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殺伐とした街から、四季折々の自然を味わえる街づくりをしてほしい。 [環境・自然]

  紅葉の美しい季節になった。近くの公園でも、赤や黄色、オレンジに彩られ、ちょっと観光地的な風情を醸し出している。日本の四季はすばらしい。春の桜、夏の深い緑、そして秋の紅葉に、冬の落葉、そして、厳しい寒さが過ぎると新芽が顔を出し、再び花の香りいっぱいの季節になる。四季折々の中、自然は我々にいろいろなことを語りかけて、優しくつつみ込んでくれている。そんな自然を大事にしていかなければいけない。

  しかしながら、家の周辺でも、次々に緑が奪われている。つい最近まで雑木林の場所が、いつの間に、すべて伐採されて更地になり、建設計画の看板がポツンと立っていた。ここの雑木林にはうぐいすが住み着いており、住宅街でも珍しく、ホーホケキョを聞くことができた。でも、もう鳥たちが住めるところはない。どこへ行ってしまったのだろう。すごく、残念でたまらない。

  公園に行けば、多少木々もあり、紅葉を楽しむことができる。でも、街中にいると季節の感覚を失ってしまう。今は、絶好の紅葉の季節なのに、普段それを感じられるところが少ない。

  街では、相変わらずマンション建設が目立つ。どれも、住みやすい建物なのかもしれないが、周囲の景観には全くそぐわず、地域性などは微塵も感じられない。工業製品のようにデザインが画一化され、見栄えと経済性が重視された造りだ。建物の周りには若干の樹木が植えられているが、おそらく都市計画上決められた最低限の植栽が施されているだけであろう。これには、四季折々を楽しむようなものではない。でも、無いよりはマシだ。

  それから、街の道路にも樹木が少ない。幹線道路などには多少植えられているが、いずれも窮屈そうで、枝が電線と接触しそうなものばかり。そのせいか、枝払いの季節になると、太い幹だけ残され、殆ど伐採されて無残な姿になる。まるで、木を虐待しているかのようで、痛々しくなる。特にけやきの木の伐採姿はひどい。

  日本は、四季折々の美しく、すばらしい自然の宝を持っているのにもかかわらず、それをいじめている。どうして、最大限、自然を活かすことができないのだろうか。結局、経済効果という、つまらない評価軸ですべてを測るシステムが、数字で表せない、こうした大事な価値感を蔑(ないがし)ろにしてしまうのだろう。

  まあ、現状は、不動産会社と建設会社が、業績を上げようとすればするほど、街は殺伐とした無機質なコンクリートだらけの風景になっていく。どこかで転換が必要だ。建設会社も不況の中で頑張っているが、現状の経営スタイルでなく、21世紀はやはり環境の時代、今とは違う方向にシフトしてほしいものだ。リニューアル、リサイクル、そして自然との共存、そうした新しいテーマに取り組んでもらいたい。

  その実現のためには、民間だけでなく、やはり行政の力も必要であろう。また、地域住民も、自分たちの街づくりにもっと積極的に参加しても良いと思う。最近、ある街で「木を植える運動」を聞いたことがある。そんなことから、豊かな環境をつくれるかもしれない。時間はかかるとしても、自然に満ちた、秋の紅葉もいっぱい楽しめるような街並みが増えていくことを望みたい。


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