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「日本橋」に風情ある景観を取り戻そう。 [文化・歴史・芸術]

  「日本橋」といえば、すぐに頭に浮かぶのは、安藤広重の版画「東海道五十三次」の一番所ではなかろうか。大きな太鼓橋に威勢の良い商人や町人、そして旅人など大勢で賑わい、活気に満ちた、まさに大江戸のシンボル的イメージが連想される。

  歴史的にみても、日本橋界隈は、江戸の台所となる魚河岸や三井越後屋や白木屋など大商店が店が連なり、商業経済の中心的役割を果たしてきた。また、日本橋は東海道や中山道などの五街道の起点であり、あらゆる面で格別な存在でもあった。

  その由緒ある日本を代表する橋は、いまでは首都高速の高架下、かつての威光や輝きは見る影を潜めている。もはや川を跨(また)ぐただの橋でしかない。もし、江戸の人々が、この姿を観たらどんなに嘆くことか。現代に生きる日本人として、その責を感じざるを得ない。

  そもそも、こうなった事情には高度経済成長前の急ぎ過ぎた高速道路行政にあったようだ。当時、東京オリンピック開催に向けて、土地取得を進めていたが、当然のことながら、一般地域での買収には難航し、その手間が省ける秘策として、堀の上に道路を設ける案が浮上してきたという。その結果、橋の頭上の、あのうっとしい構造物が出来上がったという訳だ。 それから50年、首都高もすっかり老朽化し、また、シンボルを欠いた街は人々の賑わいからすっかり遠ざかり、観光地として人々を引き付ける力も大きく低減した。

  そうした中、「日本橋」を東京のシンボルとして、もう一度復活させようと、橋の上の高架を撤去して、高速道路を地下に埋め込む運動が浮上してきた。数年前から持ち上がっている「日本橋再生計画」である。数兆円規模の莫大な費用が伴うため、実現化するには幾多のハードルが予想されるが、こうした提案が出てきたことは非常に喜ばしい。

  日本橋の再生は、おそらく誰もが賛成と思う。江戸時代でも、一番の人気は景勝地や史跡場所を抑えて、日本橋らしい。やはり、人々は大勢集まる元気な場所に惹かれるものだ。昭和の中頃までの数百年、トップランナーとして走ってきたこの場所は、そうした多くの人の喜びや悲しみ、そして様々な出来事が、歴史の記憶として染みついている。だから、潜在的で不思議な魅力を感じてしまうのだ。

  また、この地で積み上げられたは江戸の文化、伝統は、時代が変わり、新しいカタチになっても、いまだに深く根付いている。もし、橋の上の青空を取り戻せれば、単なる景観の復興だけでなく、そうした無形文化の再興にもつながり、地域全体の活力を取り戻す大きな原動力になるに違いない。また、現在、景観に不一致なビルデザインにも、「日本橋らしさとは何か」という一石が投じられ、街全体の文化的再構築につながることを期待する。とにかく、「日本橋」が大江戸・東京の中心名所として誇れる場所になることを心から願う。

  この日本橋再生計画、東日本の復興や原発問題で、それどころではないという意見もあろう。しかし、無駄に思えることにも有益なことは多い。祭りもこれといって実益的な意味はないが、なぜか人々の心にエネルギーを与えてくれる。同じように日本橋に青空が戻るとともに、江戸の粋(イキ)な文化も舞い戻り、日本を元気にしてくれるような気がする。ぜひ、実現に向けて頑張ってもらいたい。


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