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「徳」の低い政治家を退場させる選挙制度・改革が必要。 [政治・政局]

 協調手法ではじまった野田新政権。挑発的対決手法で政治の混乱を招いた菅政権とは対照的に、野党の対応は極めて低姿勢だ。

 しかし、その野党は必ずしも協調を望んでいるようでなく、むしろ対立に意欲的に観える。今度は、与党がなかなか挑発してこないので、野党からの揺さぶりをかけているケースが目立つ。政策議論の対立というよりも、単にケチのつけ合い的なものが多い。

 その最たるものは、この前、首相の所信表明演説中の野次である。まず、騒がしい。たとえ自分たちの意に反する話でも、国として重要な演説である。静かに聞くことは最低の礼儀だ。観ていて幻滅する国会の姿だった。

 これでは、小学校低学年の学級崩壊と成人式でバカ騒ぎをする常識知らずの若者たちと変らない。たとえ、考えや思想が違っていたとしても下品な行動は慎むべきであり、そうした国会議員たちが日本の国を確実にダメにしている。

 民主主義は、個人の自由、権利が尊重され、すばらしい仕組みである。しかし、その自由と権利の定義が曖昧で、それをはき違えている人が多い。国会議員の野次もある意味、自由と権利に守られているのかもしれないが、道徳的、倫理的観点からはNGである。

 本来、政治家は崇高な思想や徳を持って国家を導くポジションにある。だが、与党も野党も、あまりに俗っぽく、生々しいことが好きな人が多いのが現実だ。選挙でその人の資質、見識を見抜くことは難しい。しかし、現状はそこに根本的な問題が潜んでおり、それを改善しない限り、まともな政治が行われることは無いように思える。別に清廉潔癖を求めているのではない、人としての徳を持っているかが重要なのだ。

 その徳があれば、対立しても、ほどほどで協調もするであろうし、くだらない駆け引きや、ケチのつけあいも無くなるだろう。

 小選挙区や比例区等の選挙制度のしくみを変えることよりも、国会議員の資質(徳や見識)をチェックできる仕組みを組み込むことが、いまの日本には一番必要なのではないか。

 民主主義の政治は自由、権利、そして利益がすべての判断基準になりがちであるが、それを包み込む政治の美学、人としての美学が最も重要であるとつくづく思う次第である。


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