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アナログ世代は寂しくなる時代だ。 [社会・生活]

昭和生まれ、昭和育ちの自分にとって、ちょっと寂しいことがある。
最近、街から本屋やCDショップ(レコード店)が姿を消していることだ。
自分にとって本屋は昔から欠かせない存在であった。最近は小説や新書など読むことも多く、本屋でぶらぶら本探しするのも楽しみの1つになっている。
  
子供の頃は漫画の本を買いたくても、お金がなくていつも古本屋で漫画雑誌を買っていた。当時(昭和40年代)は新刊の少年マガジンは60円、それが古本屋だと1週遅れで20~30円、1か月遅れだと10円で手に入った。自慢ではないが私の書棚は10円で買った漫画本でいっぱいに埋めつかされていた。そんな子供相手に商売をしている小さな古本屋や本屋が必ずどこの街にもあった。
 
それから、レコード屋。中学に入ると、ビートルズをはじめとしたロック調の洋楽や当時若者に人気のフォークソングに傾聴しはじめ、吉田拓郎や井上陽水などの新曲が発売されると必ず新しいジャケットを探しにレコード屋に行き、最新の流行に触れる満足感に浸っていた。いまはジャズ系の音楽が好きで、よくCDショップに立ち寄る。昔のLP盤のジャケットとは違うが、それでもCDジャケットの絵柄を観ているだけでも楽しい。
 
昭和から平成に入り、本屋はブックセンターに、レコード屋はCDショップへと姿を変えきたが、令和になるとそのブックセンターやCDショップも1店舗、また1店舗と消えている。いま自分の街では本屋がショッピングセンター内に1店舗あるだけで、かつての通った書店みな消えていった。いまやスマホで観るか、アマゾンで注文するか、時代はすっかり変わってしまった。
 
最近、わが家もアナログからデジタルに切り替えたものがある。社会人になってから40年取り続けていた新聞を先月止めてしまった。ニュース程度ならばスマホで十分知ることができる。そう思って止めたのだが、新聞の違った価値観に気づいてしまった。
 
それは茶碗をわってしまった時である。いままではすぐに新聞紙に包み、ごみとして捨てたのだが、その新聞紙がないのである。見回しても、茶碗を包めるようなものがなく、結局ビニール袋に入れたのだが、どうもしっくりいかない。また、玄関で花瓶の水をこぼした時、新聞紙があればすぐに吸い取ることができたのだが、ちょうど良いものがない。新聞というのは時事の情報を知るだけでなく、生活面で非常に役に立っていたことを痛切に感じた。
 
昭和や平成の始めの頃は、非効率で無駄の多い時代であったが、無駄のない効率的な時代になると、どうも味気無さが響いてきて、物足りなさを感じる。せめて、本屋とCDショップくらいは令和の時代にも生き残ってもらいたいものだ。

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