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無縁社会には、人と機械の生活のはじまりがある。 [社会・生活]

 今日は雪がしんしんと降り続いている。どのくらい積もるのだろうか。

 都心はめったに降らない雪にとても弱い。昔に比べれば交通機関の乱れも少なくなり、数段良くなったという声もあるが、緻密に組まれた鉄道運行プログラムには、やはり厳しい条件だ。

 さて、雪が降って喜ぶのは子供たちと思ったが、外を観ても子供の遊ぶ姿はない。自分が小さい頃には、雪が降ると嬉しくてたまらず、何回も外に出て、雪合戦や雪だるまを作って遊んだものだ。今は暖房の効いた部屋で一人ゲームを楽しんでいるようである。

 昨晩、NHKでまた無縁社会を取り上げた特集番組があり、ちょっとだけ観た。人とつながりたいけど、それができない。社会の問題か、個人の問題か、それを問う内容でもあった。

 その中で、24時間、365日、インターネットだけで、外とつながっている男性の事例が紹介された。本人には気の毒だが、その姿はあまりに空しく、寂しい光景であった。自分の部屋の映像をずっとネットで流し、ちょっとした動作や日常的な言葉を発すると、画面の向こうの相手から反応が返ってくる。それに喜びと安心感を求めているようだ。ただ、相手の声も、人間の肉声ではない。文字で送られた言葉をコンピュータが読み取って、疑似音で発している声なのだ。人間と機械が仲良く暮らしているようで、普通の感覚からすると、気持ち悪い。

 無縁社会とは、社会が人との絆を断ち切り、人間を物のように扱うことが問題視されているが、もうひとつ、人間自身が生き物や自然から離れ、機械に近づいていくことの危険性を孕んでいる。自然に無関心になることは、極論すれば人や生き物に無関心になり、さらに言えば、愛情を持つことができなることを意味する。結局は自分という自然体すら、愛情を持てなくなり、ますます孤独の度合いを深めてしまう。そんな方向に進んでいるように思える。

 コンピュータゲームは人間が作った仮想世界であり、そこで起こる出来事は自然のスケールでなく、限りなくウソで固められたものだ。また、その無機質な空間の中では、自分は傷つくことはなく、安全で、失敗してもリセットすれば、すぐ立ち直れる。つまり、実在する本当の世界とは全く別な空間の中で、間違った思考回路がつくられている可能性が高い。

 無縁社会の問題は、核家族化、雇用のひずみ、伴侶の離別など、外的要因ばかり言われているが、もうひとつ考えなければならないことは、「自然」、「現実の本当の世界」を軽視する現代社会の在り方にもあるのではないか。

 世の中のすべてが、合理的、効率的に片づけられるものではない。自然の不合理、不効率さを受け入れなければ自然の中では生きていけないことを学ばなければならない。自然現象は予期しにくく、コントロールもしにくい。その扱いにくいものと付き合い、楽しまなければならない。

 だから、雪が降ったら、子供がはしゃぎ廻り、楽しむような社会になってほしい。


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