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座ってゆったり憩える場所が少なすぎる。 [環境・自然]

 日本は急速なスピードで高齢化が進んでいる。人口の大きな割合を占める団塊の世代もその域に入りつつあるが、まだまだ元気な類である。だが、街の中を見るとやはりお年寄りが多い。近くの公園に行っても、年配の方々のジョギングやウォーキング姿が目立つ。家の中にじっとしてるより、外で体を動かしている方が健康的でいい。大いに結構なことである。

 しかし、この公園で気になる点が1つある。ひと息つけるベンチが少ないことだ。みんな元気に走ったり、歩いたりしているけど、そのコースに休む場所がない。いや、あることはあるが、いい場所にない。公園や施設建物の裏側に面する薄暗い場所、電気の配電盤の前、なぜ、こんなに座りたくない場所ばかりに設置されているのか不思議でならない。ベンチを置くならば、もっと快適な場所を選ぶべきだ。この公園は木々も多く、鳥のさえずりも聞こえるし、コースの途中に様々な花が植えられ、立ち止まりなくなる箇所もある。そんなところを憩いの休息スポットにすべきだ。

benti.jpg

(このベンチの場所は薄暗く、正面は電気の配電盤、ここに座っている人は観たことが無い。もっと雰囲気が良い場所もたくさんあるはずだが・・・)

 そもそも、ここはスポーツ公園としてつくられているから、対象は健康な若い人たちで、どちらかと言えば競技的な運動を前提に計画されていると思われる。だから、このジョキング・ウォーキングコースも、ひたすら走ったり、歩いたりすることしか考えておらず、高齢の方々が、ゆったりとのんびりウォーキングを楽しむという発想はなかったかもしれない。

  ここの場所のみならず日本の公共スペースは、ゆったりできる空間が少なすぎる。そうした場所は無駄なものに捉えられがちだが、その概念は変えていく必要がある。よく外国人から、日本人は忙しそうに働き、歩くのも速いと言われる。これは単に途中でくつろげる場所が無いから、動き続けなければならないという必然性にあるのではないか。だから、都心に出ると、とにかく疲れる。いつも、電車に乗って「やっと座れた」と思うことがしばしばである。

 いまの日本人はみんな疲れ気味だ。若者だって休まなければ疲れる。もっと、憩えるスペースを都市の中につくらなければダメだ。人が集えれば、コミュニュケーションも弾み、もっと活気と元気がでるかもしれない。

桜木町.jpg

(例えばの事例:横浜市桜木町駅前の大広場、ここは整然として広い空間であるが、ゆったりとくつろげる場所が無い。無機質で味気のない、とてもつまらないスペースである。)

 ただ、ベンチを置くといつの間にか浮浪者たちの居場所になってしまうとの指摘もある。確かに公園のベンチなどは彼らに占拠されているところも多い。だからといって、その理由で、くつろぎ空間をつくらないと言うは、あまりに考え方が後ろ向きである。何か工夫しなければいけない。

 日本の公共空間のゆとりは、ヨーロッパなどに比べると圧倒的に見劣りする。でも文化的、伝統的なものではないと考える。なぜなら日本文化の特徴は「間」にあるからである。たぶん経済至上主義が、その意味が曖昧な「間」の思想を掻き消してしまったのではないか。それならば、もう一度取り戻すことはできるだろう。

 まずは、くつろいで座れる空間づくりからはじめて、「間」のスペースの復活をめざしてみたらどうだろうか。


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