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「坂の上の雲」 明治という時代をしっかり見るべき。 [文化・歴史・芸術]

 昨年の暮れにNHKで放映した坂の上の雲、第2部はやや低視聴率で終わった。

 しかし、視聴率に関係なく、内容が実に濃く、すごいドラマであった。

 今回のストリーは主人公の1人である正岡子規の死から始まり、そして世の中が、大きなうねりと伴に次の戦争の時代へと流れていく。その中でもう一人の主人公の秋山真之、好古兄弟を通して激動の時代を描いている。

 考えてみると、この時代のことはあまり語られていない。そもそも、なぜ日本が軍国化したのか、なぜ戦争をしなけらばならなかったのか、ほとんどの若者は知らないと思う。明治のこの時期は、国としても、経済・産業、そして文化にしても、躍動的でドラマチックに満ちた時代であるはずなのに、日本人の歴史観から、その記憶が消されているような気がする。

 近代の日本史は、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通の幕末から明治維新初期で一区切りされ、次の歴史は真珠湾攻撃、東条英機、そして広島、長崎の原爆、終戦から始まるような気がする。その間の歴史は教科書で事実だけを淡々と知らされている程度で、実際の生々しいドラマは消去されているようにさえ思える。それは、戦後、進駐軍が日本を無能化するために色々な施策を採った1つではないだろうか。日本人に戦争責任を押し付けるために、都合の悪い事実を知らせないのが一番手っ取り早い。

 坂の上の雲では、ロシア帝国の脅威、恐怖から、日本の軍国化が進んでいくことが描かれている。当時、新国家を建設した日本が最も警戒していたことは西欧の属国になることだ。彼らの国力、軍事力、そして文化の差は、嫌というほど知らされている。近隣大国の清国が無残にもそうした属国化したことに強い危機感があったのは間違いない。そうなればどうするか。どこの国でも当然軍事的な防御態勢を整えるのは当然の流れである。ただ、日本はそれ以上に、欧米の強国と肩を並べるべく野心を抱いたことが、その後の方向性を築いてしまったのだろう。それが過ちか。いや、当時の弱肉強食、世界全体が軍事力優先の時代に、必ずしも間違った進路をとったとは言い切れない。ただ行きすぎたのだ。

 近年、近隣アジア諸国と教科書、領土、歴史問題などで、ぎくしゃくした関係が続く。1つには第二次世界大戦の戦争責任、それを重く受け止めることは大切だが、それよりも日本人が自国の歴史、特に近代を知らなさすぎることに問題があると思う。こうしたことが相手国に対して冷静に対処できなく、また、いつまでも言われっぱなしで、毅然とした反論もできていない。ともあれ、坂の上の雲の明治時代から近代アジア史が始まったといっても過言ではない。もちろん負の部分も多いことは間違いない。しかし、そこも目を瞑(つぶ)らず、また日本が近代に賭けた理想と現実を直視することが、これからの日本が進むべき道もはっきりしてくるのではないだろうか。

 来年12月、第3部最終編である。それまでに司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み直し、もう一度、明治時代を考えてみたい。

坂の上の雲 全8巻セット (新装版) (文春文庫)

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  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/07/15
  • メディア: 文庫


タグ:坂の上の雲
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