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ウクライナの戦禍に思う。 [外交・防衛・海外]

毎日、報道されるウクライナの戦禍は悲惨だ。
なぜ、理性を備えた大国が、このような暴力を罷(まか)り通そうとするのか。
単に大国の独裁者1人の判断なのか。
この単純な問いに世界中の人たちが翻弄されている。
何より、当事国であるウクライナ国民、そして攻めるロシア側もその暴力と無謀さに圧倒され、ドン底に苦しんでいるのではないか。
 
ウクライナとロシアは、歴史を遡れはずっと紛争続きの地域というが、それでも同じような顔をした民族同士、大多数の民衆レベルでは、言葉や習慣が違うかもしれないが、お互い通じ合うところも多いと言えよう。
ただ、国家となるとそれぞれの政治的、経済的な主張、別の言い方をすれば思想や思惑など、譲れない姿勢が強くなってくる。譲り合えば上手くいくが、そこに権力者のエゴも重なると事は複雑化してくる。まさに今回の災難は、そこに根っこがあるような気がする。
いかに自分が損をしないで、得につなげるか。お互いが、そんな損得ばかりを尺度にしていければ、いずれは争いが生じ、どちらも譲らなければ、お互い取り返しのつかないダメージを被ることになろう。歴史を振り返れば必然だが、いまだそこから抜け出れないのが、人間の愚かさ、悲しさなのか。
 
これから、プーチンとゼレンスキーはこの戦争を収束させるために全力を尽くさなければならない。他国の力を借りなければならないだろうが、この2人の度量と本気度が試される時にきている。
我々は固唾をのんで見守ることしかできないが、一つ言えることは、全世界が平和な世をつくること、維持することを最大の目標にしなければならないということだ。
そのためには、まず損得だけが尊ばれる社会から脱すること、譲り合う社会を構築し、それを広げていくことが、いま求められていると感じる。

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