SSブログ

新海誠監督「天気の子」は新しいアニメションの可能性だ。 [趣味・娯楽]

 先日、猛暑の中、いま話題の新海誠監督最新作「天気の子」を観に行った。あまりにも暑かったせいか映画館の客席は思ったほど埋まっていなかった。ただ3週間足らずで、すでに観客動員440万人、興行収入が60億円を突破というから、前作の「君の名は」に続き大ヒットである。

 ちなみに、私は大のアニメファンでこの作品をすごく観たかったというわけではない。たまたま観ていたテレビの天気予報で、気象予報士がこの映画を取り上げ、雨の描写が素晴らしいと絶賛していたから、ちょっと気になっただけだ。そんなことで鑑賞してみたが、想像以上にストーリー、アニメーション、そして音楽が心地よく、シニア域に入っている私でも結構満足する出来映えであった。絶賛された雨も納得できるもので、道に叩きつける雨や窓ガラスから垂れる雫、空から降り注ぐ大粒の雨など、まさに実写並みに描写されており、それが主人公の心の動きに合わせて絶妙な情感を醸し出していた。また、さり気ない日常の風景も、ここまで描くかと感心するほどリアルさがあり、アニメというよりも水彩画を観ている感覚にもなった。なんでもかんでも効率や合理さが優先されている現在、この映画は真逆に手間暇かけた仕事をしているようで、どこか日本の伝統工芸と通じる職人技のようなものを感じ、なかなかの見応えである。

 私の固定概念化もしれないが、アニメーションといえばディズニーがズバ抜けてトップを走っているイメージが強く、日本のアニメはそれに比べてやや格下感があった。しかし、この映画を観て、「いや待てよ、もしかして日本のアニメはそれを超えるレベルにきているのではないか」と感じるものがあった。

最近のディズニー映画はどうだろう。ちょうど同映画館でもライオンキングが上映されていて、宣伝用ビデオが流れていたが、天気の子とは全く対照的な創り方だ。ライオンやそのほかの動物たちは毛の一本一本まで丁寧にCGで描写され、ほとんど実写と勘違いするほどの徹底した精緻さであった。これもすごいテクノロジーと完成の高さであり、さすがディズニーと圧倒されるものがあった。しかし、天気の子を観た後であったせいか、どことなく物足りなさを感じてしまう。何がそう思わせるのか。おそらく、すべてがコンピュータで計算しつくされ、逆に「本物にそっくりな偽物」を否が応でも意識させられると同時に、本来アナログ的な情感や感性までもが完成度の高いCGで表現されているからではないだろうか。完璧すぎて隙が無いというのが率直な答えかもしれない。これも一つの表現であり、決して批判しているわけではない。ディズニーは3次元アニメの新しい分野を目指し、そして開拓しているのだろう。

 日本のアニメーションはそうした方向と一線を画し、ひたすら2次元の世界で奥行きを探っているように思える。視覚的な3次元ではなく、精神的、感性的、情緒的な世界で立体感を模索しているのではないか。かつてのウォルトディズニーはそうした思いを追求して、白雪姫やピノキオを制作したと聞くが、現在のディズニーはそれとは違う方向に進んでいるようだ。実はこの精神を脈々と受け継いでいるのは日本のアニメで、手塚治虫にはじまり、宮崎駿監督や新海誠監督など、まさにいま日本的な手法で新たなアニメションの世界が花開かせようとしているのではないか。そして「天気の子」は新しいアニメの可能性を一つ示してくれたように思う。ちょっと大胆な解釈かもしれないがそんな気がしてならない。


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント