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温室栽培国家でなく、雑草国家を目指さなければならない。 [政治・政局]

今年の猛暑は異常であった。
わが家の菜園では、作物のダメージが大きく、秋きゅうりの苗も暑さでとろけてしまった。
雨が降らずに酷暑続き、これではとても作物は育たない。

ところが、畑を見渡すと雑草はピンピンしている。
作物には水をまいているが、雑草には1滴もやっていない。でも、しっかり成長している。
どこから、水分を吸収しているのか不思議でならない。

それに比べて、作物はちょっと水を与えなければ、フニャーとするし、栄養がなければ成長も悪い。虫に食われやすく、病気にもなりやすい。非常にデリケートだ。

一方、雑草は病気らしきものはなく、次から次へと生えてくる。その生命力のたくましさはどこからでてくるのだろう。

この作物の状況と、いまの日本はよく似ている。
過保護すぎるのか、身体の病気ばかりでなく、精神的に病む人も多い。何かあれば、すぐにへこたれてしまい人のせいにする。そんなことばかりしていると、ますます衰弱してくる。自分は他国よりもずっとすぐれた品種(国家)だと信じこんでいるが、実際は品種の質が劣化しているのに気づいていない。これが現在の日本の姿ではないだろうか。

どうすればいいのか。環境はますます厳しくなるばかりだ。それには強い品種が求められる。
強い品種とは何か。具体的には、少々のストレスには挫けず、たとえ貧乏でも明るく振る舞えるぐらいの精神力、戦後の日本人がみんな持っていたような資質。
いま、もう一度それが求められ、それがなければ復活は難しい気がする。

でも、次の世代を担う子供たちを観ると、相変わらず親たちは過保護にしている。教育には熱心だが、精神的な面での教えは殆ど皆無である。少子化で子どもを大事にする傾向はあるが、まあ、実際は豊かすぎるのだ。
これを見る限り、強い人間づくりを期待するのは無理で、やっぱり、デリケートな品種ばかり育ちそうだ。

農作物で言えば、ビニールハウスで虫が入らないようにして、なお且つ、空調で温度コントロールし、定期的に水をやり、栄養も十分与える。そのようにしなければ、きちっとした作物を収穫できないのが実状であろう。

この状況は日本の国家・政治にも例えられる。これだけ変動が激しく、厳しい国際環境や経済にさらされながら、過度の政治に対する要求が強いのは、まさにビニールハウス的政治を求めているからではないか。また、税金の使い道を肥料や水に例えるなら、過剰な方向に進みそうな気がする。いわゆる過保護なバラマキだ。
まさに国民の理想は温室栽培国家を望んでいるようだ。

 しかし、それは理想であって、現実的には滑稽なのかもしれない。
世界中を観れば圧倒的に雑草国家が多く、厳しい環境でもへこたれず生きている。我々はそんな世界を冷静に直視し、その環境の中で同じように生きていかなければない。

 つまり目指すは温室栽培国家ではなく、国民ひとりひとりが自立する雑草国家である。そのためには我々の考えを大きく変え、環境に強い品種に少しでも近づいていかなければならない。
そうしなければ、退化の道しか残されていないような気がする。
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