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都心のコンビニに日本人の店員がいない。 [社会・生活]

 最近、日本人は働かなくなったのではないか。

 都心でコンビニに入ると、まず日本人の店員はいない。私がいつも利用しているコンビニでは、名札に「ちゃん」「りゅう」「ぎ」など中国名がカタカナで書いてある。居酒屋に行っても店員の注文の言葉がぎこちない。建設現場、介護や清掃関係などあらゆるところで外国人が多く働いている。彼らは日本にすっかり溶け込み、我々もそれに違和感を感じることもなくなった。ある意味で国際化が進んだといえるが、素直には喜べる状態ではない。

 人手不足で外国人を雇っているのか。

 ところが一方、新卒の大学生は就職難で苦しんでいるという。50社、100社廻って不採用。就職に在りつけず、アルバイトやニートで職つなぎ、仕事に絶望感を抱いている若者も少なくない。今年はアベノミクス効果もあり、やや就職難も緩和されているようだが、それでも厳しさは続いているようだ。

 ただ、この状況に疑問を感じることもある。

 資質、実力もない未熟者な若者が、給料の良い安定した企業ばかり求め、労働条件のキツイ仕事は避けている。こんな金額では生活もできない。キツイ仕事、自分には向いていないなど若者の口から良く出る言葉だ。実際、その仕事ですら身に有り余るものであっても否定ばかりで、チャレンジしようという気概は見えてこない。自分がどの程度の人間か本質的にわかっていない。それが自分を不幸に追い込んでいる。

 このような背景には、子供の頃から裕福な生活に浸り、努力しなくてもほしい物が手に入り、何不自由なく大人になってしまったことにあるように思える。高度経済成長時代を生き抜いてきたハングリーな日本人とは、現代の若者は別人種である。だからと言って、貧しかった時代に戻ることがいいことではない。豊かな成熟社会をどう築いていくかが問題なのである。ベストな状態を維持していくほど難しいことはない。ゆるみがでれば崩れてしまう。いまの日本はそういうジレンマの状況に陥っているのではないか。

 しかし、将来の日本の活力、元気さは、すべて若者にかかっている。安全で豊かさな温室社会では、これからの困難を乗り越えられる若者たちを育てることは難しい。さらに言えば子供たちをどう教育、人間づくりしていくか、それで決まってしまう。政治は現在の経済のことばかり論ずるのでなく、もっと未来の日本のために力を注ぐことも大事ではないか。

 また若者にも、発展途上国の若者に負けないくらいのハングリー精神を持ってほしい。まず、それがなければ日本がもう一度輝くことは難しいだろう。


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