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原子力発電は「トイレのない、肥ダメ付き最新式マンション」。 [環境・自然]

 原発事故から5カ月近くが経つが、いまだに放射能汚染の実態がつかめていない。いまごろ現場周辺で1万シーベルトを超える高い放射線量が見つかり、大気中にずっと放出され続けていたことが明らかになった。

 ただ、国民はそれを聞いても、何がどうなっているのか、どうすればいいのか思考停止状態になっている。間違いなく、「やばい状況」が続いているのにもかかわらず、原発を止めようという声がいまだ高まらない。実に不思議な国だ。

 先日、テレビで、ある専門家が原子力発電をたとえるならば、「トイレのないマンション」と言っていた。まさに、その表現はピッタリである。さらに付け加えるならば、「トイレがなく、肥ダメを置いたマンション」の方が正確かもしれない。

 原子力発電で最大の問題は、使用済み核燃料を処理するシステムがまったく確立されていないことにある。今回の福島の事故ではじめて知ったが、各原子炉には核燃料プールが設置され、そこにこれまでの使用された数多くの核燃料棒が保管されているではないか。使用済みと言えども、高濃度の放射能を撒き散らす極めて危険なもの。つまり、危険リスクがどんどん増大していく仕組みになっているのだ。

 先の例で言うと、マンションに備えられた肥ダメの中に強烈なにおいのする汚物をいっぱいため続けていたが、突然の大地震で、その肥ダメが壊れて、家中に汚物が垂れ流れてしまった。そんな悪夢の状況と同じである。でも、そんな危ないマンションでも、それを支持する住民がまだまだいる。たとえリスクがあっても、広くて最新式の快適さを手放せない、それが原発推進派、維持派のスタンスであろう。

 脱原発、減原発に対しても、論点の中心に経済や便利な生活が優先され、安全や環境が二番目に置かれているように思える。経済一等国を維持することよりも、美しい自然や人間の命を守ることを最上位に置かなければ健全な考えとは言えないと思う。

 また、経済重視の主張も、原子力や石油が暴騰し、手に入らなくなっては、その前提も崩れる。それよりも、この危機を契機に、国民に苦痛を強いることになるかもしれないが、「再生可能エネルギー」という人類初めてのチャレンジに、日本が先駆けて突き進むのもいいではないか。

 まず、政府が先頭に立ち、自治体、企業、大学が続き、国民全体も協力する。日本が総力を出し切れば、必ず上手くいくと信じる。だが、そのためには、国民の勇気と覚悟、それに政治の決断が必要である。国民的な大議論がまさに必要な時期に来たのではないだろうか。


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