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菅首相退陣論、今の日本の政治はフランス革命時のギロチンのようだ。 [政治・政局]

 また、総理の首すげ替え論が始まっている。一体、何人替えれば気が済むのだろうか。着任時には支持率60%超えていたが、いまでは20%以下。事実上、国民の支持がないも同然である。ただ、毎日、政治のゴタゴタを聞かされていれば、そうなるのは当然だ。

 今、この日本の風潮は、フランス革命時のギロチン政治を思わせる。最初、ギロチンは痛みや苦しみが少なく、簡単に死刑執行できる装置として発明されたらしい。だが、その機械は後にさまざまな人を呑み込んでいく。特にフランス革命時、政治的な会派のリーダーたちを次々と処刑し、政治権力の道具として活用された。でも、最後は彼らを処刑執行させた張本人まで、そのギロチンの刃にかかったという。民衆もはじめの頃は、その血祭りの処刑が執行する度に歓喜していたらしいが、犯罪者だけでなく、処刑されるべきでない人達まで次々対象が広がっていくと、やがて人々の心は恐怖へと変わっていく。フランスの暗黒時代の始まりで、結局、その終焉まで長い年月と多くの尊い命が犠牲になった。

 菅首相も、いまこの装置にかけられようとしている。本予算を成立させるためには、総理の首でさえ、駆け引きの道具に使おうと、民主党内部から声が上がっている。彼らの本心、目的は予算を成立させることよりも、自分たちの権力奪取にあるのは明らかだ。

 メディア、国民はそれに対してどう観ているか。フランス革命で、ギロチン処刑を喜ぶ民衆に重なるところが多い。私は必ずしも民主党支持ではないが、この政治バッシングに嫌気をさしている。だが、世間を見廻すと、バッシングに物足りない人達がまだまだ多い。そういう人達は、日本の最高責任者である首相に、自分たちの不幸、不満の責任をすべて被せて、ウサ晴らしをしているようにさえ思える。恐らく、その人達は、徹底的に引きずり落とすことを主張し、また交代する次の首相にも同じバッシングを続けるだろう。

 では、結局、どうなるか。日本には神のように、すべてできた人物がいるはずもない。誰が首相になっても、すぐに変わらないのは間違いない。日本の国をダメにしたのは政治家という声が多いが、その政治家を選び、そういう方向に仕向けたのは国民そのものだ。つまり、最後はすべて自分に返り、自分自身が打撃を受ける。

 お金を浪費し続ければ、そのツケが最後自分に廻ってくるのは当たり前である。浪費をやめて、そのツケを自分たちで払い、子供に廻さないようにしようと言っただけで、ボコボコに殴られている。消費税導入を主張しただけでも、この有様だ。しかし、我々は遠くから、その姿を観て他人ごとのように冷笑し、さらに殴られる姿を観て楽しんでいるようにも思える。

 いま、日本に大事なことは何が正義で、自分たちも正義の心を持っているかだ。はっきり言って、自民党がまた政権を取ろうが、公明党やみんなの党が躍進したからといって、日本の政治は大きく変わるものではなく、その状況は同じと考えるべきだ。首相交代や解散総選挙など、意味のないことに時間を浪費するのではなく、具体的に諸問題をしっかり議論して、1歩でも2歩でも良くすることを考えるべきだ。それには国民も、現状をよく自覚すること、そして覚悟を決めて見守ることも大事であろう。


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