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池袋事故。高齢×足の不自由さは飲酒運転と同じ危うさ [社会・生活]

 最近、痛ましい交通事故がよく報道される。しかし、その原因を知るとあまりに空しく、腹が立つというより苛立ちさえ感じる。池袋で起きた事故もまたそれを象徴するもので、足の不自由な87歳の高齢者が運転する車が暴走して、若い母親と3歳の女の子が犠牲になるという、非常にやるせない事故であった。
 
 この高齢者はいまだ逮捕されていない。それどころか免許も返納する考えもなく、事故の原因はブレーキが効かなかったと自らの運転ミスを否定しているようだ。逮捕されない理由が、元高官という役職の特権によるものなのかわからないが、一般庶民には釈然としない状況が続いている。そもそも足が不自由ということは、普通に考えれば瞬時にアクセルやブレーキを使いこなすことは困難である。また、年齢を重ねれば視力や判断力、反射神経も衰える。総合的に考えてこの人の運転は絶対NGだ。
 
  それからもうひとつ問題なのは、この人物から遺族に対する謝罪は聞こえてこない。かつては有能な人だったかもしれないが、人としての疑問を感じる。今日のネットニュースでは、実は4月に新車を購入しようと考えていたそうだから、呆れるしかない。しかし、実はこのような人たちが数えきれないぐらいいるのではないだろうか。
 
 今後、AIによる自動運転が実現すれば、いままで何らかの障害や高齢などを理由に車の運転を躊躇していた人たちも、免許を放棄することなく運転を継続してくるだろう。車の未来像では、運転に集中することなく、車の中でテレビを見たり団らんを楽しんでいるCMがあった。もし事故が起きた場合は、すべて車のせいで、その車を製造したメーカーの責任になるのだろうか。それとも事故を回避できなかったAI(人工知能)を罰するのか。事故の被害者は怒りや感情をどこにぶつけたらよいのか。ますますやるせない時代がやってきそうだ。
 
 将来の問題はさて置き、この問題はどう展開していくのだろうか。
池袋の事故を起こした高齢者も、どうであれ自分が引き起こした事故だ。その事実は変えられないし、幸せを一瞬にして破壊された遺族の気持ちをまず受け止めることは必然である。この事故(事件)は本人に悪意はなかったとしても、やはり身体的には「高齢」×「足の不自由さ」は「飲酒運転」に相当する危険さがある。世間の大半の人たちは決して、その高齢者の言い分を認めることはないだろう。この方は社会的地位が高く、本来模範となるべき人物である。このような事故が2度と起こらないよう、また自分と同じ轍を踏まないよう世間にしっかり示すことが、遺族にとっても、またこれからの社会にも望まれることであり、償いを含めてやらなくてはならない使命であろう。

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