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NHKスペシャル「無縁社会」、若者の不幸、不遇には甘えも観られる。 [社会・生活]

 また、昨晩もNHKで無縁社会の特集番組をやっていた。

 統計的な予測では2030年に日本人の1/3が単身世帯になると言う。NHKのコールセンターには、次々と現状の孤独さ、経済環境の厳しさ、将来の不安を訴える悲痛な声が寄せられ、その深刻さに、とても重苦し気分にさせられた。どの声も決して他人事ではなく、その切実さは身に染みて感じるものばかりである。

 スタジオではこの無縁社会の象徴として2つのキーワードが掲げられていた。1つは「社会に支えられていない。」 もう一つは「必要とされていない。」 ここから、様々な議論が展開されていった。ここで考えさせられたことは、社会とのつながりとは何か。そもそも、自分にとって社会とは何かである。

 議論が進む中で、フィンランド人の女性から次のような指摘が出てきた。それは無縁社会で苦しむという人達の殆どが、会社や仕事のことばかり話いていて、友人や家族、地域の人々、その人達の姿が見えてこない。まるで会社が個人との絆や生活保障をしているようだと言う。フィンランド人からすると違和感を覚えるそうだ。これは、まさに日本の社会の在り方、個人の考え方に、この無縁社会を生む要因が潜んでいるという見方である。

  社会との関係は「与えられるものか」、「つくるものか」 ここが大きなポイントがあるのではないか。

 国や自治体の制度や会社は、個人的に努力しなくても、そこそこの絆や保障を与えてくれる、ある意味で楽な仕組みである。しかし、一方、友人、近所の人、そして親兄弟子供、いわば自分がすぐに接することができる人達、これは与えてくれるものではない。逆に自分から与えなければならない時もある。ギブアンドテイクの関係であろう。つまり、自分の努力なしにはつながらない。相手も自分と同じで、それほど経済的にも、心にも余裕があるわけではない。お互い様なのだ。

 だが、スタジオの方々の話を聞くと、確かに不運、不遇はあるものの、本当に自分から社会の絆づくりをしようと努力しているか、疑問になる声が多く聞こえる。与えてくれるものばかり求めて、社会制度の不備やしくみが悪さを指摘する意見も目立つ。ただ、その指摘は正しいのだろうが、そんな自分にとって都合のいいものばかりではないことも自覚すべきだ。その制度を使わずに頑張っている人の方が遥かに多い。そもそも、人間生きていくことは大変なのだ。

  もうひとつ、自分が必要とされていないという人が多かったが、これも不思議な感覚である。彼らの話は、会社が非正規社員の自分を必要として扱わない。いや、自分を大切に扱ってくれてないと聞こえる。何十回も企業面接したが全部不採用で、自分に自信を無くしたと言っている人もいた。しかし、世の中、あるところは人手不足で海外から労働者を雇っているところもある。もちろん、当然賃金は低いが、最低の暮らしはできるはずである。また、一人で頑張ってる自営業の人、フリーで自分の腕一つで生きている人、建設現場の職人、みんな少ない賃金で精いっぱい頑張っている。そういう人の声も聞きたい。人によっては非正規社員より厳しい賃金で家族を責任持って養っている人もいる。事実、そういう人も身近で知っている。

 会社が自分を必要としていないという声があったが、現在の日本では、その会社の存在とて必要かどうか問われる時代だ。さらに極論すれば、日本の国でさえ、ほんとうに世界に必要な国なのか、反日感情のある国々では、日本を地球上から抹殺しろという声すらあるのだ。しかし、それは心ない一部の声で、我々は、自分たちで意味と意義を見つけ、外から不必要と言われないように努力するしかない。それに対して感謝の声が上がるとは限らない。時には罵声さえある。これが世の中の厳しさではないだろうか。

  いま、何十万人いると言われている無縁単身者の人々、高齢の方々は国や自治体の何らかの支援は必要である。しかし、20才、30才台の若者はまだ無限の可能性があり、考え方ひとつで、無縁社会から抜け出せるチャンスが秘められている。考え方を変えることは容易いことではないが、何かのきっかけを掴み人生を変えなければ、社会の落伍者になってしまう。いくら無縁で、孤独でさびしいと言っても、地球上で食べることさえできない人々、疫病に怯えている人々、戦争でいつ殺されるかわからない人々、これらの人々より遥かに幸せな境遇にいることを、まず自覚しなければならない。

 日本は世界で最も豊かな国である。生活レベル、人生における指標、その他いろいろな基準が高すぎて、それにちょっと届かなくても落差を感じ、それが不幸、不遇に思えてしまう傾向がある。しかし、 これからの日本は豊かな国の特権も無くなり、中国や新興国に脅かされる時代がすぐそこまで来ている。それこそ、みんなが必死になり頑張らなければ食っていけない国になるのだ。うつや無縁だなんて言っている場合ではないかもしれない。逆に、そこまで国が転落すれば、この問題は消えていくのかもしれないが・・・。

  個人の意識、考え方の問題は別にして、いまの国の制度は確かにまだまだである。当然、もっと変えなければならない。オブザーバーで批評家の宇野常寛さんが提案されていた「これからは非正規社員の夫婦でも安心して生活できる制度設計にしなければならない」という考え方に大いに賛成である。たしかに、今の社会保障制度は昭和初期の社会モデルが前提になっているようだ。ただ、当然、社会保障するための財源の問題が絡んでくる。まさに社会保障と税の議論だ。

  スタジオでは熱い議論が交わされたが、国会ではさっぱりである。現在、野党の政治戦略でこの社会保障の議論の場に出てこようとしない。この無縁社会の議論を聞いていると、そんな時間は、いまの日本にはない。

 まずは、国会が動かなければ、国の制度設計は進まない。もっと、国民もメディアも声を大にして、国会を動かさなければならない。そうしなければ、無縁社会はいつまでも続きそうだ。


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