずしもそうではない。例えば、現在、日韓関係は政治レベルでいがみ合っているが、アンケートによると日本の若い世代は必ずしもそれに引きずられていない。韓流やK-POPなどの韓国文化が好きというのが政治的な感情よりも優先され、あまりポピュリズムに陥らない傾向がある。つまり、心の交流であり、平和を維持する大きな力でもある。

 

 国と国どうしは、どうしてもメンツとパワーゲームになりがちであるが、やはり個人同士の意思の疎通や交流がベースになることが望ましい。かつて中国でも反日運動が激しい時期もあったが、これだけ多くの人々が観光で訪れ、日本人や日本文化に触れあうことで、今日の日中関係は様変わりしたように思える。まだ根強い反日感情もあるが、大きな意味での相互理解が生まれている。

 

ただ、最近の日本の若い人たちに心配なこともある。あまり海外旅行もせず、邦画ばかりで海外映画もあまり観ないと言われている。生活もスマホ中心で世界観が限られ、やや閉鎖志向が強いことだ。安全、安心の世界にはまり良くない傾向である。

 

やはり、色々な人たちと交流し、さまざまな価値観を共有していくことが、平和の根源ではないだろうか。戦争の悲惨さを伝えることも大事であろうが、そうした本質的な精神をいまの若者に広めていくことも我々昭和世代の責務かもしれない。

 


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ジメジメしたこの時期、夏場の対策を。 [社会・生活]

 毎日、雨が続き気分もジメジメしてくる。

雨もたまには良いが、こう毎日つづくといろいろなところで問題がでてくる。まず、洗濯物が乾かない。そのため、家の中に干している状態になり、家じゅうがむれた匂いで臭い。さらに、その湿気で家の中の湿度が高まり、台所の流し台はヌルヌル、風呂場や洗面所の至るところに黒カビの発生が目立つようになった。そういう状況の中では、食べ物などもすぐに冷蔵庫に仕舞わないと腐ってしまいそうだ。まあ、梅雨の嫌なイメージそのものである。でも、このジメジメが終われば、カァーとした真夏が到来する。そして嫌な台風シーズンでもある。

  今年はどんな夏になるのだろか。毎年のように気温や雨量の最高記録が塗り替えられている。この頃は涼しいはずの北海道が本州より気温が高いという、いままでの概念をひっくり返されるようなことが起きている。これから日本全国が異常気象と熱帯気候に突入するのか。しかし、自然のことはまだまだ予測はできない。

 何より自然災害がないことを祈る。台風や豪雨、地震、あるいは干ばつや熱中気候もあるかもしれない。何事もなければよいが、この夏場はそうした自然災害のひとつの山場になるのは間違いない。いまは鈍よりとした、やや平穏な状況だが、そう考えるといろいろな備えも必要だ。とにかく、この夏を無事に過ごせるよう、今から心がけていくことが大事である。


タグ:梅雨 災害
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ストレス社会、心に遊びと余裕が無さ過ぎ。 [社会・生活]

 最近、すぐキレる人が多い。昔はいなかったかと言えば、キレる人はいたけどいまほどではなく、キレる人の種類も違ったような気がする。ややっこしいが、このキレる話に納得する人も多いのではないか。

 ついこの間、駅のホームで40代の中年男とその人よりやや年齢上の男性2人が掴み合いなって揉めていた。何が原因だが知らないが、恐らく些細なことで一人がキレて、もう一人がそのキレた人の行為に対してキレたのだろう。駅員が止めに来て、少し静かになったが、一歩間違えばホームに落ちて、大変な事態が起きていたかもしれない。この2人、外見で判断すれば、ごく普通の一般人である。ただ、争っている姿と罵声はその筋の人たちかと思えるほど品に欠けていた。

 

 このような状況とは違うが、たまに電車の中で不愉快になることがある。例えば座席で居眠りをして、ちょっと隣の人の体に触れただけなのに腕で思い切って押し返されたり、女性に多いが、電車が揺れて体がぶつかり、「すみません」と謝ったにも関わらずその場から居場所を変える人などもいる。どう考えても故意ではないことが明白なのに、そうされると気持ちが良いものではない。周囲の人たちに誤解を与えかねない。とにかく穏やかになれない空間である。

 

 これは電車の中だけの問題ではなくて、仕事や家庭や人間関係、そしてストレスがいっぱいありすぎて、心の緊張感が常に張り積めているせいでもあろう。「あれをしなければならない」、「これをしなければダメだ」「どうしてこうなったんだ」「こうなるなんておかしいだろう」 こんなネガティブな言葉が頭の中を支配し、心はどんどん追い詰められているのではないだろうか。世の中があまりに高度化、管理化された今日では、本来自由で奔放であるべき心の世界が、どうでもいい規則や制約で窮屈にさせられているように思える。昔はある意味、いい加減なところもあり、逃げ道がいくらでもあった。いまはあまりに遊びと余裕がなく、とても息苦しい。

 

 情報化社会というものが、さらにそれを促進させ、ますますキレやすい人間をつくり出しているのではないだろうか。こう考えるとこの問題は、処方箋はいくつかあるかもしれないが、根本的解決方はすこぶる難しい。


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キャッシュレスの時代に苦言。 [社会・生活]

 最近、「お金とは何か」と考えてしまうことがある。

つい先日、家電量販店で買い物をした時、店員からクレジット方が現金払いよりもポイントが多くつきますよと説明され、これまで極力現金主義で通してきた私だが、つい損得が働きカードで支払った。それを買うために、前日、銀行でお金を下ろしてきたけど結局使わず仕舞い。その日は時代の変化に翻弄されてしまった。ひと昔前まで現金は絶対的な存在で、クレジット払いをする人は支払い能力が低いというレッテルで観ていたが、いまはそうではない。

もう現金を持って買い物をする時代は過去になりつつあり、電子マネーやスマホ決済が主流になるのは時間の問題のようだ。令和になり新しい紙幣の発行が発表されたが、生活のための紙幣というよりも、むしろ記念紙幣の意味合いが強いように感じてしまうのは、ちょっと寂しい。

 いま思えば昭和の終わり頃、就職で一番安定した企業といえば金融関係の企業で、学生たちは競って銀行や証券会社に就職したものだ。あれから数十年が経ち、バブルの崩壊、リーマンショック、そして現在のキャッシュレス化など一番世の中の試練を受けて、激変した業種ではなかっただろうか。第一勧銀、富士銀行、三菱銀行、住友銀行、三井銀行、日本興業銀行など、超一流と言われた銀行は合併の合併を重ね、いまでは一部の銀行がかつての名残を残すのみで、この業界はすっかり変わってしまった。

当時、入社した人たちの人生も同じように激変を味わったことだろう。これも経済とお金の概念が変わってしまったからだ。さらにいまはその概念だけでなく、お金そのものの定義や質も変わりつつある。

 これからのオールキャッシュレスの時代、我々は生活にどのような変化を受けるのだろうか。お金を貯めても、使っても実感を持ちにくく、数字だけのデジタル社会になっていくのだろうか。便利で効率的な社会かもしれないが、どこか冷めて生活感が薄れていく気がする。それによって家族の在り方や人の生き方、価値観も大きく変わるように思えてならない。無機質で味気のない人生は嫌だ。

 20世紀は金銭や物品を優先する物質主義とか言われ、いろいろ批判もあったが、まだ実感のある世界であった。今世紀以降はこのデジタル化が進むことですべての価値基準が一転し、そうした世界に自分がついて行かれるか非常に不安になる。いまの若い人たちには当たり前で、明るい未来さえ感じているかもしれないが、何とも言えない将来である。まあ、昔が良き時代に思えるのは年のせいか、できればこれからもアナログ的な生き方でいきたいものだ。


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電車の中はゲーセンか。 [社会・生活]

帰りの通勤電車で運良く座席にすわることができた。ホッとして周りを見わたすと驚くことにほぼ全員がスマホを見ているではないか。自分の目の前だけでなく、車両の奥を眺めても同じ光景である。スマホは今やなくてはならない必需品であることは解るが、ここまで来ると異様としか言いようがない。スマホも上手く活用すれば凄い情報源であり、仕事や生活の面でも大いに役に立つ。 

ただ、ここの周囲にいる人達はそうした活用ではない。右隣のサラリーマンらしき人はいま流行りのパズドラゲームで遊んでいる。また左隣の若者はバトル系のゲームで激しい指の動きをさせている。またその隣の女性はテレビを見ており、その隣の人も何かのゲームに夢中である。 

この人たちにとって、電車の中はゲームセンターなのだろうか。ひと昔前ならば子供たちがゲームに熱中していると、大人が「いい加減にやめなさい」と叱ったものだが、いまはいい大人が周囲を気にせず夢中になっている。最近では特にゲームをやること自体似つかわしくない年配者までが、若者と同じようなゲームを楽しんでいる。人に迷惑をかけていないからよいのか。まあ、すべての人がゲームをやっているわけではなく、何人かの人たちはおそらくインターネットやメール、あるいは動画を楽しんでいたりしている。 

とにかく、こうしたスマホ文化(いや文明かもしれない)が、これまでなかった世界感をつくっている。ごく日常の通勤電車の中もスマホ文明はすっかり支配し、人々の思考や精神、心さえも何か誘導しているように思える。おそらく、人の五感のうち、味覚と臭覚以外の視覚(ディスプレーを観る)、触覚(キーを触る)、聴覚(音を聴く)の3つは支配しているだろう。考えてみると恐ろしい。 

ゲーム依存症、スマホ依存症はIT時代の新しい病気である。その弊害は人の健康問題にとどまらず、社会全体にも大きな影響を及ぼすのは間違いない。国は経済発展のIT促進ばかりでなく、健全で健康な社会づくりの視点でこの問題を真摯に取り組まなければ手遅れになるのではないか、非常に心配だ。

 


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働き方改革は日本を豊かにできるか。 [社会・生活]

 「働き方改革」はいま最も関心事のひとつになっている。では、本当にこの改革で日本は豊かな社会をもたらすのか。
 今日の日本における「労働」には様々な課題が山積している。正規社員と非正規社員の格差、異常な残業時間、特に人手不足は大企業のみならず中小企業にとって死活にかかわる深刻な難題といえよう。これらはワンパターンの解決方法では到底片付かない問題である。
 ところで、日本の人手不足には、どこか不自然なところがないだろうか。確かに少子高齢化や熟練者の高齢化による問題はよくわかる。しかし、社会全体をよく観ると非常に不効率になってはいるような気がする。例えば、ショッピングセンターに行くと同じような店舗が立ち並び、そこには似たような商品が溢れている。とてもすべてが売り切れるとは考えらず、時期が来ればその多くは在庫処分行きのように思える。これだけの商品を作るには機械化が進んでいるといえども生産・販売過程で多くの人がかかわっている。食べ物についても同じで、日本で廃棄される食品は年間約621万トン、実際、製造される約1/3が食品ロスと聞く。当然、その廃棄される食品にも非常に多くの人たちが携わっているのだ。つまり、無駄なことに貴重な労働力が多く使われていることに、事の本質があると言えよう。
 資本主義、自由競争主義は消費者にとって良い製品を安く得られるというメリットもある。しかし、現在の日本のように過剰な競争主義が進むと、市場のバランスは失なわれ、格差社会や人手不足、そして大量消費型で無駄の多い社会をつくり出す結果になったのではなかろうか。
 働き方改革の精神は重要であるが、本質的には、「無駄のない社会づくり」いわば格言にあるような「足るを知る」社会に本格的に腰を据えることがもっと大事なことと思うのである。

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池袋事故。高齢×足の不自由さは飲酒運転と同じ危うさ [社会・生活]

 最近、痛ましい交通事故がよく報道される。しかし、その原因を知るとあまりに空しく、腹が立つというより苛立ちさえ感じる。池袋で起きた事故もまたそれを象徴するもので、足の不自由な87歳の高齢者が運転する車が暴走して、若い母親と3歳の女の子が犠牲になるという、非常にやるせない事故であった。
 
 この高齢者はいまだ逮捕されていない。それどころか免許も返納する考えもなく、事故の原因はブレーキが効かなかったと自らの運転ミスを否定しているようだ。逮捕されない理由が、元高官という役職の特権によるものなのかわからないが、一般庶民には釈然としない状況が続いている。そもそも足が不自由ということは、普通に考えれば瞬時にアクセルやブレーキを使いこなすことは困難である。また、年齢を重ねれば視力や判断力、反射神経も衰える。総合的に考えてこの人の運転は絶対NGだ。
 
  それからもうひとつ問題なのは、この人物から遺族に対する謝罪は聞こえてこない。かつては有能な人だったかもしれないが、人としての疑問を感じる。今日のネットニュースでは、実は4月に新車を購入しようと考えていたそうだから、呆れるしかない。しかし、実はこのような人たちが数えきれないぐらいいるのではないだろうか。
 
 今後、AIによる自動運転が実現すれば、いままで何らかの障害や高齢などを理由に車の運転を躊躇していた人たちも、免許を放棄することなく運転を継続してくるだろう。車の未来像では、運転に集中することなく、車の中でテレビを見たり団らんを楽しんでいるCMがあった。もし事故が起きた場合は、すべて車のせいで、その車を製造したメーカーの責任になるのだろうか。それとも事故を回避できなかったAI(人工知能)を罰するのか。事故の被害者は怒りや感情をどこにぶつけたらよいのか。ますますやるせない時代がやってきそうだ。
 
 将来の問題はさて置き、この問題はどう展開していくのだろうか。
池袋の事故を起こした高齢者も、どうであれ自分が引き起こした事故だ。その事実は変えられないし、幸せを一瞬にして破壊された遺族の気持ちをまず受け止めることは必然である。この事故(事件)は本人に悪意はなかったとしても、やはり身体的には「高齢」×「足の不自由さ」は「飲酒運転」に相当する危険さがある。世間の大半の人たちは決して、その高齢者の言い分を認めることはないだろう。この方は社会的地位が高く、本来模範となるべき人物である。このような事故が2度と起こらないよう、また自分と同じ轍を踏まないよう世間にしっかり示すことが、遺族にとっても、またこれからの社会にも望まれることであり、償いを含めてやらなくてはならない使命であろう。

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新元号「令和」に思う。 [社会・生活]

 新元号「令和」に改元され、まだ1週間経っていなというのに、もう世の中は令和が十分定着しているような気がする。いや、平成の時代がもう遠い過去に感じるのは私だけだろうか。
平成が終わろうとしていた大型連休前には、正直なところ元号が変わること自体あまりピンと来ていなかった。しかし、天皇退位や新天皇の即位の儀式、そして皇居での一般参賀などの連日の行事を観ていると自然に時代の変わり目を感じざるを得ない。また、日本中の国民を巻き込んだそのエネルギーはやはり甚大なもので、日本人にとって、これほど心をひとつにまとまるめるものは、ここ最近覚えがない。
 世界で類のない伝統と歴史を持つ天皇家は我が国の誇りであり、どこか我々の精神的な支柱にもなっている。憲法で定められた象徴天皇という位置づけであるが、国民の誰もがそれ以上の敬意と親しみを感じているのではないだろうか。これまでご高齢にもかかわらず被災地への訪問や戦没者の慰霊、福祉施設の視察などに取り組まれる姿に本当に心を打たれるものがあり、大変な責務を果たされたと思う。また新天皇もそれを受け継ぐ決意を示されており、国民も大いに納得し、新たな時代を祝福する気持ちになったのではないだろうか。
 平成の30年間は何となく平和な時代が続いたが、ITの革新や金融改革、中国の躍進などで世の中が一変したのは事実である。昭和の時代になかった携帯やスマホ、薄型テレビ、コンビニも現在の生活には欠かせないものになっている。これからの時代はどうなるのか、おそらくAIやロボット、ドローンの配送システムなど、SF映画が現実のものになり、世の中はもっと速いスピードで激変することだろう。
そうした中で、機械やコンピュータが無機質に時を刻む時間とは対照的に、元号は天皇の人柄や日本という国の様々な行いが時に入り混じり、言わば人間のにおいを刻む「時間」のような気がする。ダブルスタンダードのようであるが、貴重なシステムといっていい。
今後、天皇制の維持にはいろいろ困難な問題が絡んでくると思われるが、国民の一人としてよいかたちで継続することを祈うばかりである。

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出張でビジネスホテルの予約がとれない。いまや訪日観光客の拠点。 [社会・生活]

 先日、大阪の出張でヒヤリ、仕事のことばかり考えていて宿をとることをすっかり忘れていたのだ。
案の定、数日前ではほとんどのビジネスホテルが満室状態。
結局、高めのホテルで予約できたが、出張経費は完全にオーバー。自腹を払い仕事に行く羽目になった。
 
 この嘆きは、最近よく聞く話だ。
原因は訪日観光客、特に中国人観光客がビジネスホテルを拠点として瀑買いをしているらしい。
このビジネスホテルに宿泊する中国人たちは、どちらかというと裕福ではない、いわゆる中産階級層の人たちのようで、マナーがあまりよろしくない。フロント前からエレベーターの中、朝食のバイキングでも、すべてが自分たちの世界。周囲の迷惑や配慮など関係なく、大声で話しまくっている。
基本的に静かにするという文化がないのだろう。
これでも、中国本土にいる時に比べれば、よそ行きモードになっているというから、日本人とはやはり精神的に大きな隔たりがあるのかもしれない。
 
 しかし、経済面では中国さまさまで、百貨店やホテルなど相当な恩恵を受けている。多少の迷惑も我慢のうちなのかもしれないが、我々のような一般のサラリーマンにとっては心地よいものではない。
とにかく、観光客が安いビジネスホテルを活用し、仕事のためにビジネスマンが赤字覚悟で高い観光用のホテルに宿泊するのでは本末転倒である。観光立国も良いが、儲ける事ばかりでなく、日本のビジネスマン実情にもう少し目を向けてもらいたいものだ。

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横浜市マンション杭データ改ざん事件。姉歯事件とどこか似た匂いを感じる。 [社会・生活]

 横浜市都筑区のマンションの杭データ改ざん事件は施工請負の三井住友建設の2次下請である旭化成建材の現場管理者の不正であることが明らかにされてきた。販売元の三井不動産レジデンシャルは早々にマンション建て替えの意向を発表。会社のブランドイメージダウンの払拭に必死のようだ。元請負の三井住友建設はほかの未調査杭について確認を急いでいる。いくら下請けの不正と言えども元請けの責任は逃れることはできない。
 これまでの報道では、70本の杭はすべて6人の作業チームが担当しており、データの流用の理由として、現場の担当者は最終的に記録を提出するときに紛失したとか、記録する装置のスイッチを入れ忘れたなど、いささか訳の分からない弁明をしている。
 旭化成建材といえば、年商500億円を上回る業績で、世間でいえば大手企業の類に入る。そこの企業の仕事としてはあまりにもお粗末で到底考えられない。しかも、その担当者は年数的に十分な経歴を有していると言うから、とても信じがたい事態だ。
 しかし、腑に落ちない点もいくつかある。
まず、杭工事の一次下請けは日立ハイテクノロジーズ、その下に問題の旭化成建材がいる。なぜ、半導体装置の製造、販売している日立ハイテクノロジーが杭工事をやっているのか。ホームページで事業内容を調べても建築の基礎工事は出てこない。実態は商社のようで、本当に工程や安全、品質や技術的な判断ができる会社なのか、いささか疑問を感じる請負形態である。
 それから、今回の事件は杭長が足りなかったことが原因であるが、当初の設計値より支持地盤が深ければ、杭が深くなった分の追加費用や工期の延長は、元請の建設会社は当然受け入れ、発注者はそれを受け入れるべきと考える。もし、それを認めなければ当然、こうした事態が発生することも予想される。また、下請けの力で何とかなるレベルの問題ではない。姉歯事件も一人の建築士の犯した偽装であったが、これには発注者側からの強い力、個人一人が屈するような力が、大事件へ導いた経緯があった。今回の場合は、正直よくわからないが、何かにたような匂いも感じる。今後、事件はどう展開してくるか、もう少し全容眺めてみることにしよう。
 

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業務の効率化、これは楽をすることではない。 [社会・生活]

業務の効率化とは、無駄を省く、選択と集中。
 
企業の中でよく耳にする言葉である。それを実行することで、企業体質はより強くなり、業績もアップ。一般的には、そういうシナリオが想定される。
しかし、実際はどうだろう。業務の効率化によって良い成果を得ている企業もあるが、逆のパターンに転じた方がはるかに多いように思われる。
  
それはなぜか。・・・
 
そもそも効率化とは、工夫によって複雑な仕事を改善し、 作業をはかどらせることを目的としている。ところが、その捉え方をはき違えている人が多く、自分の業務の負担を減らすこと、つまり面倒な仕事を省き、いかに仕事量を減らせるかを業務の効率化と考えているケースが少なくない。
面倒な仕事こそ、実は利益の種がある。また大きな成果を成し遂げるための要素が多く含まれている、そうした仕事を省くことはクオリティを下げてしまう可能性がある。
   
これと似たケースで、資料を10ページで作成すると、「簡潔にA4用紙一枚にまとめて出せ!」と上司からダメ出しを食らうことがある。これも本来は10ページの内容を1枚にしぼり上げろという主旨であるのに、人によっては2,3枚程度の内容を1枚に圧縮して提出する人も少なくない。そうした資料はどうしても内容が希薄になり、実際は10枚しっかり書いてある方がはるかに優れたレポートである。むしろ、読む側が努力すればいいことなのだが、読むほうも面倒なことを避けたい傾向がある。結局、楽をしようとする意識が根底にある限り、うまくはいかない。頭脳で汗をかき、決して手を抜かないこと、それを自覚しなければ本当の業務の効率化は実現できない。
  
最近の企業の傾向として、自分たちの仕事をどんどん省力化させ、気が付いたら外注だらけ。仕事の進捗が遅くなり、外注費はかさんで競争力低下、次第に業績は悪化し、企業活力が失われている、というのが今日の日本企業の姿ではないだろうか。したがって、効率化という定義をもっと多角的に見直すことが大事と思う。 
 

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新国立競技場、ゼネコンの総合力を発揮してもらいたい。 [社会・生活]

 新国立競技場の締め切りに、当初案のザハさんが断念した。一緒にやるゼネコンが見つからなかったからと言う理由だ。それはゼネコンにとって、最初に予算が決まるから恐怖だろう。いくら縮小したといえ、ザハさんのデザインへの妥協はなさそうだし、今度は国民の目がしっかり向いているから安易に増額できない。当然と言えば当然。結局、日本を代表する著名な建築家である伊藤豊雄氏、隈研吾氏と大手設計事務所、大手ゼネコンの2グループに絞られた模様だ。
 
 今回はデザインもあるけど、機能とコストが最優先される。 
 一般的な仕事の流れは、「建築家→設計事務所→ゼネコン」というのが本筋であろうが、今回はハイレベルな建築技術といかにコストを抑えるかというノウハウが非常に求められる。ゼネコン抜きでは考えにくい。つまり、先ほどとは逆に「ゼネコン→設計事務所→建築家」という流れが実質ではなかろうか。ゼネコンの構想に対して、設計事務所が図面化し、そして建築家がデザイン的に監修するというパターン。世間的に違和感があるかもしれないが、「ものづくり」としては決して悪くないと考える。
 
 ゼネコンはいつも悪玉に上がっているが、最終的に品質やコストの責任を負わなければならない。特に品質は末端の職人レベルのものづくり感で決まってくる。それを統括するのもゼネコンであり、日本の品質の高さはそうした現場の力によって支えられている。 今回の新国立競技場は技術的にも、地震対策やゼロエミッション、高耐久性、維持管理費がかからないなど様々な課題をクリアしなければならない。デザインで目立つことよりも、こうした本質的な機能で、世界を驚かせるような建築を、ゼネコンは総力を挙げて提案してもらいたい。国民もそれを期待しているのではないか。
  

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災害で思う。地名にはメッセージが込められている。 [社会・生活]

 先週放映されたNHKスペシャル「巨大災害MEGA DISASTER」日本に迫る脅威と大避難、命をつなぐシナリオが、まさに現実になってしまった。

 関東地方を襲った記録的な豪雨は凶暴な濁流になり、 下流地域の堤防を決壊し、あっという間に住宅地を飲み込んだ。記録によると48時間の雨量が日光市今市589mm、鹿沼市480.5mm、栃木市400.5mm、いずれも観測史上最大で、夏場2か月分の雨量と同じというから異常事態である。

 番組の中で気象学者が絶対ありえないことがいつ起きてもおかしくないと話していたが、本当にそうなってしまったのだ。

 今回は地方の田園地帯での被害であったが、都心で起きたらどうなるか。これは想像を絶する光景が目に浮かぶ。特に東京の荒川や隅田川河川の決壊は都心機能を決定的に壊滅させる。特に多くの人が集まる地下街や地下鉄などは完全に水位以下、階段は濁流の流れ道になり、のぼることはまずできない。逃げ場を失った人たちが限られた避難口に殺到しパニック状態になる可能性は極めて高い。もし、自分がその場所にいたらと考えるとゾッとする。

 今回の教訓から、河川の水位が異常に上昇したならば決壊を前提に、すぐに避難警報を出してほしい。まず、地下鉄などの交通はいち早く対策を取り、地下街は全員避難警報を出すべきだろう。多少のパニックは止む負えない。決壊してからでは間に合わないのは、今回の件でよくわかった。

 台風の時期は完全に終わったわけでく、記録的豪雨はこれからも続く可能性はある。油断大敵だ。

 今回の氾濫の源になった鬼怒川と黒川、ともに名前が気になる。家々を倒壊させる川の濁流は 鬼が怒ったようであり、黒く濁っている。もしや先人たちもかつての体験から、この川の恐ろしさを忘れないために名付けたのかもしれない。また、浸水で被害の大きかった鹿沼も水がたまりやすい地域だったこともうかがえる。東京の荒川、隅田川(かつては墨田川)もどことなく鬼怒川、黒川と似ている。何か意味が込められているようだ。

 防災対策も大切だが、やはり普段からの意識、そして恐ろしさを忘れないことが重要である。そうしたメッセージを感じさせる地名が日本各地にある。災害が起きると「なるほど」と思う。日本は昔から災害に向き合っている国であるとつくづく思うところである。


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エンブレムも白紙撤回、個人攻撃でなく社会で責任を。 [社会・生活]

 五輪エンブレムが新国立競技場に続き白紙撤回になった。

 せっかくの盛り上がりが、思わぬところでつまづき、オリンピックを目指す選手たちはどう思うだろう。

 日本という国は高い完成度を求めるわりには、いつもはじめのツメがあまい。今回の件で思い起こすのが理研のSTAP細胞事件。当初、その中心にいた小保方研究員は難病で苦しむ人たちを助けたいという善意の思いで研究に取り組んでいた。たどり着いたのがこの奇跡の細胞、STAP細胞であった。 その成果が国際的権威あるネイチャーに論文が掲載され、一躍脚光を浴びたが、それから数か月で一転、悪質なねつ造、理研の権威を失墜させたと社会全体からバッシングされる事態に陥った。おそらく本人も気づかなかったミス、過ち、そして、それを見抜けなかった理研の組織、この初歩的な間違いが、結果として社会全体を巻き込んだ大騒動を引き起こしてしまったのだ。

 新国立競技場では建築家の安藤忠雄さん、エンブレムのデザインでは佐野さん。社会的に大きくバッシングされ、これまで築いた業績もすべて無になるほど痛めつけられている。

 何かあると「責任をとれ」の大合唱で、その人たちの凋落を楽しむように叫ぶこの社会現象、何とかならないものか。 この2人に責任というよりも、実はもっと初歩の段階に問題があったようにも思える。行政を含めた組織で厳重にチェックできたはずだ。

 また、それよりも失敗が許されない社会がなんとも息苦しい。何度もチャレンジできるアメリカならばどういう展開になったか。きっと閉塞的な日本とは大きく違っていただろう。

  個人攻撃はやめて、社会全体で失敗を受け入れられる、そんな仕組みが必要なのではないだろうか。


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五輪エンブレムの類似性 [社会・生活]

 東京五輪2020年のエンブレムデザインの盗用疑惑が問題になっている。デザイナー佐野氏の作品とベルギーの劇場のロゴだ。

 確かに並べてみるとよく似ているが、制作過程が公表されると偶然性も十分考えられる。ロゴデザインはシンプル性が重要であり、特に「T」の文字をデザインすると、その単純さゆえに同じような作品ができてくる可能性は十分ありうる。ただ、同じデザインの存在を知っていたかどうか。問題はそこにある。

 しかしながら、こうしたことも考えられる。ベルギーのデザイナーがそのロゴを作る前に、もしかしたらほかのデザイナーが同じようなデザインを作っていた可能性もある。さらにそれより以前にも同じようなものを・・・。むしろ、重要なことはどちらのデザインの方が優れているかだ。

  つい最近でもアップルがアイホーンのデザインをサムスンが盗用したという訴訟があった。企業の利益問題がからみ、激しい徹底抗戦があったと記憶するが、現在、普及しているスマホはすべてアップルのデザインに、見た目もコンセプトもほぼ同じ。結局、限られた条件の中では類似してしまうようである。

  佐野氏の疑惑は、その後、様々な商品などで安易なデザインの模倣が指摘され問題になった。これはまずいことであるが、社内デザイナーのモラルの低さ、それを監督する佐野氏の管理責任からくる問題であろう。これと東京五輪エンブレムデザインと結びつけることは、本質的に違うと考える。

 ゼロベースの見直しになった新国立競技場は、多額の工事費だけでなく、デザイン的に非日本的で、個人的に好きになれなかったが、東京五輪エンブレムに対しては伝統的な和とユニバーサル的な感覚もあり、はじめて見たときはさすが、質の高いデザインと素人ながら思った。

 ベルギーのデザイナーは訴訟を起こしているようだが、今後どうするのか。コンペで公募された他のデザインも探せば必ず類似が出てきそうであり、キリがないような気がする。もう一歩、修正を重ね、折り合いをつけてみてはどうだろうか。 

 


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多発する電車人身事故 [社会・生活]

 最近、首都圏の通勤電車では、ほぼ毎日のように人身事故が発生している。そのたびに、大勢の人たちが大混乱に陥り、大事な時間を失っている。人身事故の内容はホームからの転落、不注意な事故もあろうが、ほとんどは自ら命を絶つためのものと思われる。迷惑に対する憤りを感じる一方、「なぜ、自分の命をもっと大切にしないのか。生きたくても生きられない人達が多くいるのに・・・。」と虚しさがいつもこみ上げてくる。

 世界を見渡せば、紛争やテロによる爆撃で住むところを失っている人たち、食料や水が不足し飢えや疫病の恐怖におびえる人たち、普通に生きれることが奇跡であり、命がけで生きている。それに比べれば日本の環境は天国といえよう。

 世界の人を対象にした2015年の幸福度ランキングの中で日本人は158か国中46位。悪くはないが決して良くもない。平均寿命は男女平均世界一、経済力は世界第3位、戦争もなければ、水も食べるものも豊富、そして公衆衛生が最も行き届いた国である。

 ただ、人というのは常に不幸を引き込まれていくものだ。たとえ恵まれた環境の中でも、最悪な人間関係や借金、病気、様々な不幸要因はある。そこから抜け出せない絶望感から生きる望みを失っていく人も多い。中には家庭内での虐待や学校内のいじめなど、人が自ら不幸をつくり出しているケースも年々増えている。幸せな国の中で、多くの不幸が渦巻いているのも事実だ。 


 その人たちの本当の苦しみを理解することはできないが、ただ、生きる望みは捨てないでほしい。生きていれば何かチャンスが訪れ、そこから新しい人生を紡ぎだせる可能性がある。著名人や事業に成功した人たちの中で、人生のどん底から本当の幸運をつかんだという話をよく耳にするものだ。

「生きていく幸せ」は、悩みがなく心が常に満たされていることが条件なのかもしれないが、「生かされている幸せ」、それがどれだけありがたいことなのか、それに気づかねばならない。生かされていることは未来の幸せのチャンスも同時にあるのだ。もっと命を大切に、未来にもっと期待してほしいことを切に願うばかりだ。


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戦後70年、平和への節目 [社会・生活]

 終戦から70年。戦争を知らない世代にとって、それは遠い過去の歴史である。 これまで、戦争の悲惨さを知る世代が日本の平和を守り抜いてきたが、これから次の世代が受け継がねばならない。戦争を実体験していなくても、平和の有難さは十分知ることができる。何事もない平凡な暮らしこそ、最高の平和の証であり、我々はこの「当たり前の平和」に対して、不感になってはならない。
 
 しかし、社会における日常の様々な不満や怒り、外国からの挑発や威嚇、また民族的なナショナリズムなど、人々の心が平和から揺さぶられる要因が多々ある。 最近、以前の日本では考えられない事件が毎日のように勃発しており、遣り切れない気分になることが多い。他人への思いやりや協調性など、これまで大切にされていた精神が薄れてきている。競争社会、個人主義化が原因なのか、こうした空気は平和な社会を少しづつ蝕んでいくように思える。
 
 また、国家の行方も気になる。安全保障関連法案もうまく使えば、戦争の抑止力になるかもしれないが、一歩間違えれば戦争法案に化してしまう。これは原子力と同じで、利益と大きな危険が表裏一体にある、とてもハイリスクな法案である。いま与党が利益面だけ都合よく強調して説明しているが、これをそのまま信じ込んではいけない。この法案は、原発と同様に2重、3重のセキュリティーが必要であり、暴走しないための抑止力をもっと強化しなければならないと考える。
 
 いまの政治は、物事をすべて国益で判断する風潮が強い。欧米や中国、ロシアに対しても国益をもっと主張して対等な交渉で臨むべきで、いつまでも敗戦国のレッテルを張られたままではいけないという機運が高まっている。 しかし、日本が戦争に突き進んだのもこうした国益主義であり、そのとき軍部が力を持ったことにある。何か戦前の日本の空気に似てきた感じがしてならない。 毎年、戦争と平和のこのような話も8月始めから2週間ほど、テレビや新聞などの特集で深まるが、8月15日の天皇陛下の慰霊のお言葉で締めくくられ、それを境にピタリと日常の生活に戻る。 この期間にどれだけの人たちが戦争と平和について考え、何かを思い、感じたか。
 
 国家の平和はやはり国民一人ひとりの心にある。特にこれからの若い世代、そして子供たちに伝えていかなければならなく、心の中にしっかり残していかなければならない。 戦争を知る世代から受け継ぐバトンは実は平和を守るための「心の掟」のようなものかもしれない。

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おもてなし精神でものづくり。これが日本の強みだ。 [社会・生活]

 いつもふらりと入る馴染みの書店。気がつけばアニメゾーンが大幅に増床し、専門書ゾーンがジワリと狭まっている。確かに商売として考えれば、売れない難しい本を多く置くより、子どもが小遣いをはたいても買うマンガ本を棚に入れていた方が絶対に得策。個人的には残念であるけど仕方ないことだ。今は立ち読みができないように、本はビニールに包まれ陳列されている。そのためか、書店の雰囲気は、そのゾーンを境にガラリと変わり、異質な空気が漂ってくる。

 最近ではアニメ、マンガもすっかり日本を代表する文化の一つとして挙げられ、一昔前のように「下らない娯楽本」と見下げることはできなくなった。海外ではその日本のアニメが美術館でも展示されるほど、芸術的な評価を得ているのだから、ちょっと戸惑さえ感じる。どうして世界中でこんなに評価が高いのか、きっと不思議に思う日本人も多いことだろう。

 これは日本のラーメン、カレー、そば、うどん、お好み焼き等の一般大衆の食文化が、いま海外で非常に注目を集めているのと共通した現象と考える。我々が普段あたり前と思っている食文化が、外国人にとって新鮮で驚きであり、しかもその完成度に感心させらたという話はよく耳にする。いわゆる日本のおもてなし精神がものづくりや食づくりを通じて、世界でも群を抜いた製品や食、あるいは文化を築きあげてきた成果だと思う。

 私はあまりアニメには関心ないが、ビニールに包まれていない雑誌をパラパラ観ると、確かにうなづけるものがある。内容は決して上等とは言えないものでも、絵の繊細さや完成度は日本人ならではの丁寧な仕事が表れている。手抜きをせず、真面目に取り組む姿が目に浮んでくる。

 それから、もうひとつの特徴として、普段、自己表現が下手で目立つことが苦手な日本人が、アニメの世界になると実に大胆で表現力豊かになる。ハリウッド映画顔負けの大アクションが展開されたり、逆に心の繊細な描写や自然の大切さ、人との絆など、非常にデリケートな物語など、その表現方法の自由さや幅の広さは、日本アニメの大きな特徴とも言っていい。そうしたことも多くの人を惹きつけているのではないだろうか。

