SSブログ

白洲次郎・正子の「武相荘」散策 [旅行・散策]

 東京都町田市郊外に「武相荘(ぶあいそう)」という名の小さなかや葺屋根の建物がある。戦後吉田茂の側近としてサンフランシスコ講和条約、通商産業省設立や新憲法制定に深く関わった白洲次郎、そして妻で作家の白洲正子夫妻が晩年まで暮らした家である。

 写真の奥が母屋で、とても英国紳士仕込みのダンディな次郎と伯爵家のお嬢様である正子が住んでいたとは思えない質素な建物だ。農家からその家を買い入れた時はボロボロで、床は腐って、かや葺き屋根からは雨漏りがし、そのままではとても住める状態ではなかったという。だが当時の土間は床に白タイルが敷き詰められ床暖房付きのモダンなリビングに生まれ変わり、全体的に「和」を尊重した独特な住まいにつくりあげられていた。なかなか趣のある味わい深い建物だ。

2012-11-25 11.53.16.jpg

 また周囲の自然に融合したこの建物にはどこか気品と特別な贅沢さを感じるのも不思議である。おそらくご夫妻の高い教養と文化の香りが随所に滲みこみ、その品格を放っているからだろう。室内には2人が愛用した日常用品が当時の状態で展示されいる。その品々から物を大切にする姿勢とシンプルだけれど心のこもった生活感がうかがえ、白洲次郎・正子夫妻の美学と人間味あふれる生き方が強く感じられる。

 「マッカーサーを叱った男」とも言われ、戦後占領下で卑屈になり気味の日本で唯一気概を持ってGHQ相手に掛け合った話は有名である。この途轍もなくスケールの大きい男がこんな田舎暮らしをしていたのは意外であるが、逆に彼のような奔放な人間には都会よりも大自然の方が合っていたのかもしれない。この武相荘にいるとそんな風に思えてくる。

 一方、白洲正子も稀にみる多才な女性であった。彼女の書斎にはずらりと日本文化、思想、哲学などの書籍が並び、その奥に晩年まで執筆していたという小さな仕事場がある。そこから数々の白洲文学が生まれ、一般の人々に日本の伝統文化を紹介した功績は大きい。私も一度、彼女の作品を読んだことがあるが、匠(職人さん)たちの思いや技術など感性豊かに丁寧に描かれていたことを記憶している。特に日本文化を西洋の世界と女性の視野から眺めて描いていることが特徴ではないだろうか。この武相荘の自然環境も彼女の文学に大きく影響していたような気がする。

 現在の武相荘周辺は住宅が建ち並びもう田舎ではない。ここの一角だけが自然に囲まれ当時の武蔵野の面影を残している。庭園内は鈴鹿峠と名づけられ竹林や雑木林の中を石畳が続いており、ゆっくり歩いても10分くらいの散策コースだ。入口の門は立派でその傍に柿の木があり、ちょうど食べ頃の実が風に揺れていた。白洲ご夫妻もきっとこの柿の実を楽しみにしていたのではないだろうか。

2012-11-25 11.51.28.jpg

 昭和の文化・歴史、建築、自然を満喫でき心落ち着く場所である。紅葉に彩られた秋も良いが今度は新緑あふれる「武相荘」を是非散策してみよう。


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント