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ウクライナ(実世界)と戦争ゲーム(仮想空間)における危機感 [社会・生活]

毎日、ウクライナの悲惨な惨状が報道されている。
建物は爆破で焼き尽くされ、人々は銃弾や爆撃に怯えている。
大国ロシアが力ずくで侵略している戦闘状況を、ほぼリアルタイムでテレビ画像を通して目視している。
殆どの人は「こんなことは絶対あってはならない」と平和の大切さ、戦争への拒絶感を抱いているに違いない。
 
しかし、一方で危惧することもある。
同じようなテレビ画面、スマホの画面で、戦争もののゲームが流行っていることだ。
そこには最新鋭の機関銃やミサイル、戦車や戦闘機などを使って、相手陣地に切り込んでいく。目的は平和のかけらもない、ただ勝つための戦いである。そして勝利が数値化され、それが快感になる。
こうしたゲームで楽しんでいる人が大きいのだ。仮想空間とはいえ、戦争を楽しんでいる。冷静に考えると異常といえる。
現実の世界と仮想の世界は全くの別物であることは言うまでもないが、人間の精神の世界ではどうなのか、本当に分別がつくのだろうか。私はどうもこのようなゲームやドラマ、映画の存在に疑問を感じる。
実世界では絶対あってはならないことを、いくら表現の自由だからと言って、このようなものが世の中にあふれていることは非常に危機感を覚える。
 
もしかしたら、いまの若者たちは、こうしたゲームによって戦争に対するアレルギーがあまり高くないかもしれない。ゲームの中では守備側のウクライナではなく、常に攻撃側のロシアである。そのような感覚を毎日何回も繰り返していたら、どのような精神状態になるか。考えてみてもぞっとする。
しかし、いまの世の中、これが実体ではないだろうか。
平和な日本、いや世界中が仮想空間の中で、大変なことが起こっていることを、もっと自覚すべきであるし、この仮想空間の中に平和の心を芽生えさせ、育めるような仕掛けも必要なのでは。そんなことをつい考えてしまうほど、これからのデジタル社会に危機感を感じる。 

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時間にどう向き合うか。あきらめないことが大切。 [哲学 思想 名言]

哲学的な話になるが、
世の中ですべての人に公平にあたえられているものは何か。
それは「時間」である。
金持ちも貧乏も、身分に関係なく、同じ時代に生きていれば、みな同じ「時」のなかにいる。
ただ視点を変えてひとり一人観ると、与えられる時間の長さはまちまちだ。健康な人と重い病気に患っている人では生きれる時の長さは決して平等とは言えない。
しかし、その時間の質はどうか。
物理的に見れば、1秒、1分、1時間、時の刻みに違いはないが、それぞれ個人の心のなかで感じる時間は決して同じではない。たとえば、旅行で楽しい思いをしている時と、嫌な仕事で苦しんでいる時、あるいは夢中になって充実感のある時と暇を持て余している時では、時間の重みや濃度、質も違って感じるものだ。
 
最近、この時間についてよく思うことがある。
人生で成功した人、あるいは幸せと自覚して生きている人は、究極なところ、「時間の使い方」がうまかったのではないかと。昔から早起きは三文の得などことわざにあるように、時間の貴重さ、価値をわかっている人にチャンスや幸福の矢が飛んでくるように思える。人生一歩先のことなど、どうなるかわからない。しかし、悲観的な場面でも、どうにかできる可能性も十分あり得る。それを信じて進む人が、最後に信じた世界に辿りつくのではないか。
「あきらめない」、これが成功する人の最も口にする言葉だ。それには信念や精神論だけでなく、時間の概念も大きくはいっている。実行、行動、チャレンジ、これらはみな「時」を含んでいる。つまり、自分にとって、公平に与えられた時間をいかに有効に使うか、スマホとテレビの情報に振り回され、貴重な限りある時間を消耗しがちな現代の生活、どれだけ時間を大切にできるか、そのためには時間への自覚を強く持つことが、人生の大きな差になるのではないか。

タグ:時間
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