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ゲリラ豪雨、都心も超危険だ。 [環境・自然]

 このところ毎日、各地でゲリラ豪雨が猛威を奮っている。
1時間に100mm以上の降雨量は、国や自治体の防災計画の基準、概念を完全に超えている。
つまり日本の都市や市街地は、ゲリラ豪雨には対応できないのだ。

 そもそも、こうした自然との闘いは今始まった訳ではない。
昔はちょっとした豪雨や台風でも多くの被害が出たものだ。だから、古くは危険な地域には人は住みつかず、そうした地域には災害に対する色々な言伝えもあった。しかし、近代になって、防災工学や都市計画の発達により、自然を人工的に抑え込む方法で、危険リスクを除外し、次々と安全地帯らしき土地を広げていった。

 ドライブで山間部に車を走らせていると、いつの間にか道路が新しくなって事がある。以前は地形に合わせて、くねくねと迂回していたものが、新しい道路では車が走行しやすいように山が削られ直線になっている。山の斜面を見ると、削られた部分はコンクリートの擁壁で固められ、土砂が崩れてくるのを抑えられ、また、道路の拡幅部分では盛土で無理やり平らな土地を増やしている。土木技術的には感心するが、自然に対する人間の驕りも感じる。人々の便利さの追求が、結果的にいたるところに危険な場所をたくさん造っているように思える。

 今、ゲリラ豪雨で一番心配していることは都市災害だ。
集中豪雨による川の氾濫は防ぐことは極めて困難である。近年では東京の荒川や隅田川等大きな河川での氾濫はないが、これがもし、想定以上の豪雨により都心の街に水が溢れたらどうなるか。都心では地下鉄、地下街など多く、水害には極めて脆弱である。多くの公共の場所が水没し、人々は逃げ場を失う。その被害は計りしれなく、そんなことを考えると非常に恐ろしくなる。だが、これは仮想ではなく、いつか現実になる可能性が高い。

 最近、国でも防災シュミレーションでそうした危険性を指摘しているが、いまひとつ、最悪の状況とその対策が見えてこない。日本人は比較的地震に対する備えは心得ているが、水害に対してはちょっと危機感が薄いように思える。

  防災訓練でも大地震ばかり強調されるが、水の怖さももっとアピールすべきである。大洪水、大浸水を想定した準備、そして大掛かりな防災訓練も、本当に実施すべきであろう。すでにそのシグナルは鳴っているのだ。

 


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