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現代社会の窮屈さと憂鬱 [社会・生活]

1.現代社会の窮屈さと人の感情

 いまは便利な社会になりすぎている。 解らないこともネットで調べれば、瞬時に、しかもタダで専門的なレベルまで知ることができる。はるか遠い昔、三蔵法師が天竺にお経を授かりに行く為、命がけで三千里の旅をする話があるが、現代はあまりに安易に欲しいものが得られる社会になった。 これも人々が便利さを追求し、先人達の日々努力の積み重ねがあってこそ、今日の豊かな社会が築き上げたのだ。それに対して感謝しなくてはいけない。しかし、その便利で出来過ぎた社会システムは、必ずし生き心地の良いものではなく、 どこかギクシャクして、我々の心の中に大きな病巣をつくっているように思える。

 社会や文明の急激な進歩や変化に対して、人の感性や感情など潜在的な性質は、太古の昔とそう大して変わらない。おそらく、イライラしたり、カッとする感情メカニズムは潜在的にある生物的本能だ。つまり、人間の作った社会システムが、自分たちをその歯車に組み込もうとする時、人はその抑圧に反発し、心の葛藤が生じているのではないだろうか。それは子供が大人になる前の反抗期と同じで異常なことではない。問題はそうした社会に脱落し、鬱状態になったり、命を絶つに至る人たちが年々増加していることだ。

2.現代社会の憂鬱

 現代の若者は小さい頃から、塾で勉強詰め、遊びはゲームなどの仮想空間で楽しみ、普段から自然の中で考え、体を動かす機会を失っている。いわば心身ともに窮屈な現代社会にズッポリ浸かっている。そのような環境で育った若者は、自然や社会で起こる様々な困難や厳しさを理解する能力に当然疎くなる。また、僅かな喜びや悲しみを感じる「心の力」が養われるチャンスも少ない。そうした人間らしさをつくる感性や感情は、無味乾燥した規則だらけの現代社会の中で、退化する一方で、それが育まれるチャンスは極めて少ないよう感じる。

 最近、増加している鬱患者の共通している点は、自分の思うようにいかない事に悩むことだ。特に人間関係での心労が大きい。人の心は自然と同じでなかなか自分の思うとおりにいかない。言えばわかると思っても、言ってもわからないのが、まさに人間だと思う。

 しかし、現代人はなぜわからないか、それがわからない。悩みに悩んで、気がおかしくなる。子供の虐待でも自分の思うような「かわいい赤ちゃん」でいてくれればよいが、ただ腹を空かせて泣きわめく状況が続くと、厄介な生き物にしか思えなくなるという話を聞いた。育児ノイローゼと言えども、大事な我が子が飼いならしたペットと同列に観えてくるのも実に悲しい事実である。

3.自然との共生精神を養うことの大切さ

 昔のひと達は、まず自然をいかに自分の味方につけるかを考えていた。だから、昔の日本の住まい方には様々な工夫に満ちていた。引き戸を中心とした雨戸や襖、障子などの建具はまさに高温多湿に対応すべく、風通し、通気性に配慮した建築法であり、炬燵(コタツ)は世界に例を観ない省エネ個別暖房システムである。自然にまっすぐ向き合い、知恵を絞ることが生きるための生活の基本であった。

 しかし、現代社会は自然を排除することからスタートしている。 まずはじめに、その土地にある自然の木々を伐採し更地してから建物を造る。その建物は外との熱や音をしっかり遮断し、自然と完全に分離する形にしていく。当然、そこに住む人たちは、自然の厳しさから保護され、安心な生活を得ることができる。しかし、昔のように住まいから四季折々の自然を、どれだけ体感できるだろうか。残念ながら、自分で相当意識をしない限り、それを享受することは難しい。

 そんなことが、人の心にも大きく作用しているように思える。自然を感じる心は、人の心を感じる力も養う。つまり、自然も人も同じなのだ。 子供たちの感受性を高めるべき大事な時期に、自然に接する機会を失ってしまった現代社会は、心の脆(もろ)い社会になっていくように思える。

 便利で人工物に囲まれた非自然的な社会の中で、人間が人間らしく生きていくためには、ちょっとした自然の美しさや些細な喜びを、心の底から本当に感じ取れる感性を養う努力、便利さとは逆の「厳しさ」や「大変さ」も受け入れるゆとりある心を育むことが一層大切になってきたのではないかと感じるこの頃である。


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