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朝日新聞「孤族の国」の記事に思うこと。 [社会・生活]

 2010年もあとわずか。

 街の中は年の瀬でとにかく慌ただしい。スーパーの食品売り場は正月の食物をまとめ買いする客でゴッタ返しである。景気が悪いと言われながらも、タラバガニやマグロ等の高級食材が目の前でガンガン売り捌かれている。まあ、正月ぐらいはケチケチするなというのが日本の一般常識かもしれない。しかし、すごい購買力で感心する。

 そんな年の瀬の活気とは対照的に、朝日新聞ではこの時期、いつも孤独死や無縁者などを取り上げた記事を掲載している。今年のテーマは「孤族の国」である。

 戦後65年、日本は世界有数の豊かな国になり、日本人は世界でも類のない幸せな国民に映るだろう。だが、そんな豊かさとは裏腹に、現在の日本では社会全体に暗い影が広がっている。社会的なひずみがあらゆるところで発生しているのだ。そうした犠牲者は、社会から脱落し、食べることにも困窮し、世間からも見放されている。その行きつくところが、餓死、孤独死、そして犯罪。

 それは、あまりにも暗すぎる。本人の努力が足りないのか、それとも不遇、不幸が襲い、こうなるほか仕方なかったのか。あるいは国や地域、あるいは近隣、家族など周囲の環境がもう少し暖かく、サポートできる体制があれば救うことができたのか。

 ただ、この問題の深刻さはこれだけにとどまらない。ここまでひどくなくても、その予備軍が数十倍。さらに健全と思われる人の中にも孤独に成りかけている人達が大勢いる。少なくとも未婚者や配偶者が亡くなり一人暮らしている人達は、いずれその問題に直面する。

 元気な時は、自分の人生を思うように生きたくて、周囲の縁や干渉は煩わしくてたまらない。しかし、人は一人では生きていけない。赤ん坊が親を必要とするのと同様に、高齢者や弱者も人の助けが必要である。ただ、それが金銭的あるいは制度的な支援だけでは、抜本から解決することは難しい。もう一つ重要なことがあると思う。

 それは、弱い人達にあたたかい社会になっているかどうか。つまり、人々の心に、人のとのつながりや扶助の精神があるか、自分本位の冷たい社会では、心は癒されない。いま、子どもたちの世界でも、いじめは深刻な問題である。しかし、大人の世界で起きている事はそれと変わらない。弱者を攻め、冷ややかに眺めることが平気な社会、言うなれば愛情のない世界である。すべてがそうではないが、現在、多くの人たちの心が貧しくなっている。

 古来から、このような問題は繰り返されている。キリストや仏教などの教えも、これらの苦悩に対する教えが多い。したがって、ここにそれを乗り越えるための大きなヒントがあると思う。では、日本の宗教活動から、救いの手立てはあるのだろうか。

 日本には**学会と言われる巨大な宗教団体や宗派別に様々な法人が存在する。しかし、どの団体も自分の信者たちばかりに目を向けて信仰活動しているように思える。もし、慈悲の心、精神があるならば、もっと弱者を救うことに率先してほしいものだ。昔の親鸞や日蓮ならば、こうした状況を決して見過ごすことはないだろう。

 とにかく、この国は、心や精神を立て直す必要がある。先達たちの知恵や教えをもう一度、学び、政治やNPOなどに託すのではなく、我々ひとりひとりが自覚し、心していかなければならないだろう。


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