 何でもまじめに取り組んで、一級品にしてしまうのは日本の誇るべき文化である。産業面では安くてそこそこの品質の製品を作る新興国の追い上げで、日本の工業の時代はもう終わりという声もよくあるが、これらの商品が市場に溢れるほど、メイドインジャパンのブランドが際立ってくるように思える。

 日本のものづくりの特徴は高度な技術にだけ表れるものではなく、むしろ普通の「何でもないところ」に潜んでいるのが凄いのだ。だから、いつまでも日本悲観論ばかり言っていないで、もっと自信を持ち世界に臨むべきであろう。アニメや食文化だけでなく、まだまだ誇れるものが目の前に無数転がっているような気がする。


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2020年東京オリンピックに向けて日本再生を! [社会・生活]

 2020年東京でのオリンピック開催の決定は、停滞を続いていた日本に、久々に元気の出る話題になった。バブル崩壊以降、日本は常に後ろ向き思考で、気が付けば世界第2位の経済大国から3位に転落と同時にこれまで絶対的といわれていた経済競争力でさえ新興国に脅かされるほど、かつての勢いを失った。国内も東日本大震災の傷跡も絶えず、原発では汚染問題の解決の糸口させえ見つからない。そんな日本に、今回のオリンピック開催は大きな目標ができ、いままで硬直していた様々な問題をもう一度見直すキッカケにもなる。日本再生の絶好のチャンスだ。

 そこで、いまの日本を変革することを色々考えてみた。次に思い浮かべたことを記してみる。

①子供から高齢者までスポーツで健康づくり。

 いまの子供は家の中でゲームばかり、大事な成長期に体を動かす機会を失っている。子どものせいではなく、むしろ、社会のしくみがそうさせていると思う。提案としては、「生活の中でふれあえるスポーツ(体を楽しく動かせる)空間」。たとえば市民がいつでも参加できるスポーツイベントを増やす、身体を動かせる場所、公園あるいはウォーキングゾーンの増設、整備など、そうしたことで普段の生活の中でスポーツに気軽に接せられる社会ができれば嬉しい。スポーツは高齢者の健康増進にもなり、年々増加する医療費も抑制にもつながる。子供からお年寄りまで、みんながスポーツに関心を持ち、身体を動かせれば、きっと元気で活力のある社会になっていくと思う。

②おもてなしの街づくり

 プレゼンテーションの時、滝川クリステルが日本のおもてなしを紹介したが、「これが日本文化だ」と誇れる街づくりをしてもらいたい。ただ見かけだけの小奇麗な街ではなく、もっと歴史や伝統や文化の香り、そして現代日本の良さなど、そんな他国にない街づくりを目指してほしい。また、建物や交通インフラだけでなく、そこに住み、働く人々が生き生きした都市や街なければ魅力はない。まず、日本人の心がゆったりと安心して、海外からたくさんの観光客を迎える体制大切だ。それには日本人にとって苦手な言葉(英語)や海外の風習や文化も受け入れる心構えなど、あと7年間で国際化していくことも必要といえる。まさに人々も変わっていかなければいけない。

③環境共生の街

 かつて江戸は約8割が緑に覆われ、川や海いを生活や産業に上手に活かした世界最高のエコ都市であった。しかし、それから170年、現代の東京はその真逆に進展し、膨大エネルギーなければ機能しない大消費マンモス都市である。これからの地球環境問題を考えれば、このままではいけない。建物などの省エネルギー化はもちろんであるが、都心に街路樹や小さな公園、あるいはビルの緑化など、自然環境の割合を高めていく必要がある。現在のコンクリート砂漠から、緑の中の都市に変革できれば、夏のヒートアイランド現象もかなり解消できるのではないだろうか。

④日本全体が観光地化

 オリンピック時には大勢の外国人観光客が訪れる。当然、観光で日本の名所巡りだけでなく、普通の街並み等の散策したりすることもあろう。観光地は立派であるが、一歩裏に入れば愛想のない街、人々では、とてもおもてなし文化の国とはいえない。東京だけでなく、日本全国すべて観光地というスタンスで、町おこしをしてみたらどうだろう。

 お金をかけて綺麗に整備するのではなく、自分のテリトリーをしっかり整える。一つの成功例として、瀬戸内海の島々で繰り広げられている現代アートの街づくり 、まだ10年足らずと聞くが、観光資源が全くなかった島々が、いまでは年間100万人以上訪れるそうだ。島の一般の人たちまでが自分の家に暖簾をかけるなど自主的に観光に参加することで、島全体が芸術文化で生き生きとしているという。これまで商業、経済だけで街の開発を行っていたが、文化を軸に切り替えていくことも、これからの日本の都市、街づくりとしてふさわしいと考える。

 以上、街づくりの話ばかり多くなったが、やはり器は大事で、その器に何を求めているかで大きく変わる。今回のオリンピックをバブルと捉え経済の波及効果や一儲けのタネばかりに考えている人々も多かろう。しかし、その論理だけでこのビックチャンスを進めたら、間違いなく100年間後悔する。これまでの反省を踏まえ、政治がリーダーシップをとり、日本再生に向けて取り組んでもらうことを望む。


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日本の平和を維持するには何が必要か。 [社会・生活]

 国民の意識調査で、防衛力の増強、集団的自衛権の行使への賛成割合が、この数年増加傾向を辿っている。

 中国による尖閣諸島での威嚇や北朝鮮のミサイル攻撃の恐れなどから、そうした意識の増大は当然のことと言えよう。アメリカの核の傘の下で戦後68年間、何事もなく過ごしてきた日本であるが、そろそろ転機が訪れているのは誰もが感じている。中国の台頭、アメリカの国力停滞、テロの勃発、中東諸国の政情不安定など、国際状況が大きく変化する中、いままで堅固と思われていた安全保障の仕組みも、再度見直していく必要がある。そして、日本が平和を保つため、いままで何をしてきたか、どれだけの努力をしてきたか、反省を踏まえて、しっかり総括すべきであろう。

 この問題に対して、安倍首相は以前から強いこだわりを持ち、保守色も濃い。自著の「美しい国へ」では自立した国家、自ら帰属する国家の伝統、歴史、文化に誇りをもつという純粋な愛国心など、国家の在り方を強く訴えている。そして、その根幹にある憲法改正、特に9条に縛られていた戦争放棄、平和の概念についても意欲的に言及している。それを危険思想と危惧する声も多いが、経済や景気だけを政治の焦点にしてきた過去数十年間の政権と比べると一歩進んだと言えよう。

 さて、この「平和」であるが、それをどのようにすれば維持できるか。大きくは次の2極の議論に分かれると思う。一つは国防を強化し、しっかり国を守る。さらに日米同盟も強化し、軍事力の増強で不安を解消する考え。

 もうひとつは軍事よりも外交重視。日本が軍事力を高めれば、逆に相手国を刺激し緊張をもたらす。軍事的手法を使わず、あらゆる手段(文化交流や経済支援、環境技術支援など日本ができること)を行使すべきとの考え。さらにこの2極をミックスした考えもあるが、究極はこの2つに絞られると思う。

 どちらも納得する考え方であるが、一つ目の考えは相手が弱ければ軍事力で抑えることができるだろうが、対象が大国の中国であれば、現在の自衛隊では力不足、本格的な軍隊を編成する必要がある。気が付けば第二次世界大戦前と同じ巨大軍事体制が出来上がることも否めない。現在の日本人には、戦争加害者(前科者)の意識は低いが、周辺諸国 特に中国、韓国などはそれを決して許すことはない。むしろ、今以上に関係が悪化し、領海域での緊張感はさらに高まってくることが予想される。

 いずれにしても、日本をはじめ周辺諸国が安心、安全な高度な民主主義にならない限り、戦争の火種を断ち切ることはできない。利害関係だけで物事を進めれば必ず、火花は散る。これは国家同士だけでなく、人と人との小さな関係の中でも起こる。まずはお互いの信頼関係が大切だ。

国を守ること、そして自分の国に尊厳を持ち、自立心を高めることは重要である。しかし、歴史を観ればそれが戦争に直結しているのも事実であることも忘れてはならない。大河ドラマ「八重の桜」では、会津の人々が国を守るため、官軍相手に死闘を繰り広げ、最後は悲惨な結末を迎える場面がある。いわば福島県対山口県、鹿児島県の連合軍の戦争である。その日本人同士の争いに命を懸けていたのだから、今では到底考えられないことだ。明治前までは藩が国家の最上位で日本という概念は殆どなかったのだ。

 現在、経済、情報においてはグローバル化が進み、国家のすみわけが曖昧になっているが、人の国家意識はいまだ国境を境に固まっている。しかし、もっと時代が進めばすべてがグローバルに展開していくのではないだろうか。日本も中国も韓国も同じ法律と制度が適用される時代がくれば、尖閣諸島も竹島もどうでもよい問題になるだろう。

 一つの巨大な国家が力で支配するか、民主的に国々が集まって連合国をつくるか、いずれどちらかに進んでいくと想像する。ただ、その時、会津藩のように意地を張って多くの人の命や財産を失うことは、決して賢明とは言えない。

