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道路や公園をみんなの手でもっと豊かな環境にできないか。 [環境・自然]

 午前中、寒風の中、近くの公園にジョキングに行った。さすがに今日は人が少ない。天気予報では最高気温が6℃、最低0℃。風は凍るように冷たく、手袋なしではいられない。たいていの人たちは外に出るの敬遠するだろう。

 だが、周囲を見廻せば、かなり人がいる。散歩しているお年寄りやボール遊びや凧揚げにに来ている親子、自分と同じようにジョギングをしている人、そしていつもと変わらずサックスの練習をしているおじさんも健在である。こんな寒い中、よく来ているものだと感心する。みんな公園が好きなのだろうか。

 この公園は以前のブログでも紹介したがスポーツ公園である。ここには野球の球場もあり、高校の選抜戦や時折プロ野球のイースタン等観戦できる。また、大体育館は夏季にはプール、冬季はスケートも楽しむことができ、自分はすごく恵まれた環境に住んでいると思っている。

 そもそも、日本の都心、郊外には広場、公園や散歩道など少なすぎる。空間的にゆとりがないのだ。

 いまの日本は不況のことばかり騒がれて、もっと大事なことが置き去りになっている気がする。経済的に豊かさは国民にとって一番幸せなことであろうか、そのまえに国民の健康が第一にあげられるべきである。体を動かし、また自然の中でくつろぐことが健康に最も大事なことだ。そのためには、子供たちが思いっ切ってキャッチボールしたり、駆け回ったり、高齢者も気軽に散歩や運動ができるような空間が本当に必要である。

 たとえば、道路といえば交通のための通路としての役割しか頭に浮かばない。実際、日本の殆どの道路は、車道としては実に機能的に造られているが、人がくつろいだり、あるいは散歩やジョキングを配慮しての空間は考えられていない。ヨーロッパに行ったときに観た道路では、公園と同じような概念で造られ、高齢者が腰掛けられるようなベンチや花や木々も植えられ、人が集い楽しめる場になっていた。道路も決して広くはなかったが、あきらかに車優先ではない。

ミュンヘン.jpeg

ミュンヘン郊外の道路、車も多いが緑も多く、ゆったりした空間だ。 

 これからは環境の時代である。本当の豊かさやゆとりは、経済だけでない。自然の中で人間らしく生きれることが、実は人間にとっても一番贅沢な豊かさであろう。そのためには空間的なゆとり、そして人がくつろげる豊かな環境を整備していくことが重要だ。まず、近くにある公園や広場、現状あるこれらの空間を最大限使うことから始めればいい。国や自治体がやるだけでなく、自分たち自ら参加して、一緒につくり育てることが大事である。

 建築家の安藤忠雄さんが阪神震災後の神戸復興にこぶし植樹や大坂を花の都にするため桜の植樹運動を進めている。年数を重ねるうちに、こぶしや桜も大きく育ち、関西の街は春になると花で溢れると言う。

 最初は小さな運動でも、それに人々が感動し、賛同すれば、その運動の輪はさらに広がる。そして、次の世代への受け継がれ、最初に始めた第一歩からは想像できないぐらい大きな成果につながっていく。その過程で、色々な人達の想いや理想が育まれ、人により親切で、優しいものになっていくものだ。

 話は戻るが、この淵野辺公園もできてから約30年以上経つ。初期の頃は利用している人も少なく、一人でジョキングするのは心細くなるくらいであった。いまは周囲の木々も育ち、より自然らしくなり、また、大勢のひとの憩いの場として根付いている。ただ、時間が人を寄せ付けたのではない、やはり長い間、いろいろな人達によって整備され、少しずつ愛着のある姿に変わっていった。それまでには長い年月と多くの人たちの想いが蓄積されているのだ。

 公共空間である道路、公園はみんなの資産であり、宝である。それを自分たちにとっていかに良いものにつくり上げるかは、自分たちの手にかかっているといってもいい。そうした運動をみんなでやっていけば、この国はもっと豊かになるだろう。


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