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日本選手、周囲への感謝の言葉が嬉しい。 [スポーツ]

  ロンドンオリンピックの熱い戦いが終わった。振り返れば、体格で勝る世界の強豪たちを相手に、日本選手はよく頑張った。この17日間の熱戦は、被災地をはじめ、日本中の人たち、特にアスリートたちと同年代の若者には、大きな感動と刺激を与えただろう。

  勝利を誓い全身全霊で必死に戦う姿。勝ちを得た時の喜び。敗れた時の悔し涙。その一瞬の戦いの裏側にも、選手たちの想像を絶する人生が詰まっている。そのぶつかり合いだからこそ、極上のドラマが展開される。

  たとえ実力があり、努力を積み上げてきても、必ずしも「思い」がかなうとは限らない。その時の運が左右することもある。それゆえ、観戦している方も手に汗を握りながら真剣になる。とにかく勝敗は紙一重の差だ。

  人生もこれと同じで、いくら頑張ってもなかなかうまくいかないことが多い。世の中は競争社会で、当然勝者は極一部、ほとんどが敗者になる。けれども、それで終わりではない。オリンピックは、それに立ち向かうことの勇気、夢が破れても次があることを教えてくれる。特に敗者の弁には、厳しい人生を生き抜く大きな道しるべになる。

  今回、戦いを終えた日本選手たちの会見で嬉しかった事がある。それはみんなが「感謝」のことばを口にしたことだ。

  「自分一人の力でなく、みんなの支え、励ましがあって、自分は戦えた」。メダルを獲得した選手も、自分の事よりも廻りの人たちに気をつかっていた。普段から自分の練習を支えているコーチや監督、生活を支えている家族や社会の人たち、そして応援している人たち、そんな大勢の人たちの上に自分がいることを、感謝の言葉に変えてメッセージしていた。こうした意を受け、こちらも微力ながら応援を続けようという気持ちが湧いてくる。この連鎖こそが最良の力になる。

  世の中、過酷な競争社会であるが、みんなと共に生きる絆社会でもある。いまの日本に足りないのは、自分が社会の人々から支えられて生きているという自覚とそれに対する感謝の気持ちではなかろうか。自分がベストを尽くしているか。また家族、近所、会社などの身近な社会の中で、どれだけ、廻りの人たちの支えに感謝しているか、改めて考え直させられる。

  オリンピックが終わり、次は高校野球の熱い戦いが佳境に入ってくる。さて、どんなドラマが繰り広げられるか。また、新たな感動と刺激を与えてくれるだろう。


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内川徳幸

私は別の見方をしています。簡単に言うと、選手に個性が無くなったということです。

今回、ロンドンでは初めてジャパンハウスといって後方支援センターを設けてメダリストの記者会見はそこで行われるようになりました。

翌日の会見に先立って当日の短い収録があるのですが、この時に決まって2つのことを訊かれます。どのような大会だったか?ということと応援してくれた皆さまへメッセージということです。どのメダリストも必ずこの2つのことを事前に訊かれていて、もちろんそれに対して自分で考えて答えているのです。これはおそらくJOCが日本国民からの支援を継続的に受けるために(悪い言い方をすれば)仕組んでいることです。

翌日の記者会見の時はある程度自由に話せる時間がありますが、この時によほど自分の考えを持った選手でなければ当り障りのない言葉しか出てこないです。そうなると、当然前日に話した内容をとりあえず繰り返すという思考に陥ります。メダルは重いということと周りへの感謝、この2つですね。たとえば、フェンシングの太田雄貴であれば、競技の発展のことまで考えているのでそれなりの言葉を発します。ですが、彼のような存在は例外であって、ほとんどのメダリストはまるで金太郎飴のようなフレーズのオンパレードです。つまり没個性化ということです。

これまではミックスゾーンでの取材で数々の名言が聞けましたが、今回はそういうものも僅かにあったかもしれませんが、我々の耳に届くまでに定型会見を経ていたので、各スタジオでのインタビューでも帰国後の会見でもそれほど個性的な言葉は聞けなかったのだと思います。

ほかにも、聞いていて耳障りだったのが、「ほんとに」の連発でした。各選手ごと1分間にどれだけこの言葉を連発しているか数えてみると面白いです。ほんとによく使ってますから。「つなげる」「つながる」の多用も目につきました。サッカーの選手なんかがよく「次につながる試合」のように使ってましたが、そもそも競技の性質上試合に連続性なんてないのに、何がつながるのか意味がわかりませんね。それでも流行りの言葉なので選手も使ってしまうんでしょう。身内のことをきちんと言えない選手も目立ちましたね。「お父さん」とか「お母さん」とか。

こういう言葉を挙げるまでもなく、とにかく自分の言葉で話せる選手が少なすぎる。競技に打ち込むあまり日本語の表現力が乏しいのか、それとも感性が磨かれてないのか、そこら辺はよくわかりませんが、競技を終えて言葉で感動を呼べるアスリートがいなくなってきたように感じ、残念な気持ちです。

没個性の選手会見の数々は以下で見られます。
http://www.youtube.com/user/JapanOlympicTeam
by 内川徳幸 (2012-08-15 23:53) 

Mr.キウィ

コメントありがとうございます。私も同じように感じることもあります。しかし、今の日本、周囲への感謝や思いやりを忘れかけています。このアスリートたちが、たとえ画一的でもこうした言葉を発信し、特にこれからの若い世代の心に響かせることは非常に意義深いと思っています。私はどんなに優れた言葉よりも、むしろ、彼らの表情から表れる「思い」の方に惹かれます。勝負に勝つために自分を徹底的にコントロールし、また、暗示をかける。自分の弱い心との苦しい戦いが、その思いの中に詰め込まれているような気がします。だから、画一的な言葉の中にも、彼らの真実を感じ、そして、純粋にその言葉に感動しています。
by Mr.キウィ (2012-08-16 20:25) 

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