 安倍首相の描く国家は、確かに美しい国だが、ちょっと昔の武士の気骨が入り過ぎているような気がしてならない。むしろ、したたかな町人の生き方や精神も見習うべきではないだろうか。まずは国のカタチを維持するよりも、日本人がどんな苦境でも戦争をせず生き延びれる選択肢を見出すことが重要であり、しなやかな考え方が大事なのではないか。


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都心のコンビニに日本人の店員がいない。 [社会・生活]

 最近、日本人は働かなくなったのではないか。

 都心でコンビニに入ると、まず日本人の店員はいない。私がいつも利用しているコンビニでは、名札に「ちゃん」「りゅう」「ぎ」など中国名がカタカナで書いてある。居酒屋に行っても店員の注文の言葉がぎこちない。建設現場、介護や清掃関係などあらゆるところで外国人が多く働いている。彼らは日本にすっかり溶け込み、我々もそれに違和感を感じることもなくなった。ある意味で国際化が進んだといえるが、素直には喜べる状態ではない。

 人手不足で外国人を雇っているのか。

 ところが一方、新卒の大学生は就職難で苦しんでいるという。50社、100社廻って不採用。就職に在りつけず、アルバイトやニートで職つなぎ、仕事に絶望感を抱いている若者も少なくない。今年はアベノミクス効果もあり、やや就職難も緩和されているようだが、それでも厳しさは続いているようだ。

 ただ、この状況に疑問を感じることもある。

 資質、実力もない未熟者な若者が、給料の良い安定した企業ばかり求め、労働条件のキツイ仕事は避けている。こんな金額では生活もできない。キツイ仕事、自分には向いていないなど若者の口から良く出る言葉だ。実際、その仕事ですら身に有り余るものであっても否定ばかりで、チャレンジしようという気概は見えてこない。自分がどの程度の人間か本質的にわかっていない。それが自分を不幸に追い込んでいる。

 このような背景には、子供の頃から裕福な生活に浸り、努力しなくてもほしい物が手に入り、何不自由なく大人になってしまったことにあるように思える。高度経済成長時代を生き抜いてきたハングリーな日本人とは、現代の若者は別人種である。だからと言って、貧しかった時代に戻ることがいいことではない。豊かな成熟社会をどう築いていくかが問題なのである。ベストな状態を維持していくほど難しいことはない。ゆるみがでれば崩れてしまう。いまの日本はそういうジレンマの状況に陥っているのではないか。

 しかし、将来の日本の活力、元気さは、すべて若者にかかっている。安全で豊かさな温室社会では、これからの困難を乗り越えられる若者たちを育てることは難しい。さらに言えば子供たちをどう教育、人間づくりしていくか、それで決まってしまう。政治は現在の経済のことばかり論ずるのでなく、もっと未来の日本のために力を注ぐことも大事ではないか。

 また若者にも、発展途上国の若者に負けないくらいのハングリー精神を持ってほしい。まず、それがなければ日本がもう一度輝くことは難しいだろう。


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健康には快適な睡眠、そのために枕は要注意。 [社会・生活]

最近まで、不眠続きで体調がすぐれず苦しんでいた。

ベッドのクッションはやや硬めではあるが、それ以上にコチコチの板の上で寝ている感じで、とにかく毎晩寝付けられず、いつも明け方まで半眠状態。

だからと言って睡眠薬は飲みたくないし、寝る前は「今日こそは無事に眠れますように」と祈る気持ちであった。

そんな状況なので、仕事がちょっとハードになると疲労もひどく、いつも体中の血行が滞った感じさえあった。以前はそんな事はなかったはずと思いつつ、数か月間の悩みが続いた。

状況が変わったのは数日前。ふと「枕」を替えたことを思い出した事から始まる。

その前に使っていた柔らかめの枕を探し出し、それに替えてみた。するとどうだろう、板のように感じていたベッドの感触がこれまで違うではないか。全体的にクッションも感じ、以前のような寝心地が戻ってきた。それからは少しづつ眠れるようになり、昨日はマッサージを受けに行ったせいか久々に熟睡できた。体もだいぶ回復し、長いトンネルからやっと抜け出した心地である。

それまで、不眠の原因は運動不足のせいか、それとも体のどこか異常をきたしているのかなど、毎日あれこれ悩んでいたが、こうしてみると「枕」による要因が大きかったようだ

では、なぜ、あの時に枕を替えたのか、それを思い出してみると皮肉な結果が浮かんできた。

事の始まりは、いままで使っていた枕が汗ばんだ為、新しい枕を買いに行った時のことである。

店内に色々種類の枕がある中で、ひと際柔らかく、クッション性の良いものがあり、私はこれだと思い手にしてみた。ただ気に入ったものの、仕様と価格を観るとスポンジ入りのあまりにも安価なものだった。

枕というものは毎日使うものだからやはり良いものでなければならないという先入観で、もうひとつ羽毛入りのやや値段の高めのものも購入した。最初にその柔らかい枕をして、しばらくしてから、その問題の枕に取替えたのだった。

直ぐに違和感を感じなかったが、硬さと高さの微妙なずれが、ジワジワ体に悪影響を及ぼしていたのだろう。

もしかしたら、その枕の方が相性が良い人もいるかもしれない。ただ私の場合は安価な枕の方が体に合っていたようだ。こうしてみると枕のちょっとしたことで健康を損ねている人たちも多いのではないかと思う。

まず健康は快適な睡眠が何より大事、そのためには自分に合った枕が重要、それを痛切に感じるものだった。私のような人もいると思いますので、ご参考になればと体験を一筆書きました。


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現代社会の窮屈さと憂鬱 [社会・生活]

1.現代社会の窮屈さと人の感情

 いまは便利な社会になりすぎている。 解らないこともネットで調べれば、瞬時に、しかもタダで専門的なレベルまで知ることができる。はるか遠い昔、三蔵法師が天竺にお経を授かりに行く為、命がけで三千里の旅をする話があるが、現代はあまりに安易に欲しいものが得られる社会になった。 これも人々が便利さを追求し、先人達の日々努力の積み重ねがあってこそ、今日の豊かな社会が築き上げたのだ。それに対して感謝しなくてはいけない。しかし、その便利で出来過ぎた社会システムは、必ずし生き心地の良いものではなく、 どこかギクシャクして、我々の心の中に大きな病巣をつくっているように思える。

 社会や文明の急激な進歩や変化に対して、人の感性や感情など潜在的な性質は、太古の昔とそう大して変わらない。おそらく、イライラしたり、カッとする感情メカニズムは潜在的にある生物的本能だ。つまり、人間の作った社会システムが、自分たちをその歯車に組み込もうとする時、人はその抑圧に反発し、心の葛藤が生じているのではないだろうか。それは子供が大人になる前の反抗期と同じで異常なことではない。問題はそうした社会に脱落し、鬱状態になったり、命を絶つに至る人たちが年々増加していることだ。

2.現代社会の憂鬱

 現代の若者は小さい頃から、塾で勉強詰め、遊びはゲームなどの仮想空間で楽しみ、普段から自然の中で考え、体を動かす機会を失っている。いわば心身ともに窮屈な現代社会にズッポリ浸かっている。そのような環境で育った若者は、自然や社会で起こる様々な困難や厳しさを理解する能力に当然疎くなる。また、僅かな喜びや悲しみを感じる「心の力」が養われるチャンスも少ない。そうした人間らしさをつくる感性や感情は、無味乾燥した規則だらけの現代社会の中で、退化する一方で、それが育まれるチャンスは極めて少ないよう感じる。

 最近、増加している鬱患者の共通している点は、自分の思うようにいかない事に悩むことだ。特に人間関係での心労が大きい。人の心は自然と同じでなかなか自分の思うとおりにいかない。言えばわかると思っても、言ってもわからないのが、まさに人間だと思う。

 しかし、現代人はなぜわからないか、それがわからない。悩みに悩んで、気がおかしくなる。子供の虐待でも自分の思うような「かわいい赤ちゃん」でいてくれればよいが、ただ腹を空かせて泣きわめく状況が続くと、厄介な生き物にしか思えなくなるという話を聞いた。育児ノイローゼと言えども、大事な我が子が飼いならしたペットと同列に観えてくるのも実に悲しい事実である。

3.自然との共生精神を養うことの大切さ

 昔のひと達は、まず自然をいかに自分の味方につけるかを考えていた。だから、昔の日本の住まい方には様々な工夫に満ちていた。引き戸を中心とした雨戸や襖、障子などの建具はまさに高温多湿に対応すべく、風通し、通気性に配慮した建築法であり、炬燵(コタツ)は世界に例を観ない省エネ個別暖房システムである。自然にまっすぐ向き合い、知恵を絞ることが生きるための生活の基本であった。

 しかし、現代社会は自然を排除することからスタートしている。 まずはじめに、その土地にある自然の木々を伐採し更地してから建物を造る。その建物は外との熱や音をしっかり遮断し、自然と完全に分離する形にしていく。当然、そこに住む人たちは、自然の厳しさから保護され、安心な生活を得ることができる。しかし、昔のように住まいから四季折々の自然を、どれだけ体感できるだろうか。残念ながら、自分で相当意識をしない限り、それを享受することは難しい。

 そんなことが、人の心にも大きく作用しているように思える。自然を感じる心は、人の心を感じる力も養う。つまり、自然も人も同じなのだ。 子供たちの感受性を高めるべき大事な時期に、自然に接する機会を失ってしまった現代社会は、心の脆(もろ)い社会になっていくように思える。

 便利で人工物に囲まれた非自然的な社会の中で、人間が人間らしく生きていくためには、ちょっとした自然の美しさや些細な喜びを、心の底から本当に感じ取れる感性を養う努力、便利さとは逆の「厳しさ」や「大変さ」も受け入れるゆとりある心を育むことが一層大切になってきたのではないかと感じるこの頃である。


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大震災から1年半。復興の思いを風化させてはいけない。 [社会・生活]

  東日本大震災から1年半。どのくらい復興したのだろうか。正直、私は東北には足を運んだことはない。メディアの情報から知るだけである。 個人的にどれだけの力になれたか。いくらか募金をしたが、たった一人の数日分の生活費の足しになるくらいで、何の役にも立っていないような気がしてならない。

   我々1人1人ははっきり言って、無力である。やはり、政治が本気になって取り組まなければ、何も進まない。何が問題で、何が必要か。そして、何をすべきなのか。それを池上さん流に、わかりやすく国民に説明してほしい。そうすれば、みんなが力をもっと出し合えるように思える。

   本当に復興するには10年、20年単位の気の遠くなる話だが、人々の生活は1日1日が勝負であり、悠長なことは言ってられない。まずは生活第一だ。

  最近、東北で復興バブルという話を聞くが、地元の農家や漁業の方々が除染など慣れない作業をしているという。中には年配の女性の方もいるそうで、これは本来あるべき姿ではない。 とにかく、本当の仕事をつくらなければ、元気な人でさえ生活していけない。都心ではまだ、福島産の農産物や魚介類などを敬遠している人たちも多いらしいが、あまり過剰になるべきではない。そのためには、政府は食品の安全性に対して、もっと安心できるように、しっかり宣言しなければいけない。

  人は自分一人では生きていけない。人の支えがあって初めて自立できる。いまは日本全体で東北を支えることが最重要である。

  1年半の節目。復興の思いを風化させないよう、もう一度、心にしっかりと刻み込み、できることを続けていこう。


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「毛虫の毒」と「薬の毒」、どっちが「毒」か。 [社会・生活]

 チャドクガの毛虫に刺され手に大湿疹が出た。症状がひどく、病院に行ったところ、ステロイド系の塗り薬が渡された。

 そのチューブには劇薬を表す「劇」の字がしっかり書かれていた。たしかに、毛虫の毒は強く、それに対抗すべき薬は強力なものが求められる。

 でも、ふと疑問も感じる。「毛虫の毒と薬の毒、どっちが毒なのだろうか。」

 毛虫の毒は一回刺されただけだが、薬の毒は毎日3回、1週間塗り続けなければならない。

 ステロイドは炎症を鎮め、免疫を抑制する副腎皮質ホルモンの作用があるという。だが、それは擬似的に造られた化学物質である。毛虫の毒のように自然界にある物質とはわけが違う。人間の体には絶対に合わないものだろう。

 本当は焦らずに、自分自身の自然治癒力で直すのが一番いいのはわかっている。でも、湿疹ばかりは痒さと見苦しさで、早く何とかしたくなる。とりあえず、医者を信じて一週間塗り続けることに決心した。副作用などもっとひどい症状が起きないことを祈るばかりである。


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終戦記念日、過去でなく、未来を見つめる日だ。 [社会・生活]

  戦後67年。いまや太平洋戦争の実体験を語れる人は数少なくなり、遠い歴史の一コマになりつつある。

  だが、戦争は決して終結していない。竹島や尖閣諸島、北方領土などの隣国との領土問題は再燃し、慰安婦問題。そして、いまだに住民を苦しめている沖縄の米軍基地問題。どれもずっと戦争を引きずり、解決の道筋さえ見えていない。

  戦後の高度経済成長で日本は豊かになり、完全復興したかのように見える。だが、我々は、多くの犠牲者の上に今日の平和が築かれていることを忘れてはならない。

  硫黄島をはじめ南方諸島での玉砕、壮絶な沖縄決戦。また、東京大空襲、広島、長崎の原爆などで、数えきれない尊い命が消えた。その犠牲数は約300万人を超える。きっと、この愚かな過ちを2度と繰り返さないようにと無念を滲ませて訴えているに違いない。我々は歴史をきちっと直視し、たとえどんな小さな事でも戦争に通ずる道は根絶しなければならない。

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暑中見舞いで結婚のご報告

結婚報告はがき専用の暑中見舞いラインナップ勢揃い。早割7/2まで

hagaki.saltwedding.jp/

暑中見舞い、残暑見舞い時期 - その他(生活お役立ち) - 教えて!goo

2006年8月2日 ... 【暑中見舞】「二十四節気」の小暑 (7月7日)~大暑(7月23日)~立秋(8月8日)の前日 まで【残暑見舞】立秋(8月8日)~処暑(8月23日)~白露(9月8日)の前日まで【寒中見舞 】小寒(1月5日)~大寒(1月20日)~立春(2月4日)の前日まで ...

oshiete.goo.ne.jp>...>生活お役立ち>その他(生活お役立ち)

暑中見舞い・残暑見舞いの書き方・送り方 - 年賀状・暑中見舞いドットコム

暑中見舞い・残暑見舞いの書き方の基本 | 宛名の書き方 | 暑中見舞い・残暑見舞いを 送る時期 | 多用途な暑中見舞い. 暑中見舞い・残暑見舞いを ... 季節の挨拶 「暑中お 見舞い申し上げます」「残暑お見舞い申し上げます」などの決まり文句 ↓; 先方の安否を ...

www.nengasyotyuu.com/syochu/sbashic/index.html

残暑見舞い》はがき・書き方・文例・例・いつからいつまで・暑中見舞い時期

上述のように、暑中見舞いは最も暑さが厳しい季節[=二十四節気では、小暑(7/7頃) ~立秋(8/7頃)の前まで]に出します。 暑中見舞時期を過ぎた頃に出す残暑見舞いは ちょうど、お中元の時期の後になるため、御中元のお礼状を兼ねた残暑見舞いのお便り ...

www.jp-guide.net/manner/sa/zansho_mimai.html

暑中見舞いの書き方》暑中お見舞い時期・期間・文例・例文・文面・文章

暑中見舞いの書き方とマナーのページ。暑中見舞いの時期は梅雨明けの7月初旬から 立秋(8月7日頃)までの期間です。暑中お見舞い文例とはがきのレイアウトおよび文面 を紹介します。イラスト入りはがきの使い方や挨拶文・季節感ある文章例文を掲載。

www.jp-guide.net/manner/sa/s-mimai.html

出す時期は?何を書く?そろそろ気になる「暑中見舞い」の書き方 - はてな ...

2010年7月6日 ... 出す時期は? まずは暑中見舞いを出す際の基本のポイントを押さえておきましょう。 ▽ 暑中見舞い特集:暑中見舞い・残暑 ... まずは「暑中お見舞い申し上げます」など季節の 挨拶から始め、続いて相手を気遣う言葉や自分の近況について書き ...

b.hatena.ne.jp/articles/201007/1359

暑中見舞いとは - はてなキーワード

7月20日から8月8日までの土用の期間中を「暑中」といい、この時期にだす夏の挨拶状 を暑中見舞いという。 ... なお、立秋(8月8日)をすぎてからの見舞いは残暑見舞いとなり 、挨拶状の冒頭の句も「暑中お見舞い申し上げます」から「残暑お見舞い申し上げます」 ...

d.hatena.ne.jp/keyword/暑中見舞い

暑中見舞い・残暑見舞い - All About

2012年6月6日 ... ... 書き方マナーなど。暑中見舞い作成に便利なソフトや素材集の情報もあつめました。 少し時期が遅くなった方は、残暑見舞いに関する情報をどうぞ。 ... のキーワード&文例 集. 残暑お見舞いの書き方のコツと文例集・マナーをまとめました。

allabout.co.jp>All About トップ>特集一覧

暑中見舞い - Wikipedia

時期-その他-参考文献-出典

暑中見舞い(しょちゅうみまい)とは、暑中に知人などへ安否を尋ねるために家を訪問し たり、手紙を出すこと。または、その手紙や贈り物そのものを指す。関連する残暑見舞い (ざんしょみまい)についても取り扱う。 本来は、1年で最も暑い時期に相手の健康を ...

ja.wikipedia.org/wiki/暑中見舞い

残暑、暑中見舞い時期 - 夏のご挨拶

暑中見舞ハガキ作成時にお好みのイラスト、テンプレート、グリーティングカード、フォト フレームデザインをお選びください。 トップページ; 暑中 ... 暑中見舞いや、残暑見舞いは 、夏の暑い時期に、相手を気遣う言葉を載せて贈る夏の挨拶状。 暑中見舞いも、残暑 ...

print-sozai.net/shochumimai/season/

暑中見舞い・残暑見舞いマナー【暑中見舞い・残暑見舞い時期・文例】

暑中見舞い・残暑見舞いのマナーのページでは、暑中見舞い・残暑見舞いの書き方や 送る時期などを掲載。 ... 先日はご丁寧に暑中見舞をいただきありがとうございました この暑さの中 お変わりなくご活躍のご様子 安心いたしました 私も身体の丈夫さだけは 人一 ...

www.kmrh.com/yomo2.html

Q.

今の時期って暑中見舞いの時期ですよね、そこでお聞きしたいのですが暑中見舞いの...

暑中見舞いの葉書が無い場合は普通の便箋とかで暑中見舞いって書いては駄目なんでしょうか? かわいいレターセットとかで書いて...

A.

ハガキというのは「葉書」「端書」と書かれる事があるように、「簡易な書状」の事です。つまり本来なら便箋に書き、封書で送るの...

解決済み-回答数:1-質問日時:2011年8月1日

Q.

暑中見舞いの時期 今週末に入籍をします。 結婚式は来年の5月を予定してます。 結...

結婚相手は社内恋愛で、入籍後もお互い仕事を続けていきます。 式まで約1年ありますので会社の社長へ口頭で結婚報告はしますが...

A.

梅雨明けを待って立秋(今年は8月8日)の前日までに受取人に届くように投函します。実際には7月最終週あたりが投函の目安です...

解決済み-回答数:4-質問日時:2007年7月10日

Q.

お中元のお礼状の書き方を教えて下さい 親戚よりお中元を頂きました。 暑中見舞い...

暑中見舞いの時期まで待たず、すぐお礼状(ハガキ)を書きたいです。 今の時期(梅雨)の時候の挨拶を入れた、文章を教えて下さ...

回答数:2-質問日時:2012年7月4日

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  今の日本はみんな平和ボケしている。実際、「戦争」という言葉自体に違和感を覚える人も少なくないだろう。そのくらい平和に恵まれている。しかし、一方で、一歩間違えれば隣国からミサイルが飛んでくる危機が存在している。いったい何基のミサイルが日本に向いているか、そうしたことも自覚する必要がある。戦争は自国の努力だけで無くせるものではない。隣国をはじめ、世界中の国々との平和活動の上に、戦争無き安全が築かれるのだ。

  さらに近年はもう一つ、「テロ」に対しても、十分警戒していかなければならない。たとえば、原子力発電の再稼働の有無について、経済性や自然災害での安全性ばかり議論されているが、これこそテロの標的になったら最悪だ。こうした議論こそ、平和、安全を維持するために、欠かしてはならない事項である。原発の危険、恐ろしさは、戦争の恐ろしさと変わらない。

  8月15日の終戦記念日、先人たちの命をかけた礎と平和の尊さに感謝し、そして、その思いを次の世代に継いでいく重要な日である。ただ、過去を見つめるだけでなく、未来に向けて何をすべきなのか、若い世代と一緒になって考え、そして、安定した平和をつないでいかなければならない。


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いじめ問題、大人たちの社会のひずみが影響。 [社会・生活]

 大津のいじめ自殺事件は、これまでになく大きな社会問題として取り上げられ、ネット上でも異常といえるヒートアップが繰り広げられた。 

 「死に追い詰められるほどのいじめ」の実態が、同級生たちからの証言により、ようやく明らかにされ、被害者の壮絶な恐怖や苦しみが浮かび上がってきた。ご家族の深い悲しみと無念さを思うと、とても心が痛む。それ対して、学校や教育委員会、そして警察の責任逃れの弁明は決して許されるものではない。最後の砦となるべきこれらの機関の責任は極めて重い。

 だが、いくら学校や警察が迅速に、そして真摯に対応しても、このいじめ問題が本質的に解決されるわけではない。日本の社会構造のもっと根深いところに問題が潜んでいる。まず、今回の事件で注目すべき点は、その凄まじいイジメ行為が、不良少年でなく、ごく一般の普通の家庭で育った、いわゆる良い子たちが起こしていることだ。一部の報道では親や親類の職業が明かされているが、それが本当ならば厳しそうな家庭環境に育っている。

 では、どうして、このような「むごい心」が芽生えたのだろうか。おそらく、本人たちには加害者意識が殆どなく、むしろ、ダメな人間を正しているくらいの意識でやっていた可能性もある。 いじめられた方は生涯忘れられない心の傷を負うが、いじめる方は単なる悪ふざけの軽い気持ちの場合が多い。少しでも人の心や傷みが解れば、ここまでの悲劇には至らなかっただろう。だが、そこが問題なのだ。

 いじめの原因は、個人の性格や考え方、家庭環境、またその時の周辺環境など、非常に複雑な要因が絡み合い、単純に特定できない。しかし、よく考えてみると、今日のわれわれの社会が抱えている負の要因が、子供たちの社会に大きく影響しているように思える。次に思いつくところを記す。

①勝ち組と負け組社会の影響

 利益や効率を優先する欧米型の競争主義は、日本の経済や社会構造を変えるだけでなく、人の価値観さえ変えてしまった。特に競争で脱落した負け組と称される人たちは落伍者として、社会的ランクも下げられ、その多くは経済的にも苦しい状況を強いられている。つまり、競争社会に順応できない人間は、結果的に社会的な差別を受けているといっていい。そんな歪んだ大人社会を、子供たちはこれがいまの世の中の標準と捉え、自分たちも同じように振舞っているのではないか。いじめる側といじめられる側は、やはり「勝ち組」と「負け組」で分けられるように思える。

② IT社会がもたらした仮想社会の影響

 デジタル社会の進行により、コンピュータ上で物事を判断する社会になってきた。特に子供たちはゲームに夢中になり、現実とは違う仮想空間の中で楽しんでいる。だから体を使って遊ぶこともなく、もっぱら頭の中だけで、人との関わりも少ない。また、痛みや苦しみもすべて仮想の世界であり、ゲームの中では何回相手を痛めつけても、リセットを押せばまた蘇る。こうした状況の中で、果たして人や生き物に対していたわる気持ちや痛みを感じる感性が育まれるだろうか。それは絶対にありえない。だが、そういう社会にしてしまったのだ。

③ 協調が薄れる社会(個人主義)の影響

  世の中全体が個人主義社会に移り変わってきている。昔は日本の国も貧しく、みんなで力を合わせて生きていかなければならず、そうした中で、お年寄りから子供たちまですべてが、家族や社会にどう役に立てるかを考えて生きていくことが必然とされていた。しかしいまはどうだろうか。自分が社会の中でどう生きていけば良いのか、あるいはどうすれば得なのか、そんな事が生きる中心になっている。いわば個人ひとりひとりが、社会という列車に乗るのが精一杯の世の中になっているのだ。その思想は子供たちにも受け継がれている。

  結論として、やはり大人がしっかりしなければいけないのだ。世の中は弱者も強者も、様々な人たちが力を合わせて生きていかなければならないのだと、その見本を示していくことが大切である。現代の法律では個人の権利や主張ばかりが守られ、協調という思想が薄れている。これを補うべく、倫理や宗教の力も必要なのだろう。日本の言い伝えの中には、先人たちが苦労して悟った知恵がいっぱい詰まっている。もういちど、現代の日本の中に甦らせられないものだろうか。そのためには、法律のルールよりも、法の精神を周知させるしくみや、教育の中で、子供たちに効果的に理解させること。そして、大人たちが規範となるように、社会制度を変えていかなければならない。

  それから、子供たちを仮想世界から解放させなければならない。政府はゲームやアニメの振興を経済成長にかがげているが、これはたばこと一緒で健康害があるという認識のもとで進めていく必要がある。昔、「マンガばかり観てないで、はやく寝なさい!」と子供を叱っていたが、それは本当に正解だったのかもしれない。いまは悪性のゲーム中毒が蔓延し、多くの子供たちがそれに侵されているのだ。

  いま、政治は消費税、年金、経済対策だけでガタガタやっているが、日本人の精神改革も合わせてやらなければ本当の豊かな社会づくりにならないのではないだろうか。近代文明が否定してきた先人の知恵(古臭い常識)をもう一度再考するときが来たといえよう。


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スマホ依存症、中毒症、世の中がひずんでいる。 [社会・生活]

 昨日、久々に量販店の携帯売場に立ち寄った。驚いことに、商品の殆どがスマートフォンで占められ、折りたたみタイプの旧来型携帯は店の隅の方でひっそりある程度。しかも、それはシニア向けの簡単携帯であった。1年前とまるで違う。世の中の移り変わりがあまりにも速すぎる。

 最近、駅や道路で携帯を観ながら歩いている人がやたら目につく。また、自転車で携帯を観ながら運転している姿も珍しくない。そんな状況の中、携帯に気を取られて事故が起ている件数はどのくらいあるか。数年前、「携帯、イヤホン、事故のもと」と題してブログで警告したが、その時とは比較にならないぐらい事故は多発していると想像する。

 携帯は、画面が観やすいスマホに変わり、そして機能、性能も凄い。インターネット、ゲーム、テレビ、ミニステレオ、カメラ、ビデオ、て電子財布、そして定期、もはや電話の域を遥かに超えている。これだけ人を惹きつける機能があると中毒作用も強力だ。携帯依存症と診断されそうな人は、おそらく数万、数十万ではなく、数百万人にのぼるのではないだろうか。特に若い世代が圧倒的に侵されている。

 携帯会社等の企業は、携帯がより便利で、楽しく、そして儲かるように、ひたすら努力している。しかし、それが必ずしも社会や人々の生活をハッピーにしているのではない。事故被害、心理・健康被害など負の影響も大きい。その事実にしっかり目を向け、社会的責任を自覚しなければならない。

 また、我々自身も、この小さな便利な道具の虜になるのではなく、その付き合い方を見直していかなければならない。「携帯もタバコと同じように害がある」との認識が必要だ。

 今は、まさにそんな時期に来ているのではないだろうか。


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