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電車の中は、携帯中毒症だらけだ。 [社会・生活]

 昨日、通勤帰りの電車の中で異様な光景に遭遇した。いや気づいたと言っていい。

  自分が座っている周りの人たちすべて、ひたすら携帯の小さな液晶画面にかじり付いている。車内には話声はなく、線路を走るガタゴトする音だけが響いている。そのせいか、人と携帯の向き合う姿が妙に気になってしまう。本や新聞を読む人やボケーと窓の外を観ている人たちは、一体どこへ行ってしまったのか。何か特別な空間に迷い込んだ気分であった。

  しかし、よく観察すると、みんなそれぞれ違った携帯の使い方をしている。すぐ目の前の女性はメール。左横の年配の男性はインターネットでニュース、右横の若者はゲームで遊んでいる。左前の女性は耳にイヤホンをして音楽を聴いているようだが、慣れた手付きで懸命にメールを操作している。あとほかの人は何をしているかわからないが、とにかく携帯を眺めている。

  最近、携帯機種の進化も速い。昨年まで、折りたたみ式が主流であったが、ここではスマートフォンを使っている人が目立つ。ひと昔前、移動通話のために登場した携帯電話も、いまはテレビ、パソコン、カメラ、電子書籍、ゲーム機器、音楽プレイヤー等のマルチメディア機能に比重が移ってきており、さらに定期、お財布(電子マネー)など、その利用分野は限りなく広がっている。まさにポケットから取り出せる万能マシンへと進化している。

  そうした便利さが向上する一方で、特に「情報」と「人」との間で、ギクシャクする場面も多くなっているようだ。例えば携帯でメールを送信したが、直ぐ返信がないと、「どうしたのだろうか」「何か悪いことを書いてしまったのか」など急に不安が募ったり、イライラ感が増幅したり、また、自分に全くメールが来ないと、「本当は自分に親しい友達なんて、ひとりもいないのでは」と孤独感にさらされるなど、つまらない事であれこれ悩んでしまう人も多いようだ。逆に相手から意味のないメールやしつこすぎるメールもストレスの一因になる。「メールストレス症」と言おうか。軽い症状の人を含めれば10人に1人以上、それにかかっていそうな気がする。

  それから、インターネットも問題だ。ついつい暇になると見てしまう。パソコンならば机に向かっている時以外は見ることないけど、携帯ならばどこにいてもすぐに閲覧できる。これがまた、中毒にかかりやすい。こちらは「インターネット中毒症」。それから「ゲーム中毒症」もある。あちらこちらで、変な中毒患者が続出していそうだ。

 まさに携帯中毒、新しい現代病の始まりである。新たな精神科分野をつくらなくてはいけない。

  とにかく、携帯の存在は、この数年飛躍的に大きくなり、我々の世界にも様々な波紋を広げている。前述のメールストレスのような個人問題から、つい最近起きた大学の入試カンニング事件のように社会問題まで発展するケースも増えている。今日、個人の生活、ビジネスも、既に携帯なしでは成り立たないぐらい我々の世界に溶け込んでおり、これまで培われてきた文化や生活、仕事に至る様々な価値観を大きく変えてきている。いまは、その過渡期であり、それゆえ、戸惑いも多い。

  今後、携帯の機能や能力はさらに向上し、「第二の脳みそ」まで発展しそうな勢いである。そのうち、携帯なしでは誰とも交流できず、思考すらできないという人が増えてきそうだ。その兆しは既に若い世代に現れているような気がする。

  我々は携帯に飲み込まれ、支配されないためにも、あくまで使いこなす姿勢でいきたい。電車の中でも、たまには携帯を止めて、窓の外の景色を観るとか、新聞や本を読むとか、ひと昔に戻ることもいい。 また、子供や若者も「携帯詰め」「携帯中毒」にかからないようする対策も必要だ。メーカーも便利さや楽しさ、利益ばかり追求するのでなく、こうした「心の病」や「それが及ぼす社会問題」も真剣に取り組まなければならない。社会に深く広がったら、それを収拾することは困難である。

 携帯文化とどう付き合うか、メリット、デメリットのバランスを上手く舵取りしなければならない。これからの時代、またひとつの大きな課題が増えてしまったようだ。